1 ピョートル殿下の憂鬱2
一日ばかり過ぎたころ、オルロヴァ嬢が倒れた。
余は慌てて彼女を抱え上げると、スビート君の元へ走った。
この仔は、甘えたのように見えるが、実はすばらしい回復スキル持ちだ。
「スビート君、オルロヴァ嬢が無理をしすぎてしまったようだ。回復してほしい。
ああ、食事や休憩を取らせていたから大丈夫だと彼女のことを過信していた。
まだ卒業前の生徒なのだから、がんばりすぎないようにちゃんと大人がアドバイスしなくてはいけなかったのに、私は教師失格だ」
地面にジャケットを敷き、その上に彼女を横たえると、スビートは慌ててオルロヴァ嬢に回復スキルを使ったが、叫んだ。
「これ、ちがうよ。体は元気だけど、心が闇に汚染されているんだ」
「つまり、さっきの妖精たちと同じように我を失っているということか」
「そうだよ。ああ、ライラ、しっかりして」スビートはオルロヴァ嬢にすがりついた。
余は、彼女の細い手をとると、さっきまで混乱した妖精たちにしていたように、スキル【光の先導師】を使った。
反応がない。
「顔に手を当ててやってみて」スビートが言う。
淑女の顔に許しなく触れるなど、彼女が目覚めたら怒るのではないかと一瞬ためらったが、まずは目覚めさせるのが先決だ。
「失礼する」
余は、彼女の頬にこわごわと手を当てると、スキルを使った。
彼女の呼吸が穏やかになったため、そのまま続けて何回もスキルを使う。
スキルの連続使用は精神的に疲れるが、スキルを使うたびに彼女の頬に熱が戻ってくるため、気にならない。
「……殿下」
オルロヴァ嬢が目を開けて起き上がった。ほっとする。うれしい。
「お疲れ様。さっき、君は倒れました。もう、今日は休みなさい」
「…あと、3人ぐらい、闇の結界の中に妖精がいます。行かなきゃ」
「だめですよ」
「お願いします。どうしても行かなきゃ。後、少しだけなの、お願い」
「……では、私も行きます」
「え、でも」
「ふらついているじゃないか。付き添いなしでは許可できません。教師としても、男としても」
私は彼女を支えて立たせると、覚悟を決めて、闇の結界の中に一緒に飛び込んで行った。
「残りの妖精はどこですか?」
彼女の指さすほうを見ると、怯えて飛び回る妖精たちが結界の奥に見えた。
「大丈夫ですか」
彼女の頬に触れスキルを使うと、彼女は少し驚きながらうなずいた。
「行きましょう。辛かったら、出ていてください」
「いえ、私も行きます」
「助かります」
さっきから、自分に対するあきらめや挫折感、嫌悪感を抑え込んでいた箍が外れそうになっている。トノリ・タハロフの闇結界内で展開されている精神攻撃の効果だろう。
オルロヴァ嬢は、こんな攻撃を受け続けていたのかと思うと早く出してやりたくて本当に申し訳ないが、彼女がそばにいなければ、余は負の感情に押しつぶされて歩けなくなりそうだ。
奥に進んでいくと、何か柔らかいものを踏んだ。人間のようだ。トノリか愚弟だろうと思いスキルを使った。トノリだ。
「こいつを結界から引き出せ」
私がトノリの体を引きずりながら言うと、オルロヴァ嬢も必死で引っ張ってくれた。
トノリは図体が大きいので苦労したが、外にトノリをひきずり出すと、結界が解除された。
トノリは、魔力を使い切ったためだろう。老人のようにしわだらけになり、生気を失って眠っている。
結界が解除されたため、怯えていた妖精たちは飛び回るのを止めていたので、そのすきにさっさと捕まえてスキルを使う。
ついでに、地面に転がっていた愚弟にも使っておく。
尻もちをついて座り込んでいるオルロヴァ嬢のところに戻った時には、もう疲労感と、精神攻撃を受けたダメージでぼろぼろだったが、オルロヴァ嬢が涙ぐんでいるのを見ると、私よりも長く精神攻撃を受けていたのだと思い出し、最後の力を振り絞って彼女を抱きしめ、光のスキルを使った。
そのまま、私は眠ってしまったようだ。
嫌な夢を見て目覚めると、私のジャケットが体にかけられており、少し離れた場所でオルロヴァ嬢とスビートが、リュックの中に入っていたらしい毛布にくるまり、うずくまって寝ていた。
光の妖精たちは落ち着いたのかふわふわと漂っており、幻想的な光景を作り出している。
さっき見た夢を思い出す。
母の最期の時の夢だ。
体調を崩していた母は、幼くして死んだ弟を見ると、涙を流して抱きしめ、そのまま気を失ったようだった。母は、もう閉じた目を開けることはなかった。
対外的には、母は病弱で、同じく体が弱かった弟を生んだ際に体調を崩して死亡したことになっているが真実は違う。二人は毒を盛られたのだ。犯人は捕まっていない。疑わしい者はいたが、証拠がなかった。
なぜ、毒を盛った者を突き止めて、仇を討ってやれなかったのか、なぜ、二人を救ってやれなかったのか、なぜ、弟ではなく余が生き延びてしまったのか、弟の代わりに余が死んでいたのであれば母は生きていたのではないだろうか。
ひたすらに自問自答しながら目を覚ました。
余は、自分の顔を手で覆うと自分にスキルを使い、一つ、深呼吸をした。
立ち上がると、スビート君が目覚めてこちらを見ている。
「これで、問題解決、かな。うちの愚弟が迷惑をかけて申し訳ないね。
聖獣ザラトーリェーフ様に謝罪したい。案内してくれないか」
その時、ライオンがやって来た。
「まだ誤解しているようですが、現聖獣ザラトーリェーフは、スビートです。
私は、すでに聖獣の力をその子に譲りました。私に残っているのは、王家の試練を与える力だけです」
「申し訳ありません。スビート様から聞いていたのですがスビート様はまだ幼くていらっしゃるから、勘違いしているのかと思っていました。スビート様にも、失礼いたしました」
「急に、かしこまっちゃって、どうしたの?」
「お前がぼんやりしすぎなのです。ただの猫だと思われていますよ」
「そういうわけではありません」
そう、スビート様のことは、ただの猫ではなく、聖獣ザラトーリェーフ様の眷属の猫だと思っていたのだから嘘ではない。
それから、私は、王家の試練を受けるのは後日にさせてもらいたいと頼み、了承を得た。
そして、スビート様をリュックにお入れして背負うと、オルロヴァ嬢を抱きあげて外に出た。
もう昼過ぎだった。
幸い、今日は学園が休みであるから、誰にも見られずに保健室に行くことができた。
余はライラを保健医のアンドレに任せ、また王宮に人をよこすよう連絡を頼んだ。
そして、スビート様を入れたリュックを背負ったまま、王宮ダンジョンに戻り、なんとか愚弟とトノリを入り口付近まで引きずり出した。
「まだ、王妃様には知らせるな」
余は、二人を王宮の奥にある塔に運ばせて、治療を受けさせるよう、王宮から来た衛兵たちに命じると、オルロヴァ嬢の様子を見に保健室へ行った。




