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05

 親不孝通りは、木の根のように中心街から長く細く伸びている。

 例えるならば、ジョージの店『リチャード』が、根の先端に位置する場所にあるのに対し、真奈美がいる店は木の根元と言っていい。いちばん大きい通りに面しており、立地としては申し分ない場所にある。

 都心部にあるようなクラブやキャバクラとは若干イメージが違うかもしれないが、若い女の子が接客するという意味では、特に変わりのないシステムだった。もう少し寛容なところがあるとすれば、時間制ではないというところが魅力的だろう。

 そうはいっても、下っ端会社員の給料では少々懐具合に頼りなく、部長クラスと一緒ならば飲みに行けるくらいの敷居の高さだ。安い酒で馬鹿騒ぎしたいという連中がいない分、店内はいわゆる上質の客が多いように思えた。

 静かな音楽と男女が楽しそうに談笑する声だけがある。

 そんな落ち着いた場所だ。

 店の名は『カスティーロ』

 それがイタリア語で『城』を意味すると田中が胡桃澤に説明しているところだった。

「いらっしゃいませ」

 栗色の軽くウェーブのかかった髪に、長いまつ毛、大きい瞳、薔薇を思わせる唇。

 まるでモデルのような造りをした女が挨拶をしてくる。落ち着いた物腰から二十代後半くらいに見えた。

 胡桃澤と田中の二人は、四人掛けのボックス席に座っていたので、深々と会釈をした真奈美の胸元が露わになったのを田中は見逃さなかった。胡桃澤は一瞥しただけで、灰皿で煙草の火を消している。

「おう、真奈美」

 田中の顔がチンピラからスコティッシュ・フィールドに変わった。

 真奈美が彼に笑みを返すと、胡桃澤に「どうも、はじめまして。真奈美と言います」と挨拶をしながら名刺を差し出した。モノトーンで表現された城のシルエットを背景に、彼女の名前と店の連絡先が書いてあるシンプルな名刺だ。

 胡桃澤も挨拶を返しておこうかと口を開くが、田中がそれを遮った。

「真奈美。こちらは俺の兄貴分で胡桃澤さんっていうんだ。絶対失礼のないようにな」

 田中の横に座った真奈美は「わかってるって」と、彼の腕に軽く触れる。

 鼻の下が伸びるという言葉は、文学的表現だと思っていた胡桃澤だったが、目の前にいる田中を見ると、その表現は適切だと納得した。

「胡桃澤さんのことは、色々聞いてますよ。四朗さんとの会話の半分は、胡桃澤さんの話題ばかりですから。なんだか特殊な仕事をしているって」

 真奈美が余計なことを口走ったからか、否定の意味で田中は手の平を横に振るが、胡桃澤も彼女の話に乗ったようで「ええ。強盗が専門なんで」と答えた。

「それは大変なお仕事ですね!」

 笑う二人を交互に見ながら、田中は大人のジョークとして受け止められていることに安堵の息を漏らす。真奈美は二人のオーダーを聞くと、少し席を空けることを告げて、カウンターへと向かった。

 その後ろ姿を目で追いながら、田中は振り向くと「いい女でしょ?」と胡桃澤に笑みを見せる。

「ずいぶんと仲が良さそうだな」

「いえ、知り合ったのはつい最近なんすよ。会社の兄貴分に連れてこられてから、たまに飲みに来ることがあったんですけど、あいつどうも俺に興味があるみたいで」

「付き合ってんのか?」

「いやあ、それがなかなかガードが堅い女で、まだ食事にも誘えてないんすよね」

「奥手だな。弱みを握っているなら好きにできるんじゃないか?」

「そうなんすけど……」

 煙草を吸わない田中は、飲物が来るまで手持ち無沙汰なのか口をもごもごさせながら落ち着きなく周囲を見回している。病院のカルテを手に入れるために脅したと言っていたが、この様子からすると真奈美に対してそんな強制的な圧力をかけているようには見えない。どちらかといえば、泣き落として協力させたのではないかと胡桃澤は想像していた。

 おそらく気があるのは田中の方だろう。

 下手に強引に迫って、失敗するのを恐れているようだ。

 まるで初恋の中学生を思わせる。

 田中の返答を聞かないうちに真奈美がボトルと氷を持ってくるのが見えた。二人が飲むのはいつも決まってジャック・ダニエルだ。

「私も一杯もらっていい?」

 甘えた声に上目遣いで聞いてくる真奈美に、胡桃澤は「どうぞ」と答え、煙草をくわえる。田中がそれを見て「真奈美。火!」と指示を出し、慌てながら彼女はライターで火を差し出した。

「ありがとう」

 胡桃澤は彼女が差し出す火に、顔を寄せる。

 ライターを持つ真奈美の指先には、イメージとは少し違ったマニキュアが見えた。可愛らしい四分音符が三つ描かれたメルヘンなデザインだ。

 それを見た胡桃澤は苦笑し、煙を一気に吐き出した。

「そのマニキュア、可愛いね」

「あ、気づいてくれました? これやってもらうの高かったんですよー。でもデザインが気にいっちゃったから。いつも四朗さんは気づいてくれないけど」

「そういう趣味なんだね」

「あら、いい年して似合わないと言いたいのかしら?」

 笑みを浮かべながらも棘のある真奈美の言い方に、田中の心中は穏やかではなかった。だが、普段からあまり笑うことの少ない胡桃澤が楽しそうにしているところから、これも大人の会話であると解釈した。

 どちらにしても情報を得るには、真奈美の機嫌を損ねるわけにはいかない。同様に、胡桃澤からも協力を拒否されるわけにいかなかった田中は、熱くもないのに額にはうっすらと汗が滲んでいた。

 グラスにウイスキーが注がれ、乾杯をすると田中はすぐさま本題に入った。

「それで、仙石って奴のことだけどさ。今日ここに来るんだろ」

「うん。電話しといた。来るのは一人って言ってたけど、どうすればいいの?」

「前に言ったろ、猫柳って女のこと。あの女が貸金庫に預けているブツが、いつ引き出されるかが知りたいんだ。なんとか話を聞きだしてくれよ」

 胡桃澤はグラスに口をつけながら、黙って二人のやり取りを見ていた。

 カルテの件は、やはり脅迫ではなく、彼女にお願いをして頼んだようだ。

「でも、仙石さんて銀行員でしょ? そんな簡単に聞き出せると思わないけど」

「だから、まず話の流れを作れ」

「どうやって」

 真奈美はウイスキーの水割りを一口飲むと、人差し指を頬にあてた体制で田中を見る。難題を突きつけた田中に、ふてくされた顔だ。

「まずはこうだ。お前はお客さんからプレゼントされた貴金属とかがたくさんあるが、そんなに使うこともないし、家に置いておくのも不安だと言え。そうすれば仙石が貸金庫の話を持ち出すはずだ。それから偶然、病院で猫柳と仙石が話をしていたこと見たと男女関係を仄めかして、仙石に女がいるか確認しろ。情報では仙石は独身のはずだ」

 そこで胡桃澤が口をはさんだ。

「おい。そんな話をすれば、仙石は真奈美ちゃんが自分を誘っていると勘違いするんじゃないか? もしそうなったら情報は得られても、真奈美ちゃんは取られる心配があるぞ。これは新たな問題に発展しないか?」

「え? そんな、大丈夫っすよ先輩」

 田中が真奈美の方を見ると、彼女はあらぬ方向を見ながら「たしかに、仙石さんてちょっとワイルドで知的なとこあるわよねぇ」とつぶやいた。

 田中は口を半開きにしたまま、ロボットのようなぎこちない動作で胡桃澤に助けを求める。やれやれという表情で、彼は真奈美の方へ前のめりになる。

「とりあえず、真奈美ちゃんは猫柳と仙石の関係に迫ってみればいい。仙石の風貌からしても銀行ではそれなり立場がある人間のようだ。だが、所詮は彼も男だ。君みたいな魅力的な女性から誘われたら関係を隠してでも近づきたくなるだろう。君は他の女がいるのなら関係を持ちたくないと訴えれば、猫柳とは仕事の関係だと打ち明けるに違いない。そこからは少し突っ込んだ詳細が探れるんじゃないかな? 万が一、強引にホテルにでも連れていかれそうになったら、しこたま酒でも飲ませて眠らせれば問題ないだろう」

 胡桃澤の計画に大きくうなずいた田中は、アリゲーターのセカンドバッグに手を突っ込むと、小さく折り畳んだ紙を真奈美に手渡す。

 どうやら薬包紙のようだ。

「酒だけじゃ、ちゃんと眠るかわかんないから、これを使いな」

「何これ?」

「睡眠薬。俺も不眠症だったことがあるから」

 よほど真奈美を仙石に取られたくないらしい。

 胡桃澤はその微笑ましい光景を横目に、店の入り口に目をやった。

 そこには、おそらくオーダーメイドで発注したであろう、体にぴったりとフィットしたスーツに身を纏う仙石の姿が目に入った。

 テーブルの下で、胡桃澤が田中の靴を蹴った。

 田中は驚いて胡桃澤の顔を見ると、彼が顎で指した先に仙石の姿があるのにようやく気づいた。仙石の方も真奈美の姿を探しているようで、彼女と目が合うとにこやかに手を上げる。そして指で拳銃の形を作ると、ウインクしながら撃つふりをする。行動がいちいち気障だ。

 真奈美も、笑いながら軽く手を振った。

「じゃあ、ちょっと行ってくるね」

 名残惜しそうな田中を置いて、彼女は仙石のところへ向かう。

 彼女の「仙石さん!」という声は、二人と話していたときよりも一オクターブ高い猫なで声に聞こえた。その、まんざらでもない彼女の様子に田中は「あれ、演技ですかね?」と胡桃澤に聞く。

「彼女は役者だな。演技がうまい」

 そう言いながら、彼は空になったグラスに自分でウイスキーを注ぐ。

 琥珀色に満ちたグラスの中では、苦笑いをした彼が映っていた。


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