教会の死闘①
イグアスとの手合わせは、なんとも言えない雰囲気で終わった。
「戦れそうかよ」
体力の消耗を考え十五分前後で試合を終えると、赤眼の女が真面目な顔で問いかけてきた。ライグの剣を悉くかわしたりいなしたりしておきながら、疲れた様子もなく平然としているのはさすがだ。
「なんとかな。付き合ってくれてありがとう、イグアス。やはり、君のように素早くて目が良い相手には、下手に突っ込んでいかない方が良いとわかったよ。それだけでも良い収穫だ」
「あんたは戦法が正統すぎて、次の動きが予測しやすいんだ。気ぃつけな。剣術の型にあまり拘らないようにしとけ」
イグアスは端的に有益な指摘を残し、さっさとライグから離れていった。相変わらず逞しくさばさばした女性だ。
夕闇が辺りを覆い、打ち捨てられた教会に静寂が満ちる頃、ライグたちはアルトネア皇帝の刺客に備え、それぞれの持ち場につくことにした。
各々が作戦で決められた場所に向かおうとする中、バレンシアが少し急いた様子でライグの袖を引き、仲間たちから離れた側廊の柱の裏に移動する。バレンシアに続いて柱の影に隠れたライグは、不思議そうに問いかけた。
「どうしたんだ? そろそろヨアンとの戦いに備えないと。なにか、皆の前じゃ言いにくいことでもあるのか?」
「その通りなのよ、ライグ」
バレンシアは微かな笑みと共に答え、ライグにぴったりと身を寄せてきた。ライグは動揺したものの、敵襲を前に緊張と不安が高まっているのだろうかと思い、安心させるようにそっとバレンシアの肩に手を回した。
すると、バレンシアが小さな声で何事かを呟き始めた。
魔術には疎いライグだが、それがなにかしらの呪文のようなものだと気づき、少し身を固くする。決してバレンシアを訝しんでいるわけではないが、なにをしようとしているかわからない以上、多少身構えてしまう。
バレンシアがライグの胸元に手の平を近づけ、ゆっくり呪文を唱えながら円を描くように動かす。
ライグの体に小さなぴりっとした衝撃が走った。なにか術をかけられたようだ。
ライグは、驚きに目を見開いてバレンシアを見つめた。しかし、彼が言葉を発するより先にバレンシアが早口に言った。
「“巻き戻し”の加護よ。これからしばらくの間、私が術を密かに発動している間は、貴方が怪我を負ったとしても元の状態に“復元”できるの。大丈夫、決して危ない魔術じゃないから」
「つまり、傷が高速で治る状態だということか?」
ライグの質問に、バレンシアはこくりと頷く。
「詳しく説明すると長くなっちゃうから割愛するけど、だいたいそんなところね。とりあえず、私が貴方に術をかけ続けている間は、たとえ重症を負ったとしてもある程度治してあげられる。完全には修復できないかもしれないけど、それでも充分な効果は期待できるわ」
ライグは、バレンシアがこっそり自分だけを呼び出した真意を嗅ぎとり、複雑な気持ちになる。「もしかしなくとも、巻き戻しの術はけっこうな魔力消耗に繋がるんだな?」
バレンシアは少し困った顔になった。
「うう~ん、気づかれちゃったのね。確かに、この《事象復元》はけっこう神経を遣うわ。私の腕前じゃ、一度に複数人には施せない。だから、せめて前線に出る貴方だけでも……と思って」
ライグはバレンシアの両肩に手をおき、言い聞かせる口調で語りかける。
「なぁ、バレンシア、無理はしないでくれ。確かに君の気持ちは嬉しいが、俺なら大丈夫だから。君には、自分の安全を優先的に考えてほしいんだ」
しかし、バレンシアを案じるライグとは対照的に、当の本人は前向きな表情をしていた。
「ふふ、ありがとう。でもね、私が貴方を守ろうとするのは私自身のためでもあるのよ? 貴方が死んでしまったら、私、きっと一生悔やんでも悔やみきれない。そんなことになるのは、どうしても嫌なの」
「それは俺も同じ……!」
バレンシアは、ライグの唇に人差し指を当てて彼の発言を制した。小柄な魔導師は首を傾げ、どこか挑戦的な眼差しを送る。
はらりと揺れて顔にかかった黒髪と、彼女の凛とした表情が美しくて、ライグは喉元まで出かかった抗議の言葉を飲み込んだ。
「今の貴方は、私の加護がある限りどこまでも強靭よ。不倒の戦士なのよ」バレンシアは強気に続けた。
「だから、体が動く間は、どうか勇敢に戦って。仲間を、私を、守って。私たちは、なにがなんでもヨアンに勝たなきゃならないの。そして、皆で生き延びて、それぞれの目的を果たすのよ。そのためなら――この魔力、最大限に活用させてもらうわ」
「バレンシア……」
ライグはしばし逡巡したが、この場においては、彼女の意見が尤もだろうという結論に至った。
バレンシアの時魔導は、ヨアンを打ち破る切り札となり得る強力なもの。きっと、仲間全体の大いなる助けとなる。
この局面を乗りきるためには、彼女にも戦ってもらわなければならない。
「……わかった。魔術による支援、頼んだぞ。前衛は俺に任せろ。君のことは、俺が必ず守る」
ライグの重々しい宣言に、バレンシアはふわりと微笑んだ。
ライグはバレンシアの左手をそっと握り、仲間の元へ手を引いていく。バレンシアはライグの大きな手を握り返し、二人で並んで仲間の元へと戻っていった。
伯父であるバフラと、従兄弟であるウラジーミル。
皇帝グロザーの杞憂である双方が、今、うらぶれた廃教会に身を潜めている。
ヨアンは、フォルト市街の空き家の窓から、丘の上に佇む教会を監視していた。
グロザーの実子であり隠密活動に秀でるヨアンは、各地でかき集めた情報から二人の動向を突き止め、ついに接触できるところまで迫っていた。
そして、見つけ出した二人を仕留めるべく、手負いのサバーカを連れてフォルトの地まで足を運んだ。ようやく二つの憂鬱の種を潰せると思うと、ほっとする。
(しかし……)
相手はウラジーミルとバフラだけではないらしい。
彼らの側には、他に、四人。そのうちの三人……フレーザー一族とおぼしき男女と、ニグミ族の血を引くと思われる女は、ヨアンが初めて見る顔だ。
もう一人、褐色肌の青年には見覚えがあった。かつて、ヨアンとアンナがファンブリーナで皇女アネリを拐おうとしたとき、妨害してきたニグミ族の若者だ。
まさか、皇女を取り戻しにきたか――? そんな馬鹿げた無謀が頭をよぎり、ヨアンは微かに口角を上げた。そうだとしても、そうでなくとも、まさかあの青年に再会するとは思っていなかったので、どうにも可笑しくて笑える。
しかし、呑気に運命の悪戯を楽しんでいる場合ではない。
(数で負ける上に、敵方の二人がニグミ族とは。それに、あのフレーザー一族の男女は、どんな能力を隠しているか測れない)
どう切り込んだものか。
闇討ちを得意とするヨアンであっても、あのような見晴らしの良い場所に陣取られてしまっては迂闊に近づけなかった。相手の能力も未知数とあれば、なおさらのこと。
それに加え、赤い瞳の女とニグミ族の青年が教会周辺を警戒している姿を確認していた。ニグミ族の五感というのは馬鹿にならないので、気づかれずに近づくのは至難の技だろう。
ヨアンは、自分の足元で羽を休める相棒――ゴーグランドを見た。先日の連合軍襲撃の際、帝国の弓士に射たれた傷がまだ癒えておらず、今も大儀そうにしている。
灰色の毛皮と従順な性質を持つゴーグランドは、主であるヨアンに注視されると、潤んだ瞳でじっと見つめ返してきた。目の回りが仄かに赤らんでおり、体力的にかなり無理をしているのが見てとれた。
ヨアンはゴーグランドの前にかがみ、健気な獣の頭をそっと撫でる。胸中に、「サバーカなど所詮道具だ」という声と、「これ以上ゴーグランドを酷使するのは忍びない」という声、相反する二つが響く。
彼は沈思した。
どちらにしろ、このまま教会を見張っていても仕方ない。それはわかっている。
厄介者であるウラジーミルたちを始末する任を果たすため、多少の危険を犯してでも行動に出るしかなかった。
「……行くぞ」
ヨアンの一言で、ゴーグランドは大人しく立ち上がった。黒衣の青年は、慣れた動作でサバーカを従え、できるだけ目立たない場所から飛び立つために移動を開始した。
相手の警戒体制が判明している以上、下手に小細工はしない。
磨き上げた暗殺術を駆使し、できるだけ迅速に鏖殺する。それだけだ。
先に異変に気づいたのは、飴色の髪を寒風になびかせるイグアスだった。
「……案の定、速攻でくるか」
この月夜では、どんなに隠密に優れるヨアンであっても、己の姿を晒して近づくしかない。イグアスは、ニグミ族特有の高い視力で、町の建物の影を縫って現れたヨアンの姿をはっきりととらえた。
「ティリンス! 中の奴らに敵襲を伝えろ!」
イグアスが声を張ると、教会の裏手を見張っていたティリンスがすっ飛んでくる。
「ヨアンが来たの……!?」
街育ちでもさすがニグミ族、尋常じゃない脚力だ。
約三百メートル離れた辺り、町の上空をサバーカと共に飛行するヨアンを認め、ニグミ族の青年はあからさまにまごついた。
ヨアンが駆るサバーカの姿は、みるみるうちに大きくなる。凄まじい勢いで近づいてきている証だ。
「ぼさっとすんじゃねぇ! さっさと教会の仲間に知らせろ! サバーカとヨアンが近づいてるってな!」
イグアスが鋭く声を張った。怯えた顔のティリンスは「わ、わかったよ!」と答えるやいなや、背後の教会へ向かって疾走する。
さほど離れていなかったので、ティリンスはすぐに仲間が待つ教会へとたどり着き、重たい扉をなんなく開け放って転がり込んだ。
「来たよ! サバーカに乗って近づいてきてる! すごい速さだから、すぐに準備して!」
内部へ入るとき勢い余って前転したが、ティリンスは即座に体勢を立て直し警告した。
室内にいた仲間たち、ライグ、バレンシア、ウラジーミル、バフラの間を緊張が駆け抜ける。
「わかった。君も、迎え撃つ準備を!」
そう返答した蒼髪の王子は、建物の脇にある教会二階へと続く細い階段を素早く駆け上がっていく。手はず通りだ。
「下からくるか、上からくるかが問題だな」
ライグは剣を抜き放ち、唇をほとんど開かず細く鋭く息を吐き出した。ふーっ、と空気が吹き出される音がする。それがライグの戦闘前の動作だと知っていたティリンスは、感覚的に迫りくる衝突を感じとり、身を震わせる。
彼は再び扉を押し開け、勢いよく外に出た。
ティリンスの視界が周囲の景色を認識したとき、既に状況は動いていた。
教会が建つ丘陵、教会から少し離れた雪の上に、サバーカの影が落ちている。サバーカは教会の屋根ほどの高さを維持し、滑るようにこちらへ近づいてくる。
サバーカを操っていた黒衣の男は、獣の背から四肢を離し空に身を投げた。
サバーカを飛び下り、地上から攻める気だ。
ヨアンは鮮やかな身のこなしで雪の上に降り立つと、即座に次の行動に移った。
彼は、迷いを感じさせない動きで懐から細身の剣を引き抜きながら駛走し、教会に近づけまいと立ち塞がるイグアスに向かっていく。
「イグアスッ!」
ティリンスは、ヨアンとイグアスが交戦すればどちらかが死ぬと感じた。それほどに、双方の殺気は禍々しかった。
ヨアンとの接触が迫った際、斬り込み役に最適だとされたのはイグアスだ。間違いなく仲間内で尤も高い戦闘力を持っているし、ヨアンにとっては戦い慣れないニグミ族である。陽動としても、牽制としても、彼女が相応しいだろうということでまとまった。
それに、イグアスはウラジーミルを守ると誓っている。ヨアンが彼に危害を加えようとするなら、真っ先に喉笛に噛みついていくだろう。
実際、ヨアンを前にしたイグアスの闘気は恐ろしいほどだった。
イグアスは、ヨアンが地上に降りて駆け出した時点で、その場で迎撃する覚悟を決めたようだ。
教会まで誘い込んで多人数で攻撃するという案が最良となっていたのだが、ヨアンが迫る状況で背を向けて教会へ引き返すのは逆に難しいだろう。こうなってしまっては、この場で迎え撃つしかない。
イグアスが自分の行く手を阻むつもりだと見て、ヨアンは左手を水平に振る動作をした。
金属質な煌めきが空を滑る。ヨアンがファンブリーナで使った投針を放ったのだと気づき、ティリンスの背が凍りつく。
が、イグアスの反応の速さはティリンスの予想以上だった。
彼女は一、二本を身を屈めてかわすと、残る数本はダガーで叩き落としてみせた。こちらに飛んでくる細い投擲武器を空中で弾き落とすなど、常人には真似できない芸当だ。
針が通用しないとわかり、ヨアンは右手の剣で鋭い刺突攻撃を繰り出す。
イグアスは後方転回しながら飛び退き、その際足先でヨアンが突き出した右手を蹴り上げようとした。
相手はイグアスの脚の軌道に気づき、右手を外側に逃がして彼女の攻撃をかわした。もし蹴りをまとも食らっていれば、複雑骨折は免れなかっただろう。
長身の男は、イグアスに接触するチャンスを見逃さず、左手で彼女の足首を掴んだ。
イグアスの体は足を掴むヨアンに手繰り寄せられ、ぐんと空を滑る。
相手が女であることなどお構いなしに、青年は赤眼の獣を地面に叩き込んだ。
辺りに雪が弾け、白い粉塵が舞う。イグアスは受け身をとっていたが、なかなか強い打撃を受けたようだ。
彼女は即座にその場から離れようと試みたが、彼女が体勢を立て直すより先に、身長二メートル近いヨアンが覆い被さるように彼女の行動を制止する。
動きを制され、イグアスは表情を強張らせた。
ヨアンは、言葉もなく相手の喉にダガーを振り下ろす。
しかし――イグアスも伊達にニグミ族ではない。
彼女は、体躯からは想像もつかないほどの腕力と瞬発力で、ヨアンに押さえつけられていた上体を跳ね起こし、相手の体を押し上げる。
ヨアンの胸元にイグアス渾身の頭突きが入り、男は衝撃で後方に押し飛ばされた。その隙をついて、イグアスは素早く飛び起きヨアンから逃れた。
ヨアンも、イグアスから次の攻撃を受ける前に距離を離していく。
イグアスとヨアンは、十分な間合いをとって互いを注視したまま、しばし乱れた呼吸を整えていた。どうやら二人の力量は拮抗しているらしく、下手は踏めないと見たようだ。
ヨアンとの戦いは、長期戦になるかもしれない。
そう感じたティリンスは、イグアスに加担するべく駆け寄ろうとした。
「ティリンス。てめぇは教会に戻れ」
イグアスが背を向けたまま、ぼそりと命じた。
ティリンスは、一瞬意味がわからずその場で硬直する。
「僕も一緒に戦う! 君一人じゃ危険だよ!」
イグアスをむざむざ目の前で殺されるわけにはいかない、という想いがティリンスの口をついた。しかし、イグアスは全く妥協するそぶりはなく、小さく首を横に振った。
「つべこべ言わずに戻れ。お前がいちゃ戦り辛いんだよ。それに、もしあたしがやられたら、誰があとの仲間を守る?」
――それは、僕に仲間を守って戦う役目を任せるってことなのか?
ティリンスは、重大な使命を言い渡され、臆病な少年のように情けない顔をする。
彼はイグアスの背と、イグアスと睨み合うヨアンの姿を見た。
漆黒の夜の闇よりも暗い、感情を削ぎ落とした黒い瞳。ヨアンは、かつて見たときと変わらず不気味なオーラを放っていた。
あんな男と、イグアスを二人で戦わせるなんて。
だが、彼女が言うように、ここでイグアスとティリンス両方が倒れるわけにはいかない。仮にも二人はニグミ族で、常人を上回る身体能力を有している。彼らの力は、暗殺に長けたヨアンに対抗するために必要なのだ。
ここでもたつくのは賢くないと思い至り、ティリンスはなんとか気持ちを割り切った。
「……任せたよ」
苦しげにそう絞り出し、ヨアンを警戒しながら、教会に向かってじりじりと後退を開始する。
それを見ていたヨアンが、酷薄な冷笑を浮かべた。
「ティリンスといったな……お前に邪魔されるのもそろそろ飽きてきたぞ。悪いが、ここらで暴挙に出るとしよう」
予想外の言葉に、ニグミ族の二人が眉根を寄せた――そのときだった。
ばさっばさっという、空を切る羽音が響く。
ティリンスは、とっさに音の方向を確認した。
聞き間違いようのない翼の音は、ティリンスたちの後方、不毛の雪原から聞こえてくる。
振り返ったティリンスは、闇夜に翼をはためかす二体の獣の姿を見た。
一体は、飛び去ったと思っていたゴーグランド。
もう一体は、蒼髪の少女を乗せた蒼毛のサバーカ――プラトナだ。
(まさか、アンナもここに――!?)
ヨアンとたびたび行動を共にするアンナの存在を、完全に失念していたわけではない。
だが、バフラの情報では、襲撃に来るのはヨアンだけだろうとのことだった。開戦が迫っているのだ、妹のアンナは父王についているのだろうとも考えられた。
それが、このタイミングで現れるとは。
ヨアンが現れたことにより、イグアスとティリンスは後方の警戒が疎かになっていた。きっと、兄妹はそれを狙っていたのだろう。
おかげで、この距離になるまでイグアスたちはアンナの接近に気づけなかったのだ。
「ゴーグランド! 行け!」
ヨアンが威令を下す。
忠実な僕であるゴーグランドは、唸り声を上げながら、砲丸のような勢いで教会のステンドグラスへ向かっていく。
そして――盛大にガラス片を散らせながら、教会の窓を突き破った。




