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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第二部 アルトネア制圧戦
72/76

動き出す戦士たち


 連合軍が動いたらしいとの報が飛び、緊張がアルトネア国内で高まる中、ライグたちは王都ジスタを目指す旅を続行していた。

 旅の途中立ち寄った小さな町、フォルトの人々は、皆一様に怯えた様子で荷物をまとめたり旅支度を整えたり、いつでも戦火から逃げ出せるように備えている。

 進軍の噂が民の生活を脅かしている事実が、ライグの胸に鈍い痛みと漫然とした不安を与えていた。

 ライグたちは今、フォルトを発つ準備をしている。ここ最近の追い上げで王都ジスタへの距離はかなり縮んだが、本格的な開戦の前に辿り着けるかどうかは怪しい。

 王都では、皇帝であるグロザー自ら戦線に赴く準備を進めていると聞く。それは、グロザーやその息子たちに用のあるウラジーミル、ティリンスにとっては望ましい事態ではなかった。

 寒空の下、市壁の旁で気を揉みながら一人の男を待つ一行。この場にいるのはライグ、バレンシア、ティリンス、ウラジーミルとイグアス、そしてスズダリだ。

「遅いぞ」

 堪えきれなくなったウラジーミルがこぼした。

「情報を集めると出て行ったのはいいが、今日の昼にはこの町を発つと言っていたじゃないか。叔父貴はどこで遊び呆けているんだ?」

「もしかして、厄介事に巻き込まれたのかな」

 心配性なティリンスが不安そうな顔で言ったが、イグアスが即座に否定した。

「あのおっさんがそう簡単にへまをやらかす柄じゃないのは知ってるだろ。なに食わぬ顔でふらっと戻ってくるさ」

 彼女がそう言った矢先、上空に動きがあった。

 ライグが顔を上げ曇り空を確認すると、遠方にサバーカの姿が目視できた。

 サバーカは滑空しながらライグたちに接近し、ふわりと着地して大きな翼を畳む。いつ見ても流麗な挙動だ。

「良い知らせと悪い知らせがあるぜ」

 サバーカから飛び降りながら、黒い外套に身を包んだ小柄な男――バフラが告げた。

「良い知らせと悪い知らせ?」

「良い知らせは、『皇帝陛下はまだしばらくは王都にいるだろう』ってこと。悪い知らせは……」

 ウラジーミルの問いかけに早口で答えると、バフラはライグの脇を通り抜けスズダリの前で立ち止まり、行儀良くしている獣の鼻先に何かを突きつけた。ウラジーミルが不快感を顕にバフラの手を掴んで咎めようとしたが、バフラが手にしているものを見て言葉を飲んだ。

 バフラが手にしているのは布のはし切れのようだ。よく見ると血痕らしきものが付着している。

 長年の軍人としての経験から、ライグは傷口を覆っていた包帯の一部だろうと判別した。

「誰の血だ」ウラジーミルが慎重に尋ねる。バフラは片眉を吊り上げ、ウラジーミルではなくスズダリに言葉を投げかけた。

「デルベント……じゃあねーな」

 スズダリは興味深そうに布をくんくんと嗅いでいる。

「プトラナか」

 プトラナ、という単語にスズダリの耳がぴくりと反応した。しかし、すぐにまた布に関心が戻っていく。

「ゴーグランド」

 バフラの三度目の投げかけに、スズダリはこれまでとは違った反応を示した。白いサバーカは首を傾げ、じっとバフラの顔を見入る。

「ゴーグランド」

 はっきりした発音でバフラがもう一度言うと、スズダリは鼻先を布に擦り付ける動作をして、再びバフラに窺うような視線を送った。

 その様子を見たライグは、スズダリが匂いとゴーグランドという単語に何かしらの接点を見出だしたのだと感づき、サバーカの有能さに感嘆する。

 バレンシアがスズダリを撫でた。

「すごいわ、スズダリはその血痕が誰のものかわかっているのね。ゴーグランドとは何者なの?」

「人じゃないよ。王家で飼っているサバーカの名前なんだ」

 ウラジーミルは少し悲しげな顔で答えつつ、見事に匂いの主を嗅ぎ当てたスズダリの顎下をくすぐった。

 バフラは自身の鼻でもう一度匂いを確認し、さっきから呆気にとられているライグたちに説明した。

「サバーカの血の匂いは人間のそれとはちと違うんだ。ある程度訓練すればわかるようになる」

「しかし、何故王家のサバーカの血だとわかったんだ? そもそも、布はどこで手に入れた?」

 バフラがこういった活動に長けることは元より承知だが、予想以上の手練れぶりにライグは驚嘆していた。

 バフラは意地悪く笑う。

「布に染み込んだ治療薬の匂い、そいつは王家に古くから伝わる止血薬だ。ゴーグランドは、傷口が完全に塞がる間もなくこき使われてるんだろうよ」

「酷い話だ。サバーカは道具ではないのに」

 ウラジーミルが独り言つ。蒼髪の王子は愛犬家なのだ。

「布は」バフラが続ける。

「ここから少し行ったところにある狗屋のテント周辺に落ちてた。狗屋ってのは、サバーカで旅をする者なら誰もが厄介になる連中でね。旅の必需品や足の提供、サバーカの世話、あらゆることを請け負ってくれるからな」

 バフラの話では、昨日の夕刻、前足に傷を負ったサバーカを連れた男が狗屋の前に現れ、食糧を買っていったのだと言う。

 狗屋はサバーカの傷を心配し包帯を取り替えた方がいいと言ったが、男は特に治療は頼まずすぐにサバーカを連れて去ったらしい。その時、恐らく包帯の切れ端が落ちたか、意図的に飼い主の男が切り捨てたか、とバフラは推測した。

 バフラとウラジーミルは、既に男の正体は予想できているようだ。ティリンスはそわそわと落ち着きなく二人の顔を伺っていたが、意を決してある名を口にした。

「ゴーグランドを連れていたのはヨアン……かな」

 バフラはまじまじとティリンスを見つめ、少し声のトーンを落とす。

「案の上面は隠していてよく見えなかったらしいがね。ファンブリーナで見た、皇女を誘拐した男のことは、今でも恨めしいか?」

「そうじゃないといえば嘘になるかな」

 ティリンスの声には固い響きが含まれた。ライグはまだヨアンなる人物を見たことがないが、ティリンスの誘拐犯への敵意はなかなか強いものらしい。

「ヨアンがサバーカの身を案じるような男ではないのは、昔からだ。ともかく、あの兄妹がこそこそ不穏な動きをしていることはよくわかった」

 ウラジーミルは難しい顔で黙り込んだのち、少し言いにくそうに仲間たちに告げる。

「私が追われている身なのは皆も知っているだろう。戦争の混乱に紛れたら多少は誤魔化せるかと思ったが、グロザーはなかなか用心深い男でな。もしヨアンが私やバフラ殿の行方を調べているのだとすれば、ここにいる全員に危険が及ぶかもしれない」

「駄目だぞ、あたしたちと別れて単独行動するなんてのは」

 最後まで言わせずにイグアスが遮った。

 ライグもティリンスもバレンシアも、同意を込めてうんうんと頷く。王子は半ば呆れつつ苦笑した。

「やれやれ、揃いも揃ってお人好しなんだな。わかっているのか? 私がいなくとも、ジスタに辿り着くことは可能だぞ」

「君が死んでしまっては意味がないんだ。俺は、アルトネアの王になるという君に賭けているからな」

 ライグの言葉に、ウラジーミルは驚いた顔を向ける。

 ライグは現在の自分の考えを告げていなかったことに気づき、ここで一度話しておくべきだと思った。

「俺が帝国という国に忠誠を誓い、帝国の未来を守りたいと願っていること、それは知っているな?」

「ああ」ウラジーミルは穏やかに応じる。ライグは自分の希望を語ることに妙な緊張感を抱きながらも、しっかりとした口調で続けた。

「俺はこの旅の中で、あることに気づいたんだ。国を守るということは、“帝国という一国”に縛られていては成し得ないことなのかもしれないと。俺は今まで、国家を守るとは、敵国と戦い敵国を打ち倒すこと、それが唯一だと思っていた。しかし、それでは根本的に何も解決しない……つまり、国を蝕む争いと殺戮は止められない」

 戦争があるから兵が死ぬ。国が疲弊する。民が惑う。なぜこんな簡単なことに今まで気づかなかったのだろうか。いつからか、皇国に勝つ――それだけが帝国を守る術なのだと思い込んでいた。

 しかし、様々な生い立ちの仲間と旅を続けるうち――フレーザー一族とは違う者たちと出逢うたび――ライグは、これまでの自分の考えがいかに一辺倒であるかを知った。皇国を滅ぼす以外にも祖国を守る道があるのかもしれないと、新たな可能性に目を向けるようになっていた。

 ライグの前に立ちはだかっていたはずの、皇国という名の強大な絶望は、徐々にその姿を変えつつある。

 帝国も、皇国も、アルトネアも、それぞれがそれぞれの信念と理想の元に戦っている。皇国は絶対悪ではなく、己の祖国も絶対的な正義ではないという、単純な事実にようやく気づいた。

 この仲間たちと旅をするうちに、気づくことができたのだ。

「俺は、三国が歩み寄り協調することが帝国の未来に繋がると感じた。そのためには、アルトネアを先導する新たな王が必要だろう。……ウラジーミル。君がアルトネアの王になれば、三国の未来すら変えられるかもしれない。三国が共生する、泰平の世を実現できるはずだと感じているんだ」

 地下道でのガルアの言葉が脳裏に甦る。

 ガルアの元を飛び出したことで、結局はガルアと似たような結論に辿り着いたことに運命の皮肉を感じた。互いの行程に違いはあれど、三国が共存する未来を望んでいるのは彼も同じなのかもしれない。

 ライグの言葉を、ウラジーミルは真摯に受け止めた。

 彼は柔和な顔つきで、しかし決意を秘めた力強い眼差しで、帝国の忠臣を真っ直ぐに見返した。

「貴方の想い、しかと受け取ったよ。今は、私も同じ気持ちだ。三国が共存する未来を、戦なき世界を願っている。それぞれ国も生まれも違うけれど……私たちが目指す未来はきっと同じだ」

 ウラジーミルが、ライグに向けて左手を差し出す。

「共に戦おうじゃないか。勇敢なる我が友、高潔なる戦士。ライグ・ダンバー」

 ライグは微笑し、王子の手を敬意を込めて握り返した。

 そんなライグとウラジーミルに、バレンシアとティリンスは小さな拍手で賛同を示す。イグアスも、にっと頼りがいのある笑みを見せた。

「ライグ、ウラジーミル。私も貴方たちと一緒に行くわ」

 バレンシアがライグに身を寄せ、誇らしげに微笑んだ。ライグは、バレンシアが自分の決意を受け入れてくれことに安堵する。

「ありがとう、バレンシア。俺の覚悟を、道を、信じてくれて。君が共にいてくれるなら、俺はどんな苦難だって乗り越えていけるよ」

 彼女が自分と共に歩んでくれるのは、幸福ですらある。自分は本当に良き仲間に恵まれている。ライグは、じわりと胸が熱くなるのを感じた。

 ウラジーミルが一同を見回し、決然たる顔つきで告げた。

「もしヨアンが私たちを狙っているのだとすれば、これは逆に好機だ。グロザーに近づく材料になるかもしれない」

 王子の強気な発言を受け、イグアスが挑発的な笑みを浮かべる。皇女誘拐犯であるヨアンを追うティリンスも、緊張と覚悟をない交ぜにした表情を見せた。

「逆に僕たちがヨアンを捕らえてやろう。今度は絶対、逃がしはしない」

 一同が意気込む中、バフラだけはしゃあしゃあと嫌味を述べた。

「若者が血気盛んなのは良いことだぜ。くたびれたおっさんは、せいぜいヨアンに殺られないように気を付けとくよ」

 相変わらず飄々としているものの、バフラの顔には明らかに疲労の色が見える。そんなバフラは普段よりさらに小柄に感じ、ライグは珍しく彼を少し気遣った。

「ゴーグランドを突き止めるのに苦労したようだな。有益な情報をありがとう、助かったよ」

「感謝される筋合いはねぇや。自分のためにやってることでもあるからな」

 やはりよくわからない男だ。バフラは借りてきたとおぼしきサバーカを引きながら、町の方へ足を向けた。

「とりあえず、今日この町を発つのは得策じゃないだろう。ヨアンがこの辺りをうろついてるんだとすれば、野外は余計に危険だ。外に居れば頭上から矢雨を降らされる。屋内で固まって警戒してた方が安全だと思うぜ」

 ヨアンとの接触が現実味を帯びてきて、ライグは久しぶりの戦闘の予感に指先がうねるような感覚を覚えた。右手はほぼ完治したが、腕を負傷して以来本格的な戦闘は経験していないので、多少鈍っているかもしれない。

 ライグは慣れ浸しんだ剣の柄を握り、静かにざわめく心を抑えながら平静に努めた。

「ヨアンは隠密と暗器の扱いに長けると聞いた。気は抜けんな」

「さしでやればあんたが負けると思うぜ、軍曹」

 バフラが容赦なく言い放つ。ライグはむっとしたが言い返すのを堪え、バフラの後に着いて仲間と共に町に向かって歩き始めた。




 全員で相談した結果、今晩は空き家となった教会に身を潜めることにした。教会は町外れの丘にあり見晴らしも良いので、ヨアンを警戒し迎え撃つには一番適した場所ではないか、という話でまとまった。

 教会の牧師は、一週間ほど前にフォルトを出て行ったらしい。ジスタに程近いフォルトは連合軍に蹂躙される恐れがあると見て、この町を出てより安全な地へと向かう人々も多く、牧師もその一人だったようだ。

 ライグたちが教会の扉をこじ開け中に入ろうとしている場面に偶然遭遇した町民は、最初こそびくっとして目を見開いたものの、見て見ぬふりを決め込んでなにも言わずに通り過ぎて行った。この時勢だ、みんな自分のことで手一杯なのだろう。むやみに騒ぎ立てたくないライグたちにとっては、町民の無関心はむしろありがたかった。

「そういえば」

 ティリンスが思い出したように言う。

「ウラジーミル。君は、ヨアンはゼルカロだって言っていたよね。そして、君自身もゼルカロだと。だったら、鏡を使って簡単に家や部屋に侵入できるんじゃないの?」

「私の説明をあまり聞いていなかったようだな、ティリンス。ゼルカロといえど、どこにでも簡単に移動できるわけではないぞ。能力を使える状況はかなり限定的だ」

 ウラジーミルは穏やかに嗜めた。ティリンスが申し訳なさそうにしているのを見てくすりと微笑むと、王子は親切にゼルカロについて解説する。

「まず、ゼルカロが経由できる鏡は限られている。私たちが空間移動に使えるのは、アルトネアのごく一部でしか採れない特殊な素材を使用した鏡だけで、鏡にはある程度の大きさも必要だ。さらに条件はあって……おっと、これ以上は機密事項かな」

「俺を気にしてるんだったら、どうぞご遠慮なく。ゼルカロの能力はよ~く知ってるからよ」

 鍵をこじ開けるのに躍起になりつつも、バフラが冷静に返答した。

 ウラジーミルは肩を竦め、「仮にも貴方も王族だしな。知っているのも当然か」となぜか残念そうに言う。バフラはなかなか開かない鍵に対してか、生意気な甥に対してかわからない悪態をついた。

「もう一つの条件は、一度でもその鏡に姿を写したことがあるかどうか、だ。つまり、たとえ特殊に作られた鏡であっても、触れたことも見たこともないない鏡には移動できない」

 なんとも不思議な話ではあるが、ウラジーミルがそう言うならそうなのだろう。

 ティリンスはうんうんと頷き、ついで訝しげな表情を浮かべる。

「もしかして、バフラもゼルカロなの? 君の部屋にあった鏡、ヨアンたちはあれから現れた。つまり、あの鏡は特殊製だったってことだよね」

 ティリンスの柄にもなく鋭い発言を受けたバフラは、手を止めて青年を見返した。

 一同の視線がバフラに集まり、探り合うような気配が辺りに漂う。

 バフラは盛大に溜め息をつき、ティリンスの鼻先に指の欠けた右手を突きつける。

「あの鏡はゼルカロに高く売れるんだよ。競りや密売の盛んなファンブリーナでは、そういった代物も手に入るんだ。だが、俺が買い取った鏡は知らぬ間にヨアンたちに見つかってたらしい。だからあの鏡は手放したんだ……いつ何時、憎たらしい甥たちがひょっこり現れるとも限らない危険物だからな」

「つまり、貴方はゼルカロに高く売る、という目的でとある鏡を手に入れたが、結果的にヨアンたちに横取りされてしまったというわけか。しかし、ゼルカロに高く売りつけると言っても、そうそういるものじゃないだろう?」ウラジーミルがさらに追求する。

「お前さんたちが知らないだけで、アルトネアにはちらほら能力者がいるんだよ。能力を利用されることを恐れて、ゼルカロであることを隠してる連中が大半だが」

 バフラの言い訳はどうにも怪しい。それに、なぜファンブリーナが混乱していたあの時期に特殊な鏡を所持していたのか、という謎も残る。

 やはりこの男はヨアンたちと通じていて、ともすると、今もライグたちをまんまと罠に誘い入れようとしているのではないか?

 ライグの頭の中に疑念がぐるぐると渦巻く。しかし、ティリンスはライグの疑いにはあまり共感できないようだ。

「でも、バフラもあの時ヨアンから攻撃されていたんだ。不仲を演じている感じではなかった。だから、バフラとヨアンが協力関係だとは思えないんだけど……」

 ティリンスの擁護を受け、バフラはでかしたぞと言わんばかりににっかりと笑った。満面の笑みだと、歯並びの悪さが際立ってみっともない。

 ライグは、疑わしいバフラを信用しかけては信用するのを躊躇って、というのを繰り返していた。

 しかし、五感の鋭いイグアスによれば、今のところ教会内に人間の気配はないという。とりあえず、扉を開けた瞬間ヨアンに襲撃されるなんて危険はないだろう。

 そんなこんなで話したり疑ったりしているうちに、ようやく鍵が開き、一行は教会内に侵入することに成功した。

 内部は比較的整然としており、まだ人が生活していた名残を感じられた。

 しかし、打ち捨てられた教会というのは仄かに不気味で、どうにも落ち着かない。

 バレンシアも同じことを感じたらしく、じわじわとライグに近づいてそっと腕を絡めてきた。ときめいている場合ではないが、愛しい女性に頼られていると思うと力がみなぎってくる。

 それとなく胸を張るライグのふくらはぎを、イグアスが無言で軽く蹴りつけた。恐らく、ふぬけるなという警告だろう。彼女はやたらとライグに手厳しい。

「もしヨアンが攻撃してくるのだとすれば、今晩だろうな」

 ウラジーミルの言葉は確信に近かった。教会内を物色しながら、イグアスが頷く。

「たぶんあたしたちがこの町にいる目星はついてるんだろうし、手負いの相棒を連れてるなら早く蹴りをつけたいだろうな。そうでなくとも開戦間近だ……気が急いてる可能性は高い」

 襲撃は今夜の可能性が高い、か。

 まだ外は明るいが、日が落ちるのが早いこの地域では、夜の暗闇が長いのでうかうかしていられない。早速彼らは、戦闘時の手筈を確認する会議を始めた。

「ヨアンはああ見えて短気な野郎だからな。慎重さを要さない状況だと、力押しに走る傾向がありそうだ」

 バフラは案外冷静かつ合理的で、ウラジーミルが言っていた抜け目なさと洞察力が伺えた。バレンシアに扱える時魔導の術の種類を聞くと、

「なんだ、攻撃寄りの術はほとんど使えないのか。だが、時障壁と時外流隠蔽は使えそうだな……その術を基底に作戦を進めようぜ」

 とまで言った。

 知識が豊富なのはけっこうだが、こうも博学だと変に疑ってしまう。やはりこの男は、どこかの国の回し者ではないのだろうか。

 偶然ライグとウラジーミルの視線が噛み合い、二人は意味深に目配せする。王子もバフラへの警戒は怠っていないようだ。

 ヨアンがどうくるかはっきりしない以上作戦には不確定要素が多く、結局は臨機応変にやるしかなさそうだった。

 だいたいの流れが決まると、ライグは剣の腕が落ちていないか確認したいと思い始めた。

「イグアス、少しだけ俺に付き合ってくれないか」

 ライグが剣帯を外そうとしているのに気づいたイグアスは、目を細めつれない言葉を投げかけた。

「また腕を折られても知らねーぞ。それに、手合わせならウラジーミルに頼みな」

 この仲間の中で、剣を振るうのはライグとウラジーミルだけで、バレンシアは武術はからきしだし、ティリンスとバフラは主に短剣を得物にしているので、ライグとの試合には向かない。剣術の勘を取り戻すには、同じく長剣を扱うウラジーミルが妥当なのだが、相手が暗器の使い手であれば、素早く手数の多いイグアスで戦闘の感覚を掴んでおきたかった。

「この中で、一番ヨアンに近い戦い方をするは君だと思う。動きや攻撃を、少しでも見切れるように目を慣らしておきたい」

 これまでも試しに何度かイグアスと手合わせをしたことはあったが、やはりニグミ族の身体能力というのは凄まじいもので、防御に徹して攻撃を避けるだけでも苦しかった。だからこそ、イグアスの動きに少しでもついていけるようにしたいのだ。

「今更何してもしょうがねーと思うけどな」

 バフラはまるで緊張の欠片もなかったが、二人の試合を見物するつもりらしく、長椅子に寝転びにやにやとライグたちを見ている。

 ライグの脳裏に、闘技場での光景がよぎった。あの時も、こうしてバフラに見物されていた。

 この男は、いつも俺の足掻きを面白がっているように感じられる。

 そう感じつつも、ライグはイグアスと向き合う。

 イグアスも受けて立つ気はあるようだ。早くかかってこい、と言わんばかりに目で圧をかけてくる。

「ライグもイグアスも無理はしないで。あくまで準備運動のつもりで、ね。ここで怪我をしちゃ笑えないわ」

 バレンシアが心配そうに言うので、ライグは思わず苦笑した。

「それは俺も彼女もよくわかってるさ。大丈夫だ、君は必ず俺が守る」

「それは私もよくわかってるわよ? 頼りにしてるわ、ライグ」

 バレンシアと熱い視線を交わしていると、イグアスが怒声と共に瓦礫を投げつけてきたので、ライグは気を引き締め直した。彼女は、ライグが幸せに浸っていると腹が立つみたいだ。

「こんなときにのろけてたら死ぬぞ! へらへらするなデカブツ軍曹!」

「のろけているわけじゃない。大事なときだからこそ彼女を側で感じていたいん――」

 ライグの台詞が終わらないうちに、イグアスが仕掛けてきた。ライグの耳に、バフラがゲラゲラ笑う声が響く。

 バフラはあとで殴ってやりたいが、それはとりあえず、ヨアンの襲撃を乗り越えることができてから……だ。



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