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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第二部 アルトネア制圧戦
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進軍前夜

 マドック・オリンダ大尉は、兵士たちの鼓舞のためにテントを順番に見回っていた。上官の登場に慌てふためく若者もいれば、律儀な彼に敬意の眼差しを返す兵士もいた。

 ライグが憧れていた軍人であるオリンダは、軍曹に引けをとらず生真面目なので、進軍前夜や戦況が苦しいときにはこうして部下たちを気にかけ巡回する。テントを覗き、短い会話を交わして、一人一人と視線を合わせたのちおもむろに去る。大尉の一連の行為は、彼の部下として長い者なら、この軍団にいる者なら、進軍前の一種の儀式として見慣れた行為であった。

 見回りを続けるオリンダは、隅にあるテントの裏手を何気なく覗いた。そこに、ファンブリーナ奪還任務以前から自分に付き従う小柄な時魔導師の姿と、彼女の横に立つ平均的な体格の若者を姿を認め、これは邪魔してはいけない場面かと少しばかり焦る。

 若い兵士が、女時魔導師や治療師の女性に恋心を抱き、出陣の前夜に愛を伝えるという行動は、おおよそ軍隊ではよくあることだ。

 なので、この二人もそういった類いの逢瀬なのだろうと考えた。

 しかし、立ち去ろうとした大尉は二人の会話の中に自分の名前を聞き取り、思わず足を止めた。

「私、本当にオリンダ大尉が好きになっちゃったの」

 予期せぬ言葉に、オリンダは一瞬硬直した。

 まだ少女のように高く細い声で、小柄な女性――カナリア・テイデは続けた。

「いつも、大尉のことを考えてしまう。声をかけられたら嬉しくて恥ずかしくて、どうしたらいいかわからなくて……。今は大変なときだからこの想いは抑えなきゃいけないってわかってるのに、戦いに集中しなきゃいけないって思うのに。私、どうしたらいいんだろう……」

 半分涙声にも聞こえ、オリンダは唖然とする。

 そんなテイデに返すのは、どこか面倒くさそうなベズレーの声だ。

「あのな、テイデ。率直に言うけどな、お前とあの人は親子ほども歳が離れてるんだぜ? 愛し合うには多少無理があるんじゃないのか……そもそも、相手にされないと思うんだが」

 オリンダは思わぬやり取りに耳を疑ったが、どうやら聞き間違いではないらしい。

 そういえば、この二人は以前にも親しく会話していたのを見かけたことがあり、幼馴染みだという話を聞いた気がする。

 まさかとは思うが、テイデは自分を恋慕っており、その相談を幼馴染みのベズレーにしているのだろうか。

 子もなく妻に先立たれ齢50を超えた自分に、こんな未来ある可憐な女性が思いを寄せるとは信じられない。

(私はもう若くないし、いつ戦場で死を迎えてもいいと思いながら軍人をしている。私を慕っていても、彼女は女性として幸せになれないだろう。はっきりその旨を告げ諦めさせてやるべきか……)

 大尉は暫く考え込んでいたが、普段は無口なテイデがオリンダへの想いと苦しい胸中を語るのを、図らずとはいえ盗み聞きしていると、非常にむず痒く後ろめたい気持ちになった。彼は、ベズレーが上手く説得して彼女の気持ちを諦めさせてくれるのを願いながら、とりあえずその場から立ち去ることにした。

 そんなことがあって、オリンダは以降の見回り中もテイデがどう気持ちに整理をつけるのか気になっていた。

 オリンダは確かにテイデをかわいい部下として大事にしているが、彼女を恋愛対象として見たことは今まで一度もないし、年若い女性からの気持ちを素直に受け入れる気にはなれない。いっそのこと、歳も近いベズレーに気持ちを向けてくれないだろうか。お節介かもしれないが、そんなことすら考えていた。

 少し難しい顔をしたまま、オリンダは時魔導師が控えるテントの外に辿り着いた。彼が呼び掛けると、中からは穏やかな返事があり長髪の優男が現れる。

 軍属時魔導師セーファス・エルチェは、常に隈が消えない顔を緩め丁寧にお辞儀した。(時魔導師たちは、軍属ではあるが一般の軍人と違い敬礼しない)

「御足労頂きありがとうございます」

 エルチェはそう言うと、テントの中にいる他の時魔導師たちは魔力温存のため既に休んでいる、もしくは出払っていると教えた。いつもオリンダの来訪を出迎えるのはエルチェであるため、進軍前夜にこうやって二人が顔を合わせるのはもはや慣例になっていた。

「ここ暫く話す機会がなかったが、変わりないようで安心した。軍曹やミス・エルフォードが抜けて随分経つが、第6部隊の面々は落ち着きを取り戻したか?」

 オリンダが投げかけた質問に、エルチェはわずかな動揺を見せた。しかし、心の揺れはすぐに諦念の微笑に変わる。

「ええ、そうですね。当初は第6部隊も時魔導師たちも落ち込んだものですが、今となっては、諦めもついています。こんな時期に、過ぎたことを気に病んでも仕方ありませんから」

 ライグ・ダンバー軍曹と時魔導師バレンシア・エルフォードの失踪は、もはや軍団の中では知れたことだ。しかし、ガルアは二人に対し特別なんの発言もしなかったので、兵士たちはライグたちの失踪はなかったものとしてやり過ごしてきた。

 しかし、実際のところ、軍団の中でも慕われていた二人の離反の影響は大きかった。

 皇国の軍人たちはあまり気づいていないようだが、帝国軍人たちが信頼していた軍曹の離反は部下たちをおおいに揺さぶり、軍団の士気を下げる一因となってしまった。幸いにも、今すぐに大規模な脱走や反発が起きるような空気とまではいかないのだが。

 オリンダも、今まで二人について特に言及することはなかったが、バレンシアと同じ軍属時魔導師であり、ライグが率いる第6部隊付きであったエルチェに対しては、やはり思うところがあった。

 割り切った表情のエルチェを見て、オリンダは重々しく頷く。

「それは良かった。君は軍団の中でも古参の術者だからな……不調とあっては困る」

「はい、心得ていますよ。お気遣い感謝致します」

 エルチェは再び頭を下げた。オリンダは、もしや、自分が来るとわかっていたからエルチェは起きていたのかもしれないと考え、少し申し訳ない気分になる。

「付き合わせて済まないな。君の休養を邪魔してしまったようだ。ゆっくり休んでくれ」

 しかし、エルチェはさして気にした様子もなく微笑む。

「お気遣いなく。私はあまり眠らないので」

「ほう。そうなのか?」

 エルチェが無理をしているのではないかと疑ったが、どうやらそうでもないらしい。エルチェは、いつにも増して疲労感漂う様子で説明した。

「恐らく、老化時魔導の研究をしていた弊害だと思います。徐々に眠りが浅くなり、あまり睡眠を必要としない体質になっていきました。時魔導にはまだ解明されていない部分が多いですが、私の身に起きた現象もその一つだと思います」

 エルチェがあまり眠らない、眠れないのは、過去の時魔導研究が原因ということか?

 意外な事実を明かされ、オリンダは言葉をなくす。他の魔術師が“時魔導は神への冒涜”と貶す理由、時魔導と向き合う術者たちが纏う恐れを垣間見た気がして、得体の知れない寒気がした。

「特に、老化時魔導は禁忌に通ずると言われる分野です。若い頃の私は、その言葉の本懐を理解しないまま研究に打ち込んでいましたが、眠れぬ夜が続くようになって……ようやく、時間という世界の掟に気安く触れようとした己の愚昧に気づきました」消えることはないだろう悔恨の念が声に滲む。「私は、烏滸がましくも人が踏み込んではならぬ領域にまで手を伸ばそうとしていたのでしょう。だからこそ、このような業を背負うはめになった」

 エルチェは弱々しく自嘲した。

「老化時魔導を研究していた私が、睡眠という命の休息を得られぬ体となり生き急ぐ。皮肉な話だと思いませんか? “眠る”という行為はすなわち、“生”に必要な休養なのです。眠れぬ私は、他よりも早く生の時間を浪費し、他よりも早く老い衰え、死んでいくのでしょう」

「……それは……」

 オリンダはエルチェの言葉を噛み締め、時魔導師たちが命を削りながら術を施行している可能性など微塵も考えていなかった己を恥じた。

 もしエルチェが言うことが本当なら、自分は軍属時魔導師に残酷な労働を強いていたのではないか――そんな不安が脳裏をよぎる。

 オリンダが押し黙ったのを見て、エルチェは弁解気味に言った。

「すみません、ただの一魔術師の見解ですからあまり気になさらないでください。それに、このような事例は私以外では聞いたことがないので、ごく稀なことだと思われます。私が老化時魔導に傾倒しすぎたせいかもしれないし、研究がきっかけで運悪くこのような体質を誘発してしまったのかもしれない。だから、大尉殿が気に病む必要はないのです」

「だが、しかし、この軍団の責任者であるからには知っておかなければ。いいや、兵士と軍属時魔導師を指揮する立場にある者として、時魔導の危険性は知っておかねばなるまい」

 オリンダの真面目な返答に、エルチェは柔和に笑んだ。

「それはとても心強いです……心から感謝致します。貴方のようなお方が指揮官だからこそ、この軍団は多くの苦難を乗り越えることができたし、今も皇国の枢機卿と上手くやれているのでしょう」

「いいや、私一人の力ではないさ。皆の努力と協調のおかげだ。私こそ、私を信じてついてきてくれた部下たちに感謝しなくては」

 エルチェは黙礼し、何かを言いあぐねるように目線を泳がせる。

 なんとも言えない表情で時魔導師は問うた。

「一つだけ良いでしょうか」

「なんだ」大尉は沈着に応じた。時魔導師は自信なさげに目を伏せる。

「……ダンバー軍曹は、なぜこの軍団を抜けたのでしょう。私たちは彼を慕っていたし、彼も部下である私たちを大切にしていると感じていました。しかし、なぜわざわざガルアに真っ向から反発してまで、この軍団を――共に過酷な任務をこなしてきた仲間たちを置いて、去ったのでしょう」

 率直な疑問だった。オリンダはエルチェが抱く不安、不審、そして恐怖を見てとった。

 彼らにとっては、司令官を信じてついていくしかない部下たちにとっては、腹が読めず自由奔放にすら見える鬼才ガルアの謎の行動や失踪、そして信頼していたダンバー軍曹の不在は大きな苦痛なのだろう。気丈なオリンダですら、ガルアの祖国への裏切りには絶望したし、頼りにしていた軍曹、時魔導師エルフォードの失踪はかなり堪えた。

「……私にわかることは多くはない。だが、このままガルアの元にいて皇国と結託しても、自分の信念と理想は成し得ないと、考えたのだと思う」

 エルチェは顔を上げ、少し不思議そうな顔をした。

「信念、ですか」

「恐らくは」

 オリンダは腰に下げた剣に手を伸ばし、慣れた動作で刀身を抜き放った。

 松明の灯を受け、燃えるように煌めく刃に、夜の闇が揺らぐ。

 歴戦の大尉は、剣に映り込む暗闇と自分の顔を険しい表情で見つめる。

「この剣を、力を、何のために振るうのか。軍曹と私たちでは、戦う理由が違ったのだ。私はガルアに従い、皇国の枢機卿と共に往く道を選んだ。それが、軍団を守り、戦争を終息させることに繋がると感じたからだ。私は今、帝国を抜け枢機卿に仕えている。その事実は変えようがない。しかしそれでも、己の刃は祖国のためにあると信じている」

「……ガルアと共に離反し、皇国に与する裏切り者と見なされようとも?」

 エルチェの言葉は、いつになく鋭利だ。祖国の軍団から離反し、敵国に加担する形で帝国を威圧している事実が心苦しいのだろう。

 オリンダは、エルチェの不安をわかった上で毅然と言い放った。

「私は、ガルアの判断は間違っていなかったと信じている。皇国と真っ向から衝突し殺し合うだけでは、きっとこの戦争は終わらない。殺戮の連鎖は断ち切れない。両国共に人命と国勢を削るだけだ」

 エルチェは悲しげに同意する。

「たぶん、そうでしょうね……。女帝や政府は、きっとこの戦いを平和的に終わらせる気などないのでしょうから。私たちのことも、憎き宿敵と戦わせるだけの駒という扱いだ。なればこそ、頑なに抵抗と破壊行為を続ける我が祖国に、皇国は屈することも引くこともできない。皇国が少しでも妥協すれば、帝国は人命を散らしてでも皇国に攻め入り、長年に渡り続けてきた侵略と征服を繰り返すのですから」

 皇国が帝国に下り属国となることが、女帝の積年の望みだ。

 ゆえに、帝国政府は、皇国が勧める民主化の動きを酷く恐れ嫌悪している。

 民主化の風潮が帝国に流入して民の心を刺激し、支配的な帝国政府に対して大規模な反乱や革命が起きる可能性を危惧しているからだ。自分たちに都合の良い政治体制を守り抜きたい女帝や高級官吏たちは、民主改革を唱える皇国を徹底的に打ちのめしたいと躍起になっている。

 それに、国外に敵を作っておけば国民の矛先は政府ではなく外部の敵――皇国に向く。民の不満や憤りを逸らすためにも、皇国との対立は必要なのだ。

 オリンダとエルチェは黙り込み、祖国の現状をしばし憂いた。

 このまま皇国に抵抗を続けても帝国は守れない。ガルアはかつてファンブリーナでそう言った。

 彼の言葉を自分なりに考えた結果、他の形で祖国を救うため、ガルアに従い帝国の未来を託そうとオリンダは決意したのだった。

「……都合が良いと、軽薄だと、思うか?」

 オリンダの静かな問いを、エルチェは否定する。

「いいえ、そのようには思いませんよ。ただ……不安なのです。我々が選んだ道が、信じた人が、本当に三国を安寧の未来へ導く存在であるのか。それに、帝国から離反し枢機卿の元からも姿を消したガルア殿が、何かとんでもない計画を企ているのではないかと心配で。やはり、私は彼が恐ろしいですよ」

 暗い顔つきのエルチェを見て、オリンダは少しばかり笑みを見せた。

 彼は、不思議と自信に満ちた声音で宣言する。

「私は信じている。この戦争が、三国にとって、良い意味で転機となることを。この命を燃やし尽くしてでも、泰平の世のために剣を振るおうと思う」

 オリンダは剣を鞘に収めた。キン、という小気味良い金属音が耳に残る。オリンダの覚悟は、とうの昔に決まっていた。

「……君はテイデと親しいのか?」

 唐突に投げかけられた質問に、エルチェは「えっ」と驚いた顔をしたが、真面目な答えを返した。

「親密というほどではありませんが、魔術の話や世間話は時々していますよ。まあ、かわいい後輩ですからね。年輩として教えられる術は教えてあげたいし、気にかけています」

「そうか……それは良かった」

「……?」

 オリンダは満足げに息をついた。

「いや、頼りになる先輩と幼馴染みがいれば大丈夫だろうと思ってな。彼女に何かあったときは、君たちに任せても良いだろうか?」

「それはもちろん。若い才を費やすわけにはいきませんから。できる限りの補佐はしてあげたいと思っています」

 エルチェがオリンダの心配事をどこまで把握したかは定かではなかったが、これで彼もようやっと踏ん切りがついた。

 オリンダは苦笑しながら、エルチェには聞こえない小声で呟く。

「やはり君は私には勿体無い、テイデ。もっと未来ある若くて優しい伴侶を探すべきだ。私は君の気持ちに応えることはできない……だからどうか、無事に生き抜いて幸せになってくれ」

 大尉は、かつて妻と過ごした遠い日々を思い起こした。病弱だが、慈愛に溢れ聡明な女性だった。

 今は亡き最愛の人と在った日々、褪せぬ愛しい記憶を抱きながら、若い部下たちの幸せを願いながら、この身を国家と民の安寧の為に捧げる道も悪くはない。

(それ以上は望まんさ。私は未来の時代を築く若者たちのために、この戦争を終わらせるために、尽力しよう。命を懸けて戦おう)

 闘志を胸に秘め、オリンダは寒空を仰ぐ。その隣で、エルチェも同じく空に目を向ける。

 柔和な軍属時魔導師は、人の心をほぐすと称される優しげな微笑みをたたえ、夜空の星に健勝を祈った。

「大丈夫、私たちはきっとやれます。全てが上手くいくと信じます。この戦いが、祖国の未来を拓く一歩であると願いましょう」


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