宿願
ものものしい重装備の兵士たちが、長蛇の列を作り粛々と大地を進んでいく。地面にはまだ雑草がちらほらと生えていたが、しばらく進めば辺りは一面の雪原となり草木は姿を消すだろう。
参謀長スレイマンは、馬車の窓から見える寒々しい平原を眺め、もうじきアルトネアとの国境に辿り着くことを察した。
寒装備を整えた軍団は、スレイマンと数人の将官に率いられ、戦の舞台となるアルトネアを目指していた。詳しく言うなら、アルトネアと皇国の境、コルチャーク山脈へと向かっている。
遠征の目的は、ガルアが提唱した作戦通り、リューリク峠からアルトネアに侵攻する連合軍の側面をつき枢機卿を捕縛すること――それが主たるものである。
長旅と寒気で少しずつ疲労が蓄積されていくのを感じ、スレイマンは早くなにもかも終わらせたいと心の中でぼやいた。参謀長である彼が、帝都を離れ実際に戦地まで赴くのは久しかった。だがしかし、今回ばかりは彼も老体を起こして雪国へと足を向けた。作戦を確実なものにしたいという思いもあったし、参謀長自身も、歴史に残るであろう戦いを自身の目で見届けたいと考えていた。
平坦な荒野の向こうに広がる凍てつくアルトネアの大地を思い、多くの人間の血が流れるであろうリューリクの峠道を想像し、スレイマンは酷薄な笑みを浮かべる。
自身の策通りに兵士が動き、戦い、勝利する様を思い描くと、充足感が広がった。スレイマンにとって戦場は盤で、兵士は駒で、戦争は遊戯だ。本当の意味で戦場を支配し動かしているのはいつだってほんの数人の策士たちなのだと思うと、策略に翻弄され命を落としていく兵士が憐れでもあり滑稽でもあり、それを上から眺めている自分がいかに尊く秀でた存在であるかを実感し、愉快だった。
「参謀長閣下」
一人悦に入っていたスレイマンは、名を呼ばれのろのろと顔を向けた。馬車にはスレイマンの他に、紫色のローブを纏った中年の軍属時魔導師が同乗していた。
「どうした」
スレイマンはそっけなく訊ねた。女帝の前では貼り付いた笑みを浮かべている老人だが、目上の者がいない場では実に淡白で過労を嫌う性質なのだ。
時魔導師は緊張した面持ちで、声を落として伝えた。
「ガルア殿から連絡が。連合軍がいよいよ山脈越えを始めそうだと。まだ詳細は不明ですが、恐らく本格的に進軍を開始すると見て、アルトネア軍も動かすと……」
時魔導師の言葉を受け、スレイマンは表情を変えることなく黙考する。進軍開始の報告は驚くようなものではなく、むしろ待ち望んでいた知らせでもあったので、彼は特に狼狽えもせず簡潔に命じた。
「そうか、ついに……。了解した。我々も予定通り目的の場所へ向かう、と伝えておきなさい」
適当にも感じる参謀長の返答に、時魔導師の男は不安げな顔をした。
「それだけで良いんですか? アルトネアに一人で身を置かれるガルア殿に、なにか具体的な指示や作戦の指導などは……」
「必要ないわ」
贅沢な作りの椅子に深く腰かけたスレイマンは、向かいの席で報告していた時魔導師の鼻先に杖の先端を突き付けた。この歳にしては、なかなか鋭い動きだ。時魔導師は目を見開き、急いで杖から顔を遠ざける。
スレイマンは蛇のような金色の眼に、嘲りにも似た感情を滲ませて笑った。
「そのような打ち合わせはとうの昔に済んでおる。ガルアが枢機卿の懐に潜り込んでからも、我々は密書や時魔導でやり取りしておったのだ。奴もわしも作戦の要点は理解しておる。あれはわしをも上回る鬼才よ。無駄な指示などなくとも、やるべきことは果たしてみせよう」
時魔導師は不安を隠せないままスレイマンを見つめていたが、急に慌てた様子で言葉を発した。
「いえ、なんでもありませんガルア参謀副長。スレイマン参謀長閣下は、予定通りに目的地に向かうと仰っています」
どうやら丁度《時界通》でガルアに呼びかけられたらしい。時魔導の才には恵まれなかったスレイマンは、年若い参謀副長の万能ぶりに皮肉をこぼした。
「家柄にも頭脳にも恵まれ、おまけに魔術の才も持ち合わせておるとは。あの若者を超える存在が、この大陸に存在するとは思えんな」
スレイマンは、決して尊大ではなく、むしろ客観的に合理的に己と周囲を把握する能力に長けていた。だからこそ参謀長は、ガルアの才能をいち早く見抜き、自分の味方につけるために彼に参謀副長の肩書きを与えたのだ。
(わしの選択は間違ってはおらなんだ。ガルアは実に優秀で、良き手駒として働いてくれておる。ただ、少しばかり反抗的で自信家の嫌いはあるが……)
皇国の枢機卿を陥れるため、ガルアとは様々な議論を重ね策を張り巡らせてきたが、こうも早くその機会が訪れるとは思っていなかった。というのも、ファンブリーナ奪還任務でガルアが強硬な手段で枢機卿の懐に潜り込んだのは、スレイマンの当初の計画にはなかった作戦だったのだ。
(ガルアが独走して多少無茶をしたことは否めないが、結果枢機卿を陥れるための舞台は整った……これはこれでよしとしよう。そうとなれば、できるだけ早く、あの聖人ぶった男を吊し上げてやりたいものだ)
所詮、枢機卿をなくした皇国は烏合の衆。強大であるばかりにまとまりがなく、権力者が乱立し内部分裂に発展し、そこを突かれたなら案外呆気なく崩壊してしまうだろう。
国家とはそういうものだ。軸となる存在がなければ、いずれ各勢力で潰し合いを始め内部から綻んでいく。
スレイマンは、宿願の実現が予想以上に早く達成されそうなことに安堵と喜びを抱いていた。彼はもう若くないし、早く隠居して悠々自適な生活を送りたかった。
「えと、参謀長閣下、ガルア殿が……」
ガルアとの連絡係を担う時魔導師が、躊躇いがちに声をかけてきた。おずおずとした態度がどこか癪に触ったスレイマンは、苛立ちを滲ませて聞き返した。
「ガルアがどうしたんじゃ」
「ガルア殿が、次の別荘はどこに建設するつもりなのかと聞いておられます、が」
困惑顔の時魔導師の言葉に、スレイマンは目を丸くする。
どうやら、アルトネアでは随分窮屈な思いをしているらしい。軽口を叩くのが趣味みたいなガルアの性格を思い出し、参謀長は冗談に付き合ってやることにした。
「北がいいかのぅ。今回の戦争で下見も出来そうだし、良い土地があれば押さえておくように言っておけ」
時魔導師は、げっそりした顔でスレイマンの返答をガルアに伝えた。




