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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第二部 アルトネア制圧戦
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揺れる軍議

 アルトネアの王宮では日々軍議が重ねられていたが、この日の会議はいつになく白熱していた。

 皇帝の座席と絨毯の鮮やかな赤が目立つ軍議室で、ガルアは椅子に座ったままもそもそと足踏みをしていた。難しい顔をしたアルトネアの重役たちが、円卓を取り囲んで言い合っているのを、彼は沈思を続ける皇帝グロザーの横から見ていた。

 グロザーの表情は随分と冷え込んでいる。冷気の発生源は、隣の皇帝なのではないかと思うくらいだ。

 まとまりなく各々の見解を浅薄に出し合う臣下を見て、グロザーは彼らの能力など宛にしていないのだ、とガルアは見てとった。だからこそ、皇帝自らが独裁者として、国家の権限と責務の全てを振るうのだろう。

「もうよい、貴様らの不毛な論争は聞き飽きた」

 グロザーは重々しく口を開き、「毎度のことながら」と付け足す。

「詰まるところ、連合軍が国境際に兵を固め進軍の気配を見せており、我が軍の今後の戦略指針を定めなければならないのだろう。この問題に関しては……ガルア。お前の意見を聞きたい」

 名指しされたガルアは腕を組み、もったいぶって答えた。

「そうですね……、連合軍はコルチャーク山脈をリューリク峠経由で進軍すると思われます。この時期に、険しいコルチャーク山脈を最低限の労力で越えるには、一番難の少ないリューリクの峠道を使うのが定石でしょう」

「それがわかっているならば」

 強面の将官が野太い声で遮った。

「こちらが先に兵をリューリク峠に動員して、山脈を越えさせることなく迎撃してやりましょう。向こうは大軍といえど、狭い峠道では部隊を満足に展開することもできず、正面衝突の形になるはず。それなら、地理と気候に通じるこちらが優位に立てるでしょう」

 ガルアの周りの男たちが賛同を込め頷く。しかし、年若き参謀は微かな呆れを感じさせる声音で返した。

「それはなりません。兵の質でも指揮官の質でも我々は劣っているのですから、こちらが先手を打ち峠道を通せんぼしたところで、枢機卿率いる優秀な連合軍におめおめと返り討ちにされるのがおちです。良いですか、連合軍を追い返そうと躍起になるだけでは駄目なんです。多少の危険は承知の上で、こちらが優位に立てる状況に誘い込み、決定的な打撃を与えなければなりません。ならば、彼らには是非にでもリューリク峠を越えてもらいましょう」

 一部の将官らがざわついた。ガルアの不躾な物言いに憤ったのもあるだろうが、彼の発言は連合軍に容易く国土への侵攻を許すことに他ならないと感じたのだ。

 ガルアは渋面の男たちを見回し、淡々と続けた。

「アルトネアと連合軍の戦力差は歴然です。勝率の低い戦闘に兵力を割く余裕はないのです。彼らがアルトネア領土に踏み込もうとするのが不快なのはわかりますが、これは戦略的誘導行為だと思ってください」

 ガルアは人差し指を指を立てて、無能な部下を諭すように言う。

「連合軍の行軍距離を伸ばしてやれば、それだけこちらが有利になります。彼らの供給路を伸ばし、前線の物資不足を誘発できますから。攻撃側にとって尤も問題なのは、自国から遠ざかることで兵が疲弊し物資の輸送が難しくなること。過酷な雪山を越えてくるとすれば、なおさらこの問題は深刻化します」

 ガルアは後進的な知識で縛られている将官らに、兵站の重要性をできるだけ噛み砕いて説明した。自国から離れると情報伝達や後方支援などに不都合が生じやすくなることなど、参謀部で培った戦争のノウハウを元に、北国の軍人に計画の概要を伝える。

「アルトネア軍が枢機卿と相見えるのは、連合軍が山脈を越え、大雪原に踏み込むその時です。貴方たちの役目は、山麓に兵を展開し、連合軍の進路を封鎖する形で迎撃すること。難しい小細工などは、必要ないのです」

 ガルアは一旦息をつき、グロザーに意味深長な目配せを送る。グロザーが促すように頷くのを見て、痩躯の青年は続けた。

「連合軍を誘致したあとのことは、我々、ベルギナ帝国軍にお任せください」彼は全ての将官の注目が自分に向いていることを確認し、厳かに告げる。「我が帝国軍は、アルトネア軍と相対する連合軍を側面から掩襲し、持ちうる限りの武力を持って彼らを蹂躙します。我が軍とアルトネア軍で枢機卿の軍団を挟撃する――この作戦こそが、私たち帝国参謀部が極秘に進めてきた策略の終結点であり、長き戦に終止符を打つ切り札なのです」

 将官たちは、唖然とした顔でガルアを見つめた。

 ガルアが帝国参謀部と繋がっていること、そして帝国の命で動いていることは上役たちも周知の事実だ。しかし、帝国が今回の戦いで雌雄を結するつもりだとは――誰も知らなかったのである。

 帝国は、長年皇国と争いながら、隣国アルトネアに協力を求める姿勢はなく、北国の介入は不要という態度を貫いてきた。帝国がアルトネアを下等に見るのは、我が国こそが唯一最強の国家で、他国の協力を仰ぐなどというのは恥ずべき行為だという政府の古臭い矜持からだ。

 そんな経緯から、帝国はアルトネアとの連携には協力的ではないだろうと臣下たちは考えていた。ガルアがアルトネアに拘束されているのは帝国の本意ではなく、皇帝グロザーの手回しでやむを得ずアルトネアと共闘する流れになったのだろうと思っていたのだ。

 しかし、どうやら見解違いらしい。ガルアは自らがアルトネアを率いることは予想済みで、各国の思惑を知った上でここにいる。ガルアの作戦には最初からアルトネアと帝国の共闘が組み込まれており、今の状況も筋書き通りだったわけだ。

 自らを駒として扱いながら、戦争と国家すら操ろうとするガルアの胆力と才腕は、まだ二十そこらの若者のそれとは思えない。

「さて、我が帝国の意向と私の役割はご理解して頂けたでしょうか?」

 ガルアは仄かな冷笑を浮かべる。「皇国の要である枢機卿を陥れるため、今回の三国の緊張に乗じ、帝国は大規模な作戦を敢行します。私は枢機卿を罠へと誘い入れるため、今日まで動いてきたのです。ファンブリーナでの離反も、連合軍の結成も、全てはこの時のため。私の策の全てはここに帰結します。その事実をご理解して頂けたのなら、早速作戦の細かな打ち合わせに入りたいのですが……よろしいですか?」

 将官たちは無言で頷いた。

 ガルアは、淀みなく戦略について説明し続けた。質問には的確な答えと対策を返した。

 かつて、ファンブリーナ奪還任務の際に見せた俊才の姿がそこにはあった。

 ガルアが、簡潔に、だが明瞭に大体の説明を終えたあと、一人の将官がおもむろに問いかけた。

「アルトネアと帝国で皇国を打ち倒すために、我が軍がやるべきことは理解しました。しかし、素朴な疑問ですが、枢機卿が貴方の思惑通りアルトネアに侵攻してくる保証もなく、それ以前に、貴方を疑い処分する可能性も零ではなかった。それなのに、どうして貴方はこの展開を確信していたのですか。何が貴方の自信の根拠だったのでしょう?」

 ガルアの計略を概ね理解したのであろう彼は、畏怖と疑惑に満ちた顔つきで訊ねた。ガルアは質問した男をしばらく見つめ、緩やかに微笑む。

「私が人の内面を覗く能力に長けているというだけの話です」

「と、いうのは?」

「日頃の言動や無意識の仕種などを観察し、そこから得た情報を元に、対象がどのように考えどのように行動するか、常に予測して先手を講じているのですよ」

 ガルアはなんでもないようにさらりと言ってのけた。

「私は、枢機卿が私の存在を恐れているとを知っていたし、私を懐柔し皇国に取り込みたいと考えていることもわかっていた。私は帝国の機密情報を握る貴重な存在であると同時に、非常に狡猾で油断ならない男だと思われていました。ゆえに、殺すには惜しく手放すには恐ろしいと感じ、私を無下にすることもできないまま手元におくだろうと読んだのです」

 参謀は続けた。

「そして、私を従えるつもりが、逆に私と帝国の策に嵌まっていた。今まさに、私たちが仕掛けた罠の前に立たされている、というわけです」

 実際のところ、ガルアの見解は概ね当たっていた。

 枢機卿はガルアを恐れ排斥したいと思いながらも、帝国に通じる有能な策士であるガルアを配下にしたいという気持ちもあり、相反する感情が曖昧な対応をもたらしていた。

 その判断の迷いこそが、帝国の、ガルアの策略に嵌まる要因だったのだろう、と、質問した男は読み取った。

「確かに、枢機卿が私を危険因子だと考え処分する可能性は十二分にあったでしょう。だが、私はファンブリーナで実際に彼を見て、彼の采配を目の当たりにして、枢機卿が私を抹殺することは恐らくないだろうと判断した」

「随分と強気な。なぜそう確信したのだ?」

 長く口を閉ざしていたグロザーが、どこか面白がるように質問した。皇帝はガルアの雄弁を楽しんでいるらしい。

「彼は、優秀な人間に目がありませんから」

 ガルアも少し冗談めかして応じる。

「枢機卿自身は、実際のところ、策略家としても政治家としても、飛び抜けて優秀というわけではない。そんな彼が優れた指導者たりえるのは、彼を支える個性豊かな能力者たちの存在が大きく影響しています。枢機卿は才能有る者、特異な者を見分ける天賦の才を持っていて、優れた人材を集め己が配下とすることに、ある種の傾倒的な情熱を注いでいる。彼は人の真価を見出だし自分の味方にすることで、皇国を揺るがす強大な存在となりえているのです」

「それは面白い考察だな。枢機卿は他者の能力を引き出す天才、か」

「そうとも言えますね。人を上手く扱うことにかけては、恐らく天才的なのです」

 ガルアは自身の胸元を軽くぽんと叩いた。「だからこそ、参謀部の中枢を担う貴重な存在である私を従えたいと、無意識にでもそう思った。人望に恵まれ人海戦術に長けた己なら、リマ・ガルアという男でさえも懐柔できると……いや、皇国のためにもこの男は自分が御さなければならない、枢機卿はそう感じたのでしょう」

 他の面々がガルアの洞察力に対する驚嘆で押し黙る中、皇帝がくつくつと喉の奥で笑う。

「その慧眼、大したものだ。人の心と未来を視る能力、それがお前の才能というわけだな。なるほど、枢機卿もまんまと踊らされたわけだ」

 ガルアは慇懃に応じた。

「恐悦です、陛下。お誉めに預かったように、時代の先を読むことにかけては、少しばかり自信がありますね」

 普段は物事に無頓着なグロザーが、いつになく興味深そうに問う。

「ならば、お前の眼には私の未来も視えているのだろう? それはどのようなものか、とても興味深いが……――」

 皇帝は、外部の動きに気づき言葉を止めた。

 すぅ、と軍議室の扉が滑らかに開き、室内にいた皆の意識がそちらに注がれる。

 開いた扉の向こうから涼やかな空気を纏い現れた女性は、深い青紫色の瞳で皇帝グロザーを見つめていた。

「軍議中に申し訳ありません、陛下。ですが、どうしてもお耳に入れたいことがございまして、無礼を承知で参りました」

 グロザーの正室にして唯一の妃、皇后サンドラは美しく響く声で告げた。

 周りの軍人たちが少し不思議そうな表情を浮かべたが、グロザーは慣れた顔で返した。

「構わん。幸い軍議はまとまったところだ。次はお前の話を聞こう」

 サンドラは皇帝の言葉に礼儀正しく一礼したあと、眉尻を下げ他の面々を見回した。

「まことに勝手ながら、陛下だけにご報告したく存じます。皆様、お席を外されてくださいませんか?」

 皇后にそう言われては居残れそうもない。

「お前たち、ガルアが提示した作戦の旨は把握しているな? 各自持ち場へ戻り、作戦通り行動を起こせ。なお、先刻決定した事項を軽忽に口外するのは禁ずる。粛々として、己の責務を果たせ」

 皇帝の下命を賜り、将官たちは一礼して速やかに退室を始める。

 将官たちが去っていく中、皇后サンドラはグロザーに歩み寄り、夫の耳元で何事かを囁き始めた。

 現在のアルトネリス王朝は、複雑な血縁関係や骨肉の後継者争いにより、酷く陰険で不安定なものとなっている。敵対勢力との水面下の争いや王位継承問題など、グロザーとサンドラの周囲には煩雑で不透明な難題がごろごろ転がっているので、夫婦で相談したいことも山のようにあるのだろう。

 それにしても、開戦迫るさなか、軍議を遮ってまで皇帝に伝えるべきこととは何事だろうか?

 ガルアは少しばかり疑念を抱いた。アルトネアで過ごすうち、グロザーと皇后サンドラの人となりは粗方把握したつもりだったが、未だに不鮮明な部分が残り、密かに不安の影がちらつき続けている。

 しかしながら、留まって彼らを見ていても仕方なさそうだ。小声でやり取りを続ける皇帝たちに一礼して、ガルアは部屋を出ようとした。

 と、立ち去ろうとするガルアの視線をサンドラの青紫色の瞳が捕らえ、一瞬だけ二人の視線が交差する。

 ガルアはとっさにサンドラの目に映る感情を読み取ろうとした。だが、ごく短い時間では叶わなかった。

 重い扉が閉まる金属質な音が響く。ガルアは肩越しに振り返った姿勢のまま、まだ扉の向こうで話し込んでいるであろう夫婦の姿を脳裏に描いた。

 彼はしばらく無言で歩を進め、先程の皇后との視線の交錯を眼裏に呼び起こす。

 そうやってぼんやりと思考を練るうち、ふと思いがけぬ可能性に辿り着く。

 嫌な予感がした。

 参謀として、軍人としての勘が、ざわざわと騒ぎ始める。考えれば考えるほど、ガルアの胸中に居座る鈍い不安は増長する。

 どうしても胸騒ぎを抑えられないガルアは、戦が本格的に始まる前に少しでもできることをしようと考えた。

 彼は歩みを速める。開戦を前に、まだやらなければならない務めがあるようだ。

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