蒼き光
事態は、思わぬところから展開した。
バレンシアが、時魔導で連合軍の情報を聞きつけたと報告してきたのだ。
彼女が急報を伝えに来たのは、ライグが自室で剣の手入れをしていた夕刻だった。時魔導師たちが連絡手段に使う《時界通》は、時界の乱れや術者の度量によっては盗聴できるらしい。情報を得られないかと時界に意識を潜らせていたバレンシアは、連合軍の人間が発したメッセージを運良く盗み聞きすることに成功したとのことだ。
「私は軍属時魔導師で仲間の魔力の波長を知っているし、彼らの意識を探し出すのは難しいことじゃないわ。まあ、相手に気づかれないように伝達内容を聞くのは簡単なことじゃないんだけど、私は昔から盗み聞きが得意だから」
バレンシアは怖い発言をすると、妙な顔をしているライグに微笑みかけた。
「戦争の渦中に飛び込むからには、やはり連合軍の動向を見張るのが一番だろうと思ってずっと目を光らせてたのよ。軍属時魔導師をやっててよかったわ」
確かにここ最近の彼女は寝不足気味で、目元にはうっすらと隈ができていた。きっと長い間時界に潜って調べ回っていたのだろう。
「ありがとう。君にはいつも助けられているよ」
「どういたしまして。貴方と貴方の愛する帝国のためなら努力は惜しまないわ」
ライグが照れ隠しで咳払いをするのを面白そうに見届けたあと、バレンシアは真剣な表情で続けた。
「早く皆に知らせるべきよ。今から全員を集めて話し合いましょう」
ライグたちは手分けして仲間を呼び集めた。ティリンスとウラジーミルは厩舎でスズダリの毛皮の手入れをしていたのですぐに見つかったが、問題はバフラとイグアスだ。酒好きと賭け事好きが高じてすっかり意気投合してしまった二人は、暇さえあれば闘技場周辺の娯楽施設をぶらついていたので、人混みと複雑な建物の中から彼らを見つけ出すのには苦労した。
結局全員がバレンシアの部屋に集まったのは、もうすぐで日付が変わろうという時刻だった。
「私たちは観光をしているわけではないので」
ウラジーミルが避難がましい目で酒臭い二人を見ながら言った。
「緊急時に備え、だらしなく遊興に溺れるのは控えていたたぎたい。この集会の遅れが思わぬ不利益を引き起こすとも限らないのでな」
「まあまあ」
争い事を好まないティリンスが不機嫌な王子をなだめにかかる。
「とにかく、バレンシアさんの話を聞こうよ。僕らの旅を左右する重大な情報を手に入れたんでしょ?」
バレンシアは凛とした表情で頷き、全員の顔を順番に見回した。
「はっきり全てを聞き取れたわけじゃないけど、あまり楽しい内容ではなかったわ。どうやら連合軍は、本格的にアルトネア攻略を始めるようね。連絡していたのは、進軍準備を呼びかける類いの伝令だったの」
――進軍の呼びかけ。
ライグは目を見開きバレンシアを見つめた。決然とした彼女の表情が、知らせが真実であると如実に物語っていた。
戦争の進展を告げる言葉に一同が言葉をなくしていると、耳障りな声が遠慮なく沈黙を破った。
「なんだよ、やっとか。俺としては、連合軍の進軍開始は遅すぎなんじゃねぇかと思うぜ。アルトネアなんて大した敵じゃないんだから、さっさと攻めて終わらせりゃいいのに」
「ご冗談を」とウラジーミル。「貴方は本気でアルトネアを落とすのが簡単だと言っているわけではないでしょう。貴方はグロザーという男をよくわかっているし、王都の守りの堅さもご存知のはずだ」
「それは、グロザーが優秀な軍師であり指揮官だということか? 王都が堅いという意見に関しては、地図を見る限り特にそう思わないが」
ライグは机上の地図を見ながら言った。アルトネアの王都ジスタは、北側にゼルド山という険しい山地を控えているものの、東西と南は雪原が広がるばかりでとても守りやすいとは思えない。武力では圧倒的に劣るのだから、連合軍もとい皇国軍が大軍で押し寄せてくれば、籠城しようとも長くは守り通せないだろう。
むしろ、今現在連合軍が張っている国境沿いに続くコルチャーク山脈の方が厄介ではないか。この山脈はハルゲニー山脈同様に険峻なことで有名で、連合軍が山脈を越えアルトネア領土へ到達するまでにかなりの労力を費やしてしまう気がする。雪山を越えての侵攻はそれは大変なもので、体力の消耗や雪崩という危険が付きまとうのだ。
しかし、ウラジーミルとバフラは少し面白がるような顔でライグを見返した。
「ゼルド山の山頂に何があるか知っていますか?」
「いや」ライグは素直に答えた。バフラが続けた。
「そこには“魔鏡”って言われるヘンテコな湖があってだな。何が変かというと、この湖の水はどんなに寒くてもどんなに酷い吹雪が来ようとも、絶対に凍らないのさ」
「凍らない?」
ティリンスが素っ頓狂な声を上げ、イグアスがヒューッと口笛を吹いた。バレンシアとライグは目を瞬き顔を見合わせる。ウラジーミルがバフラをちらりと見遣り続きを引き取った。
「しかし、本当に不思議なのは“魔鏡の水”は暖かいものに触れるほどに冷たくなり、最終的には氷になるという性質を持っていることだ。なんでも、アルトネアの守護神である氷の精霊が湖に住んでいるらしく、その水は尽きることもないという」
「それはまた随分と不可思議な話だな。だが、それが王都の守りと何の関係が?」
ライグをしばらく見つめ、本当にわかっていないようだと察したウラジーミルが丁寧に説明した。
「“魔鏡の水”は王都にも導水されているんだ。城郭都市であるジスタの城壁の内側には、“魔鏡の水”による水路が通っていてね。いざというときは戦術的活用もできるわけだ。例えば」
ウラジーミルは、“魔鏡の水”が引き起こす世にも奇妙で厄介な現象の数々を丁寧に説明した――城壁をよじ登る兵士に降りかけるとたちまち凍りついてしまうとか、城壁を“魔鏡の水”で濡らすととても登りにくくなるとか、予め暖めて凍らせておけば氷の武器になるとか、本当にたくさんのことを。ライグは、今まで自分がアルトネアに本当に関心がなく無知であったことを痛感した。現在に至るまで、彼の眼中にあるのは常に打倒すべき宿敵皇国だったのだ。
「わかった」
ライグは唸るように言った。
「ジスタが攻略し難い城塞の一つであることはよくわかったさ。なるほど確かに、帝国と皇国も多大な犠牲をはたいてまで攻城しようとは思わないわけだ」
「今までそれで上手くやってきたからな。ここ数十年帝国と皇国はお互いに夢中だったから、貧しいアルトネアは目に入らなかったのだろう」
些か諷刺的な言い方に引っ掛かったものの、ライグは同意した。しかし、アルトネアが無関係を装えたのは数年前までの話である。
ライグと同様の不安を抱いているのであろうバレンシアが、厳しい顔つきで話を戻した。
「今は違うわ。連合軍の矛先は間違いなくアルトネア、そして現皇帝であるグロザーよ。侵略が始まれば当然争いになるし、どちらかが譲歩しない限りは勝者と敗者が決まる。私の見解としては、後者はたぶん貴方の国になるのではなくて?」
さばけた軍人らしい物言いに、ウラジーミルは少し驚いた顔をした。しかし、すぐにいつもの心のうちが読めない曖昧な微笑みを浮かべる。
「そうかもしれないね。だが、今の私には関係のない話だ。私はグロザーをこの手で亡き者とすることができるなら、あとはどうだっていいのさ」
「自分の国が侵略されていくのに、どうでもいいっていうの?」
ティリンスが信じられないといった面持ちでウラジーミルを見つめた。青年の心の中に、遥か彼方の美しき故郷、湾岸都市ファンブリーナの情景が甦る。
「僕は自分の故郷が壊されていくのを見るなんて絶対に嫌だね。それも、激しい戦闘になりそうなら尚更。どうにかして止めたい、自分の故郷を守りたいって思うよ」
ウラジーミルの冷めた発言に憤慨したのか、望郷の念が強く押し寄せたのか、ティリンスの語気は荒かった。ウラジーミルは溜め息をこぼした。
「ジスタの宮殿は私にとって決して心安らぐ場所ではなかった。子どもの頃から醜い権力争いを見てきたし、従兄弟や親戚に命を狙われた経験もある。思い出したくない記憶の方が多いと言ってもいい。私は心底うんざりしているんだよ、ティリンス。アルトネアを治めるアルトネリス王朝は血腥い歴史と悲嘆の涙に彩られているんだ。こんなに残忍で不幸な血族は、早く終わらせるべきなのかもしれない」
ティリンスはウラジーミルの諦めきった意見に衝撃を受け目を見開いたが、彼が尤もな反論を口にすることはなかった。自分の国だから守れというのも、残酷で押しつけがましいことに感じられたのだ。
一方で、ライグはウラジーミルの発言が決して他人事ではないことを理解した。王家の青年の言葉は、国家に見切りをつけたその態度は、まさしくファンブリーナの地下道でのガルアのそれだった。
ライグは自分の内に沸き起こる焦燥と諦念の感覚を否定できなかった。どんなものもいずれは衰退し朽ち果て、終焉を迎えるのが世の常だ。それは人も国家も例に漏れないのだろう。
しかし、それでもライグは納得できずにいる。彼にとっては、古きを打ち壊し再興の希望を求めることよりも、祖国を見限り諦めることの方が酷く辛い選択に思われた。ライグはそういう男だ――己が立てた誓いと忠義を擲つくらいなら、国家もろとも滅ぶ道を選ぶような、どこまでも愚直で強情な人間なのだ。
静まり返った部屋のなか、ウラジーミルが厳かに宣告する。
「連合軍が動くのなら、アルトネア軍も自ずと動くはず。グロザーも拠点を移動することになり、所在を特定するのが難しくなるだろう。私はそうなる前に宮中に忍び込んでグロザーを始末したいんだ。たとえ吹雪が収まらなくても、朝には出発するよ」
それは暗に別れを意味していた。不幸の影を背負う王子は、自分の復讐劇にライグたちを巻き込むつもりはないようだ。たとえライグたちがついていくと主張しても、彼はどこかで一行から離れ、一人で宿敵グロザーに挑みかかるだろう。口で言わなくとも、そうするであろうことがライグには容易に想像できた。ウラジーミルは、薄幸で孤独な人間にありがちな消極的な優しさの持ち主だ。
「これは私個人の戦いだ。だから、君たちを無謀で血腥い愚行に付き合わせるわけにはいかない。でも、今まで一緒に旅をすることができて本当に楽しかった。これは嘘じゃないよ……本当に」
青年は柔和に微笑む。ウラジーミルの言葉の意味を解したティリンスが絶望的な眼差しで彼を見つめたが、王子は何も言わずに見返すだけだ。
ティリンスが息を飲み何か言葉を発そうとした。矢先、別の声が毅然と告げる。
「あたしはついていく」
――イグアスだ。
ウラジーミルが、ティリンスが、バレンシアとライグが、そしてあの食えないバフラまでもが、唖然として女ニグミ族の顔を見つめた。
イグアスは、今度は少しゆっくりと、言い聞かせるように宣言する。
「あたしは、お前についていく。ついてくんなって言われても、絶対に最後まで付き合うぜ」
「それは駄目だ。私の言葉を聞いていなかったのか?」
ウラジーミルが当惑気味に返した。しかし、イグアスは例の濁りない赤い瞳で真っ直ぐに彼と向き合う。
「別にお前を止めようってわけじゃねぇさ。復讐するなら勝手にすればいい。だが、あたしはあたしで自分のやりたいことをやる。つまり――お前と一緒に行って、一緒に戦うよ」
ウラジーミルは蒼い瞳を真ん丸にし、イグアスの顔を穴が空くほど見つめた。イグアスが一歩も譲る気がなく本気だと見て取ると、彼の目には戸惑いと不安と苛立ち、そして微かな喜びが浮かんでは消えた。
要するに、王子は酷く混乱している。
イグアスの強固な意志の告白に、ティリンスも慌てて便乗した。
「僕もだ、僕も一緒に行くよ。尤も、僕は復讐を手伝うっていうよりは君を守りたいからついていくんだけど」
イグアスとティリンスの視線が噛み合った。彼らは同族にしかわからないある種の感覚的意志疎通で、お互いの魂胆を理解したようだ。
ティリンスの目に希望が浮かび、イグアスの目が鋭く光る。彼らはこの場においては、実に良き共闘者、共犯者であり、ウラジーミルの独走を止めるべく二人で無言の圧力をかけていた。
「待つんだ、勝手に話を進めるな。私はそんなの許可しないぞ。大体、君たちにはそれぞれ別の目的があるじゃないか。私にかまけてそれを見失いたくはあるまい」
ウラジーミルは珍しく怒りと動揺を露にし、椅子から立ち上がった。
イグアスが挑発的な上目遣いでウラジーミルを見遣る。
「許可しない以前に、お前にあたしの行動を制限する権利はねぇよな。だってあたしはお前の復讐を力尽くで止めるわけじゃねぇんだし。別にお前はお前で好きにしてくれていいんだぜ?」
「僕もそうさ。君の意志や決意を踏みにじるつもりなんて全然ないよ。ただ、純粋に友だちの力になりたいと思ってるだけなんだ」
二人の容赦ない追撃を受け、ウラジーミルは呆然とした顔で立ち尽くした。王子はともすると無防備にも見えた。彼はイグアスとティリンスに対する警戒を完全に怠っていたらしい。
自分だけで抱えようとしていた重荷を、突如として共に背負うと、共に戦うと宣言する人間が現れ、彼は動揺していた。図太くも心優しい二人の言葉に、ウラジーミルの冷えた心は散々に掻き乱され、復讐という選択肢を選べば傷つくのは自身だけではないことを悟った。
彼は、イグアスやティリンスの覚悟と本心に気づかないほど鈍くはない。だからこそ、二人の宣告は重くのしかかり彼を惑わせる。
「なんて馬鹿らしい……」
ウラジーミルはそれだけ絞り出すと、仲間に背を向けて扉を押し開け、大股で部屋から離れていった。
開け放された扉がぱたん、と締まる。しばらくして、ティリンスが不安げにイグアスに尋ねた。
「……大丈夫かな? やっぱりウラジーミルにとっては、僕たちの気持ちは重いかな」
「そりゃきついだろうな。なんせあいつは、他者との絆だとか安寧だとか、そういったもん全部捨てて復讐だけを糧に生きていこうとしてたんだ。……今のウラジーミルは、復讐に頼らなければ生きる希望を持てないくらい傷ついて苦しんでるんだよ」
イグアスの目に沈んだ感情が泳ぐ。それは優しさと心配だけが理由ではないように見えた。
「しかし、お前らは残酷だぜ。友情と復讐の二択を迫ったようなもんだからな」
柄にもなく大人しくしていたバフラが、くたびれたように肩をぐりぐりと回した。
「そんなんじゃないよ。僕は僕の友情と誠意を示したつもりなんだ」
ティリンスはそう返したが、明らかに所在なさげだ。ここは年長者が誘導してやろうと思い、ライグはおもむろに口を開いた。
「とにかく、彼を探しに行こうじゃないか。思い悩むあまり、うっかり階段から足を滑らせでもしたら笑えない」
「確かにそりゃ笑えない」
イグアスはそう言いつつもにやりとし、彼らは誰からともなく立ち上がり廊下へ出た。ライグは窓を揺らす風の音が幾分静かになったことに気づいた。
ライグたちは全員で屋上に上がり、吹き付ける風の中、遠方に広がる一面の銀世界を見下ろし佇む青年の姿を認めた。まだ風は冷たく雪は止んでいなかったが、それでも穏やかになったことは確かだ。ライグたちはウラジーミルの背に近づく。
青年の蒼い髪が、月明かりを反射し淡く煌めいた。
「私にとっては簡単なことじゃないんだ。それでも、君たちと一緒にいると、まだ私は変われるかもしれないと思ってしまう。復讐以外にも、この行き場のない激情を抑える方法があるのではないかと」
ウラジーミルは振り返らずに小さな声で呟いたが、イグアスは王子の囁きを聞きとった。
「大丈夫だ。きっとあんたは、復讐意外の道でも生きていけるよ。あたしが、あんたを支える」
ウラジーミルは振り返り、なんとも言えない微笑を見せた。
「なんて遠慮がないんだ。君は酷いよ……私の気持ちも考えずに、そんな優しいことを言うなんて」
ウラジーミルの顔が歪み、目尻にじわりと涙が盛り上がった。彼は慌ててそれを押さえると、顔を伏せる。
ライグは王子の涙を初めて見た。それは、悲哀と親愛が混じる複雑なもので、彼の揺れる内面をわかりやすく反映していた。今のウラジーミルは、怒りと喜び、悲しみと希望、孤独と安堵の間で揺れているのだろう。
イグアスがウラジーミル近づき、彼の肩に優しく手をかけた。
「たまには泣いたっていいさ。なんならあたしの胸で泣きな」
イグアスの大胆な発言に王子がははっと声を上げて笑う。彼は顔を上げ、寂しげだが優しげな眼差しでイグアスを見つめた。その目からは、もう涙はこぼれない。
「君はどうして私を支えてくれるんだ? どうしてこんな私を守ろうとしてくれる?」
イグアスはなんの躊躇いもなく答えた。
「大切だからだ。初めて逢ったとき、あたしはお前の寂しげな姿を見て『この男を支えたい、助けたい』と感じた。それは今も変わらねぇよ……あたしはお前のために戦いたいんだ」
ウラジーミルはきょとんとした。
イグアスの言葉を聞いていたライグは、率直すぎる彼女の発言に謎の焦りを覚え若い男女から目線を反らしそうになったが、それはそれで失礼にあたる気がした。彼は大人の余裕があると示すためさりげなく振る舞うことに努めた。
やはり、イグアスは王子を愛しているのか。そして、王子はそのことに気づいていなかったようだ。
イグアスはこれまで旅に同行する理由を曖昧にしていたが、恐らく“ウラジーミルについていきたい”というのが理由だったのだろう。まるで主に付き従う獣だ、彼女は純粋にウラジーミルという男を慕っている。驚くほど単純で明快な行動原理だ。
イグアスのように綺麗な女にあんな風に告白されたらきっと大概の男は面食らい慌てると思ったが、ライグの予想に反しウラジーミルの反応は存外落ち着いていた。彼は最初こそ少し驚いたものの、しばらくの沈黙ののち優しい手つきでそっとイグアスの頬に触れた。
「私はとても強い人間とは言えない。それでも、私を支えてくれるのか? 私がどんな道を選ぶとしても、君は共に来てくれるのか?」
「当然だろ。あたしはあんたの人間らしいとこや弱いとこも含めて好きなんだ。澄ました顔とは裏腹に過激なのが嫌いじゃないぜ……あんたは危険で魅惑的だ。一緒にいて飽きねぇよ」
イグアスは自信に溢れた顔つきで答え、ウラジーミルの額に自分の額を軽くぶつける。それはじゃれつく獣を思わせる潔さで、彼女はすぐに王子から身を離すと彼の手を引き仲間の方へと誘導した。
ウラジーミルは少し困った顔をしたものの、イグアスの手を振りほどきはせず、彼女と並んでゆっくりと仲間のもとへ戻ってきた。
「……先程は取り乱してすまなかった。確かに、私はまだグロザーが憎い。この怒りも、この憎悪も、まだ完璧に消し去ることはできないし、今もあの男に惨い罰が下ることを心から望んでいる」
ライグたちの前で歩を止め、ウラジーミルは凜然と宣言した。ライグは深く頷く。
「それでも構わないさ。君が復讐以外の希望を見つけることができたのなら、俺は心から嬉しく思う。君の決意を祝福しよう」
ウラジーミルはライグに丁寧に頭を下げた。逃亡中の身とはいえ、元王子にそんなことをされてはたまったものではない。ライグが早口にやめてくれと言うと、ウラジーミルもイグアスも、横にいるバレンシアもティリンスもくすりと笑った。
「それで」ライグは急いで話を切り替えた。「具体的には、これからどうするつもりなんだ?」
「グロザーから王位を取り戻すよ」
ウラジーミルがさらりと言い放った言葉にティリンスがぎょっとしたが、ウラジーミルはなにか言われる前に先を続けた。
「これは復讐としてではないんだ。叔父の治世は、私の理想とするものとは遠く離れている。今は三国で戦争をするべきでないし、これまでの閉鎖的な王家の専制政治も変えていかなければならない。我がアルトネアを、私が生まれ育った祖国を、酷い戦地にしたくない。願わくば、私の手でこの国をより豊かで美しい国にしていきたいんだ。愛しき者を奪われる痛みを、耐え難い孤独に震える悲しさを、少しでもなくすことができるなら……アルトネアに生きる人々が、より豊かな暮らしと安寧を得ることができるなら……」
ウラジーミルの蒼眼に強い光が宿る。
「私は、アルトネアの王位を正統に継ぐものとして叔父のグロザーと戦う。王座に就いたあかつきには、皇国と帝国とアルトネアが、三国が共存できる道を探す。そして、アルトネアの繁栄のため、我が一生をこの国に捧げよう」
若き王子の決意はライグの胸を打った。ライグは青年を、青年の隣に寄り添う美しき獣の強い眼差しを見つめる。彼らならきっとできる、そう感じた。そして、彼らと共に行くことが帝国を――ひいては三国の安寧を守ることにつながるのではないか。そんな閃きが、ライグの未来を照らしたように思われた。
ウラジーミルの決意を聞いた一同が、王子に敬愛と情熱のこもった視線を向ける中、ウラジーミルのもう一人の叔父バフラがゲラゲラと笑い声を上げた。
「お前さんがグロザーを退けて皇帝陛下になるってか? 笑えるね、ついさっきまで『祖国なんてどうでもいい、復讐さえできれば死んでもいい』なんてほざいてた奴がね」
「バフラ! そんな言い方はあんまりだよ!」
ウラジーミルよりも先にティリンスが反応した。しかし、王子はとりたてて憤る様子もなく片手を向けてティリンスを宥めると、バフラに冷ややかな視線を注ぐ。
「ごもっともですが、貴方の言葉に簡単に振り回されるほど今の私は子供ではないのです。叔父上、貴方はどうなさるのですか? もし私の政敵になるようであれば、ここで斬ることも厭いません」
「馬鹿言え。俺が王座に就く器に見えるか? 王座を欲す人間に見えるか?」
バフラは即座に否定した。確かに今までの言動からはその通りだとも感じるが、そもそもこの男は何を考えているかわからない。バレンシアが警戒心を顕にバフラを問い詰めた。
「ならば貴方の目的はなんなの? 何が理由で私たちと行動を共にしているの? 私たちが貴方を監視しているということもあるけれど、貴方ほどの身軽さならきっと簡単に私たちをまいて姿を眩ますこともできるでしょうに」
「察しが良いね、お嬢さん。確かに俺は、あんたらに縛られることなく自由に旅をすることもできる。だが、一緒にいることでこっちの利益になるんだよ」
「まさか、グロザーの手先なのか?」
ライグはとっさに口にした。それなら、グロザーに反抗する危険因子であるウラジーミルたちを監視していたとも考えられる。
が、バフラは呆れた様子で頭を抱えた。
「あんたの脳ミソはアルトネアの吹雪で凍り付いちまったのか? 噂に違わず鈍い男だぜ」
「噂に違わず……? 貴方が一体俺の何を知ってると言うんだ」
バフラは一瞬ハッとした表情を浮かべた。
「貴方はなぜか俺の素性を知っていたり、各地の情報に通じていたり、何かと謎が多い人だ。危険だと疑われても仕方あるまい。いい加減自分の正体を明かしたらどうだ?」
ライグは常にベルトに装着している短剣に手をやり、威圧的な態度でバフラを睨み付けた。この妙な男に振り回されるのも飽き飽きしてきた。仲間たちを傷つける可能性があるかもしれないならなおのこと厄介だ。
バフラはこちらに疑心の目を向ける同伴者たちに一通り目を通し、またライグに視線を向けた。ライグは敵意を剥き出しにしているというのに、不思議と向こうからは殺気や怯えは感じられない。まるでこちらの胸のうちを透かされるような視線に、ライグは得体の知れない脱力感を覚えた。
「やめておけよ。俺を殺しても良いことはねぇぞ。まあ、良いことと言っちゃ、ティリンスが俺の鼾に悩まなくて済むことくらいかな」
ティリンスがうっと息が詰まるような音を出した。バフラの鼾に不満を垂れていたことを本人に知られていて動揺したようだ。
「ならば、貴方と共に旅を続けてこちらになんの利益がある?」
訊ねたすぐあとにライグは後悔した。バフラはこれまでの旅において、町毎の諸事情に通じていたり抜け道や最短の道筋を把握していたり、実に有能な働きぶりを示していた。食えない態度や気味の悪い情報通は不快だが、彼が旅において貢献してきた事実は否めない。
「愚問だった、問いを変えよう。貴方は何が目的で我々に同行している?」
ライグは即座に自分の発言を訂正し、一番気になる疑問を口にした。バレンシアも共感するようにライグの隣に寄り添い、バフラを注意深く見つめる。
バフラはしばしのあいだ顎をぼりぼりと掻いて何かを思案していたようだが、低く唸りゆるゆると首を横にふった。
「理由と聞かれても具体的には答えがたいな。ただ、俺はあんたらとの旅は楽しいし嫌いじゃねぇ。それに、そこの甥っ子についていきゃあ俺の指をこんなにしたグロザーの面を殴ってやる機会もあるかもしれねぇ。ただそんだけの下心だよ。確かに俺は放浪癖があって各地の事情に詳しいが、それは三国を渡り歩くための一つの処世術ってもんさ。俺がグロザーと通じてるとか、何かしらの陰謀でお前らに同行してるとか疑るのは、ちと深読みしすぎなんじゃねぇか?」
バフラは指の欠けた右手をひらひらして見せた。そして少し意地悪く笑う。
「そもそも、ちっぽけなお前らを相手にわざわざグロザーや連合軍が動くとは考えにくいだろう。開戦が迫るっていうこの時期だ、お前らよりも厄介な危険因子や対処しなければならない問題は三国とも山積みだろうぜ」
そう言われてはぐうの音も出ない。言われた通り、ライグたちは寄せ集めのたった6人の旅人だ。国家に害をなすような大がかりなことができるとは思われないだろう。
それでも渋い顔をしているライグに、ウラジーミルがそっと耳打ちした。
「叔父のことは今は放っておこう。本当に気まぐれで身勝手な人なんだ。彼の言う通り単純に気分で行動してるだけで、私たちの杞憂という可能性も大いにある。ただ、警戒は怠らないようにしよう」
ライグは仕方なく頷き、バフラから目を離した。ライグは改めてウラジーミル、その横のイグアス、自分の両脇に立つバレンシアとティリンスを見回す。
「そうだな。今はジスタを、グロザーを目指して進むしかないだろう。そうする以外、俺たちに道はないのかもしれない」
ライグは祖国を守る術を探すため。
ティリンスはグロザーの息子たちに拐われた皇女を取り戻すため。
バレンシアはライグの夢と信念を共に追うため。
ウラジーミルは王位を取り返しアルトネアの未来を拓くため。
イグアスはウラジーミルを支え、守るため。
「共に行こう。吹雪はじきにやむ。全員で、王都ジスタを目指すんだ」
そこになにが待ち受けるのか、まだ誰もわからない。だが、どんな未来であれ進まないことには始まらない。ライグは覚悟を新たに、雪に霞む雪原を見渡し氷の都を思い描いた。
まさか彼の地に、戦争の要にして因縁の男、リマ・ガルアがいるとも知らずに。




