緊迫
いくらなんでも身勝手すぎる。
無断で姿を消すなんて、部隊の司令官としてあるまじき行為だ。
ピトンは遠方にそびえ立つ氷結の山脈を、険しい表情で眺めていた。隣では、第7部隊のアザトも冷めた顔つきで敵国の国境を見ている。
「一体全体、参謀副長は何をお考えなのか。姿を消してからもう一週間は経つぞ」
アザトの言葉にピトンは更に表情を曇らせ、呻くように答えた。
「天才様の考えることは俺にはさっぱりだな。枢機卿に取り入ってみたり、ふらりと行方を眩ませてみたり、よほど人を振り回すのが好きらしい」
参謀副長ガルアが行方を眩ませたのは、もう一週間も前のことだった。夕刻の軍議が終わったあと、帝国軍人の一人が報告のためガルアのテントに向かったときには、彼は既に忽然と姿を消していたのだ。
ガルアが連合軍内にいないことに気づいてからは、これは異常事態だと両勢慌てて捜索を開始したものの、結局ガルアは見つからず、彼が姿を消した理由も目的もわからないままだらだらと時間だけが過ぎていった。
だが、そろそろ枢機卿も我慢の限界だろう。恐らく近いうちに、連合軍内の帝国勢力になにかしらの動きをしかけてくるに違いない。
とはいえ、俺たちは本当に何も知らないんだがな……。ピトンは心の中でぼやき、深く溜め息をつく。
すると、後方から聞き慣れた太い声で名前を呼ばれた。ピトンは振り返って声の主が第2工作部隊の隊長であることを確認すると、慌てた様子で近づいてくる友人に声を張った。
「そんなに急いでどうしたんだ、アルガン。便所なら向こうだぞ」
「ふざけてる場合か。とにかく大変なんだ、こっちに来い!」
アルガンは怒ったような困ったような顔で叫び返すと、どこか間抜けに見える挙動で大きく手招きした。ピトンはアザトと顔を見合わせ、二人でしぶしぶアルガンの方へ移動する。
近づいてきたピトンたちを見て、アルガンが緊張した表情で告げた。
「まずいことになってる。皇国の暗殺者がオリンダ大尉のテントに来て、口論みたいになってるんだ。俺じゃあ止められそうにないから、お前の力を借りようと思って」
「暗殺者って、銀髪のナスカって奴か? おいおい、そんな奴と大尉を二人っきりにして大丈夫なんだろうな」
ひやりとしたピトンに、アルガンがきょとんとした顔で答える。
「テイデとベズレーもテントにいるが。何かまずかったか?」
「二人とも全く頼りになりそうにないな。急ぐぞ」
ピトンは説明するのも面倒になり、不思議そうな顔をするアルガンと一緒に走り出した。
ピトンたちがオリンダのテントに到着すると、中からは噂の暗殺者が騒ぎ立てる声が聞こえた。内容は案の定ガルアの失踪を咎めるもので、同じくそのことで悩んでいたピトンはうんざりする。
ピトンはアルガンとアザトに目配せし、テントの垂れ幕をくぐった。
すると、すぐに奇特な銀色の頭髪が目に入った。
「ふざけんなよ、お前はこの5ヶ月間ガルアの補佐官として働いていたんだろう! それが上司の失踪について何も知らないなんて、お前らの軍隊はどうなってやがる!」
ピトンに背を向けた状態で怒鳴り散らすナスカの向こうで、オリンダが渋い表情を浮かべている。彼の両脇には、気まずそうに顔を伏せるテイデと青い顔をしたベズレーが立っていた。
ピトンはオリンダに目で挨拶をしてから、わざとピトンたちを無視しているナスカの肩に手をかけた。
「お前さんの言い分はわかるが、まずは落ち着いて話し合おうや。参謀副長の行方については、俺たちも大いに関心があるんでな」
ナスカは肩ごしにピトンを確認し、子どもらしくない陰湿な笑みを浮かべた。
「誰かと思えば、あんたか。地下道では世話になったな」
嫌味を吐いたナスカを無視し、ピトンはオリンダの側に移動した。オリンダはピトンに顔を寄せ、
「参謀副長の失踪を理由に、私たちが裏切り者だと言ってきた。理由は詳しくわからんが、アルトネアと我々の密通を疑っているようだ」
と囁いた。ピトンはそれだけでナスカの狙いを察し、呆れ返ってしまう。
──お前が帝国を、枢機卿に贔屓にされるガルアを、心底嫌ってんのは知ってるさ。
だから、適当な理由をこじつけて俺たちを排除しようとしてるんだろ。
ピトンはそう言いたくなるのを押さえ、今はナスカを無闇に刺激しないほうがいいと考えた。理由は、ナスカが自分たちを殺すのは造作もないだろうという不愉快な事実と、ここで下手を踏めば本当に枢機卿から粛正されかねないという恐れがあったからだ。
ナスカ一人でオリンダを詰問しにきたということは、恐らくヴァルカモニカはまだ帝国勢を潰すと決めたわけではないはず。だからこそ、ここは上手く切り抜け少しでも疑いを晴らしたい。
ピトンはナスカに真っ直ぐ向き合い、両手を上げて攻撃の意志がないことを示す。鼻を鳴らしたものの、ナスカも両手を上げ手に何も持っていないことを明示した。
ピトンは満足げに手を下ろし、できるだけ穏やかに声をかけた。
「さて、詳しく話を聞かせてもらおうか。なぜ俺たちが裏切り者だと思うんだ?」
そう言ったピトンにナスカは「とぼけんなよ」と毒づいたが、説明しない限り事は進まないと見て低い声で話し始めた。
「要因はいろいろあるが、数週間前に連合軍付近の丘で謎の鏡が見つかった。この鏡はもともと連合軍の物じゃない上に、アルトネアには鏡を使った珍しい移動術があってな。アルトネアの人間が鏡を使ってここに近づき、連合軍の人間に接触した可能性がある」
ピトンはナスカの言葉に目を丸くし、魔術師であるテイデを見やった。テイデは小さな体を更に縮めながら、弱々しい声で返答する。
「そ、そういう奇術があるかもしれないという話は聞いたことがあります。でも、私じゃ詳しいことは……エルチェさんに聞いたほうが……」
「わかった、ありがとな。後で聞いておく」
ここ最近皇国軍で噂されていたアルトネアとガルアの密通は、それが原因なのかとピトンは納得した。
が、そうなるとますますガルアの思惑が読めない。彼ほどの男が、皇国に疑われるような証拠を残して自分が不利になる状況に陥るだろうか?
少なくともピトンがよく知る狡猾な参謀副長は、相手が誰であっても自分の手の内を明かすような真似はしない。彼はどんな情報も自分に有利に働くように操作し、時には部下の心さえも利用して策を進める。
ならば、この状態もガルアの計画のうちだろうか。
それとも、ガルアを上回る何者かが存在し彼の計画を挫いたのか──。
ピトンは恐ろしい推測を振り払い、拳を握り締めた。真実がどうであれ、ガルアの思惑がどうであれ、彼がいない以上ピトンたちにできることは一つしかない。
自分の身は自分で守る、それだけだ。
「……なるほどな。急に妙な鏡が出てきたもんだから、アルトネアの使者がそれを利用してここに侵入し、誰かさんと密会したと予測したのか。で、その誰かさんが参謀副長だと勘ぐって、参謀副長とアルトネアが密約を結び猊下を騙し討つつもりだと考えた。それで、参謀副長の部下である俺たちにも同様の疑いを抱いた……と」
ピトンが述べた解釈に、ナスカは意外そうな顔で頷いた。どうやらピトンは随分と見くびられていたらしい。
「参謀副長はお前らの上司なんだから、俺が疑うのも当然だろう。これで、俺がお前らのところにきた理由はわかったな?」
ピトンは頷こうとして──慌てて後退した。ナスカが懐からダガーを抜き出し、ピトンに向かって突きつけたのだ。
銀髪の暗殺者は驚く帝国軍人たちを無視し、にやにやと嫌らしい笑みを顔に広げる。
「それじゃあ、大人しく従ってもらおうか。ヴァルカモニカ様の命を少しでも狙ってる可能性があるなら、お前らは信用できない。なぁに、抵抗しなければ命まで奪いやしねぇよ、有り難く思えよな」
「だから、俺たちは何も知らないって──」
とっさに口を出たピトンの言葉は、最後まで続かなかった。ピトンは後方でガチャリ、と武器を構える音がしたのに気づいて、慌てて制止を呼びかける。
「アザト、射つな!」
「わかっている」
いつのまにか準備していたクロスボウをナスカに向け、アザトが落ち着き払った声で答えた。この軍隊の中でも極めて優秀な弓士であるアザトは、ありとあらゆる弩弓を使いこなす。小振りなクロスボウを使って敵を闇討ちすることも少なくはない。
だが、今ナスカに攻撃をしかけては穏便に済ませようとしていたピトンの努力が水の泡となる。
それはアザトもわかっているようで、張り詰めた空気の中沈着にナスカに宣告した。
「これはあくまで牽制だ。お前が伍長や大尉に迂闊に手を出せないようにな。お前が武器を下げれば、もちろん私も弓を下げる。しかし、もし私の仲間に斬りかかったときは…──」
アザトは最後まで言わなかった。ピトン自身も突きつけられた刃を前に、無意識に腰に下げた剣に手が向かっていた。
彼は気持ちを鎮めるため、一旦周囲の仲間に目線を走らせた。よく見ると、オリンダも剣の柄に手をかけていることに気づいた。
なおも冷めた表情を崩さないナスカに、オリンダが厳粛な面持ちで警告する。
「君が私の部下に襲いかかれば、私は君を斬らざるを得ない。暴力沙汰になれば双方に被害が出ることは目に見えているし、それはお互いの為にならない。どうか武器を下げてもらえないだろうか」
低い声が辺りに響き、余韻を残して散っていく。テントの中には、殺伐とした戦闘の予感が漂っていた。ある者は得物を構え、ある者は緊張に身を強ばらせ、互いの様子を窺いながら自分にできる行動を探っている。
そんな中、ベズレーはただ冷や汗を浮かべ唇を噛み締めていた。軍人として血腥い戦場を経験してきたはずなのに、と不思議に思うほど彼は青ざめて硬直している。
ピトンはいざ事が起きればベズレーは使い物にならないだろうと思いながら、ナスカを油断なく伺った。そのナスカが、口角を吊り上げ挑発的に言い捨てた。
「俺と戦るか。いいだろう、だが、俺はお前ら全員を相手にしても勝てる自信があるぜ。それを承知の上でかかって来いよ」
ナスカの売り言葉に、ピトンの指先が跳ねる。
──どうやら、戦うしかないようだ。
でなければ、自分たちがやられる。
ピトンがそう直感し、剣を抜き放とうと力を込めた──
その時だ。
「敵襲、敵襲だーっ! 侵入者が猊下のテントに向かってるぞーっ!」
外から切羽詰まった兵士の声が響く。ついで、短い剣戟の音と断末魔の叫喚が上がった。




