第4章〈正門の攻防〉
やがて少年の声がやんだ。ティリンスは息を詰めじっと耳を澄ましていたが、下の方で人が動くような気配を感じた。少年がマンホールから外に出るつもりだと気づいて、急いでその場から離れる。
────ギィッ。
マンホールの蓋がわずかに持ち上がった。建物の裏手からそれを見ていたティリンスは、マンホールと地面の間の暗がりから辺りを窺っているであろう少年を確認しようと目を凝らしたが、隙間が狭い上に影になっているのでぼんやりとしか見えない。
が、もどかしく思うティリンスの胸中を知ってか知らずか、急に蓋が勢い良く跳ね上がった。
ついで蓋を両手で掲げ上げた体勢の金髪の少年がひょっこりと顔を覗かせ、手に持ったものを音を立てないようにそっと脇に置く。少年が結構な重量であろう鉄製の蓋を器用に扱ったのでティリンスは若干驚きはしたものの、なるほど確かに、マンホールから這い出してきた少年は肩幅も広くなかなか頑丈そうな体格をしている。
なんとかして接触しなくては──。蓋を手際よくはめ直す少年を見ながらティリンスは焦った。
もしあの少年が本当に帝国軍と関係があるならば、聞きたいことが山のようにある。それにあの少年は議事堂に潜入するとも言っていたので、議事堂にいる枢機卿に用があるティリンスと協力してくれるかもしれない。
だが、警戒され逃げられたりしたら困る。ティリンスは胸に手をあて心を落ち着かせると、建物の影から何気ない風を装って歩き出した。
蓋を閉め終え立ち上がったばかりだった少年は、背後から近づいてくる足音を聞きはっとした表情で振り返った。ティリンスはそんな少年に柔和に笑いかけ、歩きながら気さくに話しかける。
「おはよう。今日の地下道はどんな様子だった?」
この台詞は貧しい人々の間ではよく聞くものだ。地下道をねぐらとする貧民たちは、浮浪者を取り締まる警備員や時たま現れるちんぴらなような集団を危惧しこうやって情報をやりとりすることが多々ある。ファンブリーナ暮らしが長いティリンスにとって、この挨拶は聞き慣れたものだった。
そう言われた少年はきょとんとしたが、それがこの街ではありふれた挨拶らしい、そしてこいつ──つまりティリンスは何も知らないただの貧民らしいと考えたようで、澄ました顔で肩を竦めてみせた。
「どうって、いつも通りだ。入ればわかる」
少年はそのまま歩き去ろうとしたが、ティリンスは歩きながら詰めていた距離を利用し素早く少年の前に回りこんだ。
行動を妨害され不愉快そうにティリンスを見上げた少年は、年の割に威厳のある声音で言った。
「何の真似だ。どいてくれ」
少年をじっと見つめると、ティリンスはできるだけ小さな声で告げた。
「勘違いだったら悪いけど、君は帝国軍と関係があるのか?」
唐突に投げかけられた質問に少年は微かに目を見開くと、またしても不機嫌そうな表情になり吐き捨てるように答える。
「何の話だ。帝国軍なんざ知らん」
「でも、君が地下道で話すのを聞いたよ。確か『時外流隠蔽』とか『ガルア司令官』とか言ってたよね?」
少年の反応は早かった。
迷いなど微塵も感じさせない素早さでティリンスの脚を払うと、右肩から横倒れになったティリンスを跨ぎ首もとに冷たい何かを押し付ける。
刃物を突きつけられたことにティリンスが気づくまで、さほど時間はかからなかった。
「どこまで聞いた?」
「……き、君が時外流隠蔽の方が良かったと言ってたところからだ」
「くそっ……ほとんど全部じゃないか。まったく、最近の俺は本当についてない」
少年は苦々しく毒づくとおもむろに立ち上がり、ティリンスの喉にあてていた短剣を離す。ティリンスは呆然としたまま未だに冷たい感触が残る自分の首をさすり、それから思い出したように早口で言った。
「否定しないってことは本当に軍の関係者? それに議事堂に潜入するって……」
「静かにしろ! 皇国軍に聞かれたらどうするつもりだ!」
少年のあまりの剣幕にティリンスは閉口し、申し訳なさそうに眉尻を下げた。ティリンスの情けない表情に呆れ返ったかのように少年はうなだれると、ふいに声を落として話し始める。
「聞かれたのならしょうがないし、変に嗅ぎ回られても厄介だからこの際教えておく。君が言った通り、俺は帝国の軍人だ。そして……ファンブリーナ奪還を目的としている」
「……本当に? 本当にファンブリーナを取り返すつもりなのか?」
「当たり前だろう。でなければ何のためにここまで来たんだ」
少年は更に続ける。
「とにかく、このことは絶対に言いふらすなよ。君だってこの街を守りたいんだろう? だったら余計なことはせず、帝国軍が上手くやれるよう大人しく祈っていてくれ」
有無を言わせぬ口調でいいな?、と念を押すと、彼は早足でその場を去ろうとした。
────が、
「待ってくれ! 僕も一緒に行く!」
とティリンスは叫んでいた。
少年は信じられないといった顔で振り返り、いらついた様子で唸った。
「……俺の話を聞いてなかったのか? これは軍人の仕事だ、一般人の君が関わるべきことじゃない。故郷をめちゃくちゃにされ憤るのもわかるが、今は大事な時なんだ。頼むから大人しくしてろ」
だがティリンスは首を縦に振らなかった。ゆっくりと体を起こし腰に吊り下げた剣に手を乗せると、不思議と心が落ち着いて冷静になった。確かにこの少年が言う通り、自分はただの一般人でこんなことに首をつっこむべきではないのだが、それでも素直に引き下がりたくはない。
ファンブリーナを取り戻すために。
そして、アネリを見つけ出すために。
ここで折れるわけにはいかないのだ。
「君は議事堂に潜入すると言ったね。実は僕もそのつもりなんだ。それに昔、仕事で議事堂に出入りしてた時期があって──内部構造はかなりわかる。つまり、君の役に立てると思う」
ティリンスは決意を秘めた目で少年を見据えた。
「だから僕も一緒に行くよ。この街を──ファンブリーナを守りたいんだ」
「……ええ、そうです。ニグミ族の青年です。なんでも議事堂に仕事で出入りしてたとか。……名前? ティリンス・クレタというそうですが」
ティリンスは少年──ライグが首から吊した半透明の石に向かって話しかけるのを不思議そうに眺めていた。その丸い石は直径5センチほどで内部が仄かに虹色に輝いており、ティリンスが始めて目にするものだった。ライグはそれを『時界石』と言うのだと教えてくれ、遠く離れた相手とも会話ができるものだと言ったが、それにしても神秘的な石だ。ティリンスは好奇心からその石をじっと眺めていた。
するとじろじろ見られていることに気を悪くしたのか、ライグがティリンスを手で追い払う仕草をした。ティリンスはそれに従い、しぶしぶ建物の影から出て通りを眺める。太陽も大分高い位置まで登り人通りも増えたが、路地裏にしゃがみ話し込むライグを気にする人は不思議とあまりいない。まあ、子どもがこそこそしてるのはそんなに珍しい光景でもないしなと思いながら、ティリンスはライグが上官への報告を終えるのを待った。
やがて、ライグが時界石を服の中に隠しながら長い溜め息と共に近づいてきた。
「司令官の許可が下りた。本来なら一般市民の君をこんな危険な任務に付き合わせるわけにはいかないが、事が事だ。ティリンス、議事堂に潜入する手助けをしてくれないか」
無理矢理ついて行くと言ったのは自分なのにと思いながらも、ティリンスは快諾した。
「もちろんだよ。というより、僕が連れて行ってくれと頼んだようなもんだし」
「だが、若者の無謀で命知らずな行為を咎めるのが大人の役目だ。それなのにあの司令官ときたら……『便利そうだから連れて行け』などと……」
ティリンスは無謀で命知らず呼ばわりされたことになんとも言い難い悔しさを感じたが、その通りかもしれないので黙っておいた。
それにしても。
「君、一体何歳なんだ? 軍曹だと言ったけど、僕には十代前半にしか見えないよ」
ティリンスの言葉にライグはきっぱりと断言した。
「君よりは十以上年上だ。なんだ、この姿を真に受けたのか。てっきり時魔導が絡んでると気づいているものと思ったが」
ティリンスは目を丸くすると、自分の迂闊さに赤面し狼狽えながら答えた。
「すみません、気づきませんでした」
ライグはティリンスに初めて笑みを見せ、素直なのはいいことだと言うとふいに真剣な表情になった。
「さて、そろそろ作戦開始といこうか。俺が最初に警告したことは覚えてるな?」
「はい。ライ……ダンバー軍曹の指示に必ず従うこと、危険が迫ったら取りあえず逃げること、ですよね」
「そうだ。間違っても戦おうなんて考えるなよ。君は恐らく剣に関しては素人も同然だろうし、何より奴らに捕らえられるのだけは避けたい。そうなったら一巻の終わりだぞ」
ティリンスはごくり、と唾を飲み込むと、自分を安心させるかのように剣に手を伸ばした。だがライグが言うように自分はまるで剣の扱い方など知らないし、これはあくまでお飾りなのである。
ライグはティリンスに一通りの手筈を短く説明し、チュニックの内側に忍ばせた短剣を確認すると、ティリンスに目配せして歩き出した。ティリンスもそれに合わせ、先ほど地下道で拾ってきたぼろぼろのローブを来てフードをかぶる。かなりきつい臭いがするが、貧しさを演出するには丁度いいだろう。
ライグがずいぶん堂々と歩くので不審がられないかと心配したが、通りを行く人々は俯いてライグたちにはまるで無関心だった。それなりに自由に過ごせるとは言え、自分の住む街を占拠されているという精神的疲労からみんな疲れているらしい。
歩き始めると議事堂はすぐに見えた。雑然としたファンブリーナの景観から浮き出したように整然と建物が並ぶ議事堂周辺部は、見通しがよく遠くからでも色々なものが見える。やはり群を抜いて目を引くのは、ファンブリーナで最も広大な敷地を持つ巨大な議事堂だ。この議事堂は今から70年年前にファンブリーナの創立200年を祝って国家事業として造られたものらしいが、それだけあって見栄えもよく何もかも豪奢である。高い煉瓦の塀と複雑で繊細なレリーフを施された門柱と門扉は厳粛さを放ち、訪れるものを威圧するように佇む。ティリンスも初めて議事堂を見た時は気圧されたものだ。
正門を見張る門番の一人がこちらに気づいた。門番は目に見える範囲では四人だが、恐らく塀の内側や議事堂内部にはもっと多くの皇国軍が控えているのだろう。ティリンスは立ち止まると、怖じ気つく自らを奮い立たせこちらに向かってくる皇国軍の男を見つめた。
隣で同じく歩を止めたライグが静かに言う。
「上手くやれよ」
ティリンスは拳を強く握り締め、ゆっくり息を吐き出した。
「おいお前ら、議事堂に何の用だ」
皇国軍の男が尋ねた。が、その顔はバイザーの奥──確かサーリットとかいう兜で隠されており、はっきり見えない。ティリンスはあからさまに怯えた様子で門番を見返し、ついでライグを見て言った。
「すみません、この子がどうしても枢機卿に会いたいと言うので……」
「ヴァルカモニカ様に?」
皇国軍の男はふうむ、と唸るように二人を眺め回すと、真面目苦腐った表情で男を見上げるライグに質問した。
「猊下に会いたいらしいが、何故だ?」
ライグは真っ直ぐ門番を見つめたままはきはきと答えた。
「彼にお仕えしたいからです」
恐らく面食らったのであろう門番は、しばらくじっとライグを見ていた。するとライグの顔を覗きこむように前屈みになり、びっくりするほど親切そうな声で言った。
「お前、本気か? 親はどうしたんだ?」
「孤児ですから、親なんていません。ですからお願いです、ヴァルカモニカ様に会わせてください。あの演説を聞いて、本当に心を打たれたんです。どうしても彼のもとで働きたいんです!」
ライグは真に迫った表情でそう言い切ると、潔く膝を突き土下座した。
枢機卿に心酔する子どもになりすまし門番を油断させる、というのはライグが提案してきたことだった。ライグは上官の入れ知恵だとどこかつまらなそうに言ったが、枢機卿の子ども好きは皇国では有名なことらしい。実際戦争孤児の為の施設や教育費などにも膨大な金額をかけているらしいし、確かアネリもそんなことを言っていたような気がする──セネットは全ての子どものために戦っているのだ、と。
正直その時は胡散臭いとしか思わなかったし信用もしていなかったが、改めて考えると思い当たる節がないわけではない。皇国兵は制圧の際、一般の町民、とくに女子供は極力傷つけないようにしていたし、現に今だって門番のライグに対する態度は紳士で、ティリンスの時とは大違いだ。
まったく、あの枢機卿は全然わからない──。ティリンスはそっと目を閉じると、心の中で呟いた。
アネリ、君が父親になってほしいと願った男は、本当に君が言うとおりの高潔な人格者なのか? もしそうだとすれば、僕はファンブリーナをどん底に突き落としたあの男をどうすればいいんだ──?
少なくともティリンスは、帝国の頂点である女帝にいい感情は抱いていない。侵略と破壊を繰り返してきたこの帝国を、神の国と呼べるような素晴らしい国だとは思えない。それは恐らくティリンスが辺境の民族であり国家とは無縁のニグミ族であることも関係しているのだろうが、それでもこの帝国は……本当に正しいことをしていると言えるのだろうか? もちろんファンブリーナは取り返したいしこの街を傷つけた枢機卿は許し難いが、それでも何かがティリンスの心を曇らせている。
結局、戦乱の世に“正義”は存在しないということだろうか。帝国も皇国もやっていることは似たようなものだし、守りたいものだってきっと同じはずなのだ。
「────わかった」
男の声が長い沈黙を破った。ティリンスは最初その言葉がどういった意味合いなのかを計りかねたが、門番の男がライグを枢機卿のもとへ連れて行くのを承諾したのだとわかり安堵した。
「ヴァルカモニカ様は子どもを何よりも大切にするし、俺たちも猊下に習いたいと思う。それにお前は誠実そうだしな……俺が責任を持って猊下のもとへ連れて行こう」
「──ありがとうございます」
ライグは礼儀正しく感謝を述べると、ちらりとティリンスを見た。すると門番もそれに気づいたのか、ティリンスに問いかける。
「それはそうと、お前は何者だ?」
「この子と同じ孤児院出身の者です。今は孤児院の手伝いなどをしながら過ごしていますが、彼が猊下に会いたいと言うので心配でついてきたんです」
「そうか……。まあ、せめてフードをとれ。なんならお前も枢機卿のところへ──」
「ま、待ってください!」
ティリンスが慌てたようにフードをひっつかみ深く被り直したのを見て、門番の男が怪しむ。ティリンスの横から間髪入れずにライグが言った。
「すみません、兄さんは昔火事で酷い火傷を……。そのせいで親に捨てられ、僕らの孤児院に来たんです。だから、フードはそのままにしてあげてください」
「それはすまん」
門番は憐憫の目をティリンスに向けるとあっさり引き下がった。ティリンスはその態度を少々意外に思いながらも、上手くいったと胸を撫で下ろす。ティリンスたちは運が良かったらしい──この門番なかなかのお人好しのようだ。
「もちろん変な行動はとるなよ。その時は迷わず力尽くで取り押さえるからな。あと俺の前には絶対出ないようにして、必ず後ろを歩け。わかったか?」
「ありがとうございます!」
ティリンスとライグはそう言うと深々と頭を下げ、伏せた顔を見合わせほくそ笑んだ。




