最終話 屍弔官・ゴオト
起きて最初にやることと言やぁ、ヤニを吸うことだ。
枕元に置いてる硬木製のパイプを手探りで掴むと、上半身を起こしながら口にくわえる。
昨晩の燃え差しに火を点けりゃ、苦味と酸味と焦げ味の混じった煙が、舌の上を転がりながら広がっていく。
相変わらず最高に不味い。だが今日は、少しだけ気分がいい。
「……へぇ。いつもより、機嫌が良いみたいね。珍しい」
いつの間にか起きてやがったハンナが、俺の顔を見上げながら、面白がるようにニヤニヤ笑う。
「アンタの辛気臭くない顔なんて、初めて見たわ」
「るせぇ。俺にだってな、たまにはそういうこともあらあ」
言いながら煙を吐き出せば、少しだけ湿った室内に薄く広がっていく。
汗と、酒と、化粧品の匂い。
「……何があったかはアタシの知ったこっちゃないけど、アンタにはその顔の方が似合ってるんじゃない?」
褒められた……のか? よく分からねぇが。
「まあ、アタシから言わせてもらえば、金払いさえ良けりゃ、アンタの顔が辛気臭かろうがそうでなかろうが、どうだっていいんだけどね」
持ち上げたと思ったら落としてきやがった。何がしてぇんだよ。
てぇことを思っていたら、どうやら俺は顔に出ていたらしい。ハンナは呆れたように笑い出す。
「まったく、アンタがそんな調子じゃ、こっちの調子まで狂っちゃうじゃないの」
化粧の落ちた飾りっ気のねぇ笑顔は、まるで冷笑を浴びせてくる、大人になる前の少女のようで。
「……テメェも、そんな顔出来たんだな」
俺が感心したように言や、今度はハンナの方が、呆気に取られたような顔をしてやがる。
「何それ。もしかして、口説いてるつもり? もう一戦行っとく?」
「やらねぇよ! 気持ち良くなる前に今度は腰が逝っちまわあ!」
自分で言ってて少し悲しくなっちまった。こないだ背中打ったときに腰に響いて、まだ治ってねぇんだ。年ってのは取りたくねぇな、うん。
「それにな、今日は予定があるんだ。流石にヤってる時間はねぇんだよ」
もう一度だけパイプを吸い、煙を頬張った後、吐き出す。
「はあ。珍しく『その気』だったのに、アンタって男は女心を全然分かってないわね」
ぶつくさ文句言われても、知らねぇよ、んなモン。
「それじゃあ、次に来たときに『おもてなし』してくれや。たっぷりとな」
ベッドから抜け出して、床に散らばった服と下着を、全裸で拾い上げていく俺。
興味なさげに言い放てば、ハンナの投げた枕が、俺の尻に命中した。
「はいはい! 行くならさっさと行きなさいな、この空気読めないクズ男!」
ひでぇ言われようだな、おい。
でも、ここまで言われりゃ流石に、コイツの機嫌を損ねちまったことくれぇは鈍い俺でも判る。
服を着終えて部屋を出るとき、普段よりは多めに銀貨を置いておいた。
「じゃあな。次会うときまでは生きてろよ、『ハンナ』」
俺が名前を呼んだ瞬間、拗ねたように後ろ向きに寝ているコイツが、肩を震わせたように見えた。
いつもと同じ、この街の風景。
お日さんは雲に隠れちまってるが、街は行き交う人波で相変わらずの賑やかさだ。
露店で値切りに精を出す冒険者に、店主と世間話をしてる主婦。
今日は人が多いせいか、ガキ共は端っこの方で遊んでやがる。
「ゴオト」
不意に声を掛けられた。振り返ってみりゃ、紙袋を持ったフューネと、大荷物を抱えたレオンが居た。
「買い物か?」
「うん。レオンに、買い出しを手伝ってもらったの。日用品とか、棺を作るときに使うものとか、その他色々」
レオンが抱えている荷物の中身は……棺の内側に張る布みてぇだ。
あとは石鹸とか、菓子の箱なんかもチラ見えしてやがる。
「そう言や、もう体の方は良いのか?」
改めてレオンに視線を移せば、奴は笑顔で頷いた。
例え声を出せなかろうが、「ありがとう」って言ってるのは、見りゃ解る。
本当に助かって何よりだ。助けられなきゃ、俺は確実に後悔してだろう。こんなことも、ちゃんと戻って来れたから言えることだがな。
お陰で、偽物野郎様々に大馬鹿者認定されちまった訳だが。
「ゴオトは……散歩でもしてたの? 買い物ではないみたいだけど」
人ごみの中でも通る静かな声で、フューネが聞いてくる。嬢ちゃんなりに、色々と察してくれてはいるみてぇだな。娼館帰りってのはバレてるとは思うが。
「まあ、そんなところだな。あ、そうそう」
歩いてきた奴と、肩がぶつかりそうになっちまった。急に人が増えたきやがったな。
「夕方か夜くれぇには、またそっちに寄らせてもらうかも知れねぇ」
「分かった。準備しておくから」
そこで話を切り上げると、二人はあっという間に雑踏の中に消えていった。
周りよりも少しだけ高いレオンの頭を見送ったあと、俺はまた、街並みに目を遣る。
荷下ろしをしているらしい、商店の前に停まっている、幌付きの馬車。それを見て、数日前に馬車でこの街を発った奴らを思い出す。
あの二人──エドゥアルトとミカエラは、もう着いたんだろうか。
特別に手配したらしい、二頭立ての馬車が、発着場に停まっている。
エドゥアルトとミカエラはそれぞれ騎士としての正装──鎧姿で、馬車の前に立っていた。
「ゴオト殿。貴殿には本当に、感謝しても感謝しきれない」
また頭を下げようとするエドゥアルトを、俺は手で制す。
「そういう堅っ苦しいのは他所でやってくれや。第一、騎士ってのはペコペコ頭を下げるようなモンでもねぇだろ」
半分皮肉で言ったつもりだったが、コイツには通じてねぇみてぇだ。真面目かよ。
「それより、今度こそちゃんと『弔って』やってくれよ?」
言いながらエドゥアルトに手渡したのは、小さなガラス瓶に入った骨の欠片が数個。
ザイオンの野郎に燃やされて、もうこれだけしか残ってねぇんだ。
「無論だ。父上の望みを叶えることは出来ぬが……骨だけでも帰ることが出来たのは、不幸中の幸いだ」
帰るべき場所に帰れるってのは、幸せなことなんだよな。そうでねぇ連中も、冒険者には多いからな。
「ゴオト様」
続けてミカエラも口を開く。持っているのは古びて変色したハンカチだ。
あの体液が染み込んだヤツは、ミカエラのものだったらしい。『真なる奇蹟』が発動したときに体液を使ったせいか、あの形容し難い色は消え失せている。
「本当に、ありがとうございました」
「だから、頭なんざ下げなくたっていいって言ってんだろ?」
こちらも頭を下げようとするのを手で制す。
「俺としちゃ、『アレ』を内緒にしといてくれりゃ、それでいい」
『アレ』。もちろん『真なる奇蹟』のことだ。一介の神官、それも追放された奴が使ったとなりゃ、それはもう大層に面倒なことになるのは目に見えてるからな。下手すりゃ関わった奴全員が殺される可能性すらある。
そんくれぇ面倒で複雑怪奇で伏魔殿みてぇな組織なんだよ、教会ってのは。
「ゴオ卜殿、この恩は、何時か必ず」
「……だから別にいいっての」
俺の信じていたものが──俺がしぶとくしがみついていた『信仰』ってモンが、たまたま誰かを救えたって、ただそれだけの話だろ?
「ほら、馭者があくびしてやがるじゃねぇか。さっさと行きやがれ」
憎まれ口を叩いてみれば、名残りを惜しみながら、二人が馬車へと乗り込む。
「……じゃあな」
もう聞こえねぇとは思うが、改めて俺は別れの言葉を呟いた。
こんな面倒事ってのは、一生に一度で十分だ。だから。
「もう、会うことはねぇだろうけどな」
走り出した馬車の車輪の音が、俺の最後の一言をかき消した──。
「ゴオトっ!」
何て物思いにふけっていたら、聞き覚えがあり過ぎる声と共に、後ろから体当たりを食らった。
完全に不意打ちだ。思わずそのまま倒れそうになるのを、ギリギリで踏み止まる。
振り返る。ジュリアだ。
「テメっ、ちったぁ手加減しろ! こっちはオッサンなんだぞ! まだあちこち痛ぇんだよ!!」
背中の痛みがぶり返し、おまけに一瞬腰に響いた。これは気をつけねぇとやべぇことになるぞ。
「もう、大げさなんだから。回復の『奇蹟』使えばいいじゃない」
「俺自身のためだけに『奇蹟』は使わねぇって、昔っからそう決めてんだよ。ったく、これだからガキはよ……」
何でも楽な手段で解決しようとしやがる。そう続けようとしたとき。
「お前ら、本当に仲良いな。まるで親子じゃないか」
少し遅れてやってきたのは、アレフだ。
まあ、下手すりゃコイツみてぇな娘がいたって不思議じゃねぇ歳だがよ。改めてその事実を突き付けられちまうと、少し……いや、かなり納得がいかねぇ。
「で、二人揃って何なんだよ」
「そう、それ! 時間過ぎてるのに来ないからさ」
「ちょっと探しに行ってくるって言い出して、俺はギルドで待ってた方が言ったんだが、結局……」
お、おう。それは……悪ィ。マジで済まねぇ。
「でも会えたから良いじゃない! で、今日はまた潜るんだよね?」
強引に誤魔化そうとすんなよ、ったく。
「……まあな。今回は第5階層の21号区画の遺体回収だ。21号区画は初めてだが、魔物がやべぇって噂は聞くからな、頼りにしてるぜ?」
俺の言葉に、ジュリアとアレフは自信ありげな表情を浮かべる。
「パーティ休止中だから、あたしだって頑張って稼がなきゃいけないし。お金の分だけの働きはしてみせるからさ!」
「戦闘なら任せてくれ。一応これでも、傭兵経験は豊富だからな」
「今度は罠にはまるんじゃねぇぞ?」
からかうように言ってみりゃ、アレフは憮然とした様子で口を尖らせる。
「冗談はこんくれぇにして、さっさと……」
言いかけて、思わず止まっちまった。
人ごみの中に、ホークの後ろ髪に似たものがたなびいたのを目にした、そんな気がしたからだ。
「ゴオト?」
いや、気のせい……だな。きっと、そうだ。
「……何でもねぇよ。じゃ、行くか」
そそくさとその場から歩き出す俺。これ以上、変なモンを見ちまったらかなわねぇ。
「変なの」
「ひょっとしてまだ疲れが溜まってるんじゃないか? 寄る年波には……とかって言うじゃないか」
ひそひそ話してやがるが、丸聞こえだぞ。まあいい。
俺達三人は、人波に逆らいながら、迷宮城砦地下入口の方へと向かう。
ふと見上げりゃ、雲の切れ間からお日さんの光が薄く射し込んでいた。
迷宮城砦の一番高い尖塔が、今日も影を落としている。
いつもと変わらねぇ街の風景が、そこにはあった。
ただ、一つだけ変わったことがあるとすりゃ。
──死者を弔い官える者、屍弔官、か。
ヴィクトールに言われたことを、改めて反芻してみる。
「悪くは、ねぇかもな」
独りごちれば、ジュリアもアレフも疑問符を浮かべたような顔をして、俺を見てきやがる。
「何でもねぇよ!」
恐らく、俺は満足げな顔をしてたんだろう。二人は訳が分からないとでも言いたげだ。
別にいいんだよ。誰にも分からなくても。
俺は追放神官で、大馬鹿者で──屍弔官だ。




