第21話 『真なる奇蹟』
色を取り戻した世界。さっきまでは感じていなかった痛みが、急に全身に蘇ってくる。
『このままでは、君達は全員死ぬ』
偽物野郎に言われたことが、もう一度頭に響く。
死なせたくねぇし、死にたくもねぇんだよ俺は。ホークの遺体を見つけて弔うまで。
だから、根性出せよ、俺!
「──運命と時を司りし星導の神、大いなる主神たる我らがアストライオスよ」
蚊が鳴くよりも小さい声しか出ねぇ。喉が灼けるように痛む。
「──その偉大なる権能を以て」
咳込む声や呻き声が、段々小さく、少なくなっていってやがる。他の連中も限界が近ぇんだ。
早くしねぇと。でも、焦っちゃ本当に終わりだ。だってな、俺が一度も使ったことのねぇ、しかも『祈りの言葉』だってうろ覚えのヤツなんだから。
でも、俺には確信があった。
「──穢れに侵されし土を、水を、風を」
大昔に読んだ教典の最後の方の頁を、ただひたすらに思い出し、頭の中でなぞっていく。
あの偽物野郎が本当に『そう』なら、言っていた祝福と加護が『本物』なら、俺の今の力量以上の『奇蹟』の顕現を後押ししてくれるはず、だよな?
そうだよな、我らが大いなる星導の神、偽物野郎さんよ。
「──数多の星々の光で清め、病めし身を御業によってお救い下さい」
たぶん、これで間違ってねぇはずなんだ。
「『浄化』」
最後まで唱えきった瞬間、光の粒子が満天の星空みてぇに部屋を覆い尽くす。
漂っていた緑色の毒霧が晴れていくにつれ、小雨のように細かな水滴が振り注ぐ。
「……ぇ、あ、苦しく、ない……?」
ジュリアが戸惑いながら、ゆっくり体を起こす。
だが、一番戸惑ってやがったのは。
「何だ? 何故だ? 一体何が起こった? 『毒雲』を全て中和するなど教会の司祭ですら……」
思わず詠唱を中断したザイオンの野郎が、慌てて周囲を見渡してやがる。
まだうつ伏せのまま起き上がれてねぇ俺は、右手を小さく持ち上げて、奴に見えるように中指を立ててやった。
「ッ!!! 貴様ァァァッッ!!」
それがザイオンの自尊心を傷付けたらしい。明らかに激高した声で、凄まじい速さで呪文を詠唱し始めた。普段から人を見下してるような奴は挑発に弱いってのは、コイツにも当てはまるみてぇだ。
「……! いけない!」
かすれた声で呟くと、ミカエラが対抗して呪文を詠唱し始める。防御系か何か、か?
……長ったらしい呪文てのは、大変だな。俺みてぇな奴には、一生覚えられそうもねぇ。
確かに、『奇蹟』を発動させるための祈りの言葉の中には、長ったらしいものもある。でもな、『真なる奇蹟』を発動させるための言葉は短ぇんだ。俺だって知ってるくれぇにはな。
「──大いなる神アストライオスよ」
聖ステラーリスの伝説。絵本にもなってるし、そこらのガキでも知ってる。
「──安息を得し御魂に」
何なら、『ごっこ遊び』でもよく出てくるヤツだ。
「──今、一度の苟且の生を」
炎を操る魔神に燃やし尽くされ、灰になっちまった勇者を、燃え損ねた骨の欠片と剣にこびり付いた血の一滴から復活させたって伝説。
ガキ共が唱えたって、大司教が唱えたって、実際には何も起こらねぇんだ。
『神』って奴に、許された奴じゃねぇ限りは。
杖を支えに、上半身を起こす。
俺が唱え終わると同時に、吹っ飛ばされたときにぶち撒けた革袋が、細かく震え出す。
エドゥアルトに渡した印章が入っていた袋。まだ中に入っているのは、第2階層17号区画で回収した骨の欠片と体液が染み込んだハンカチ。
革袋の口がひとりでに開き、骨の欠片とハンカチが宙にふわりと浮かぶ。そして、眩しい光を発した。
ザイオンもミカエラも俺も、その場に居る意識のある奴はみんな、突然の眩しさに目を閉じた。
一瞬なのかどうかは分からねぇ。ただ、光が止んだときには、あり得ねぇものがそこにあった。
何も無かったはずの場所には、青い鎧を着た男が立っていた。
エドゥアルトにどこか似ている、奴よりも年上の男。
「なッ!? 何故お前が!」
「あッ……、ヴィクトール、様……!」
困惑の声と感極まった声。
これこそが、偽物野郎が言っていた『真なる奇蹟』ってヤツだ。
「あ……、にうえ……?」
後ろから、信じられないとでも言いたげなエドゥアルトの声。
「どう……なってるの……?」
「生き返らせた……のか?」
ジュリアもアレフも、全く状況を飲み込めてねぇ。
青い鎧の男──ヴィクトールが、一瞬、こちらを見た。
俺と、ミカエラと、そしてエドゥアルト。それだけを瞳に映して、すぐにザイオンに向き直る。
「ま、まあ良い、直ぐ様天へと送り返して……」
動揺を通り越して挙動不審になっちまってるザイオン。魔術書から白紙の頁を破り取って、呪文を詠唱しようとしたとき。
シュッ……!
静かに空気を切る音が響いた。
「あ、ああああああ! があああッ! てッ、手、手が、私の、私のッ、手があああッッッ!!」
ぼとりという、何かが地面に落ちた音。そして、ザイオンの絶叫。
見れば、奴の肘から先の両手が、床に転がっていた。
床に落ちた衝撃で魔導書の装丁が乱れ、白紙の頁が散らばっている。
剣を鞘に仕舞うと、ヴィクトールは左手だけを拾う。指に輝いているのは3つの印章だ。
「まッ、待てっ、それは、その印章は全て私の物だぞ! バウムガルテン家の次期当主である、私のっ! 私が、手に入れた、印章なのだぞ!」
両肘の断面から血を滴らせながら、ザイオンは喚いてやがる。
「きっ、貴様等っ、早くあれを殺して取り返すのだッ!!」
振り向きながら取り巻きに命令してやがるが、黒い鎧を着た4人は倒れたままピクリとも動かねぇ。
そりゃそうだ。だってさっき、『毒雲』で殺っちまったんだから。
「ああ、あああ、あああああ……!!」
絶望感を滲ませた声を上げながら、その場に膝から崩れ落ちるザイオン。ヴィクトールが、再び剣を抜く。
俺達は何も言えず、ほぼ呆然としながらその様子を見ている。そのときだった。
空間が揺らめき、壁と床と天井が、一瞬薄くなったような気がした。
この区画に入ったときにも感じたヤツだ。これは……?
「おい! ゴオトとジュリアと後の3人!」
アレフがガラガラに枯れた声を張り上げる。
「早くここから出るぞ! 幽霊区画が、消える!!」
やべぇじゃねぇか!!
まだ体に力が入らねぇが、杖を頼りに何とか立ち上がる。ミカエラとエドゥアルトは、ヴィクトールが支えてくれているらしい。
「ゴオト、フラフラしてないで、早く!」
真っ先に部屋の出口へと駆け出したジュリアが、俺の方を振り返りながら叫ぶ。
クソッ! 若いって良いよなッ!! オッサンには羨ましい限りなんだよ!
「ジジイを急かすんじゃねぇ! まだ体が本調子じゃねぇんだよ!」
「それだけ喋れたら十分でしょ! とにかく、みんな早く!」
元来た道へと滑り込んでいく俺達。
「…………ああ、もう、終わりだ……折角、私が、当主になれる筈、だったのに……」
放心状態のザイオンが呟いた言葉だけが、何故だか異様に耳に残った。
本当に間一髪だった。
エドゥアルトとミカエラが9号区画から出て来た直後、さっきまでそこにあったはずの通路は消滅しちまったんだからな。
今、目の前にあるのは壁だけだ。
『下の階層に行くための階段が何処にも無かった、逆に上に戻るための階段が見当たらなかった』、そんな類の話は、つまりはこういうことなんだろう。
危ねぇところを何とか切り抜けて一安心て場面のはずなんだが。
「……………………」
何つーか、気まずいとも、気安いとも言えねぇような沈黙が漂っている。
ああ、クソ。誰か何か言ってくれよ……。
「本当に」
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、エドゥアルトがゆっくりと口を開く。
「本当に……兄上なのですか」
そう、だよな。俺だって信じられねぇんだから。
「ああ。エドゥアルトが兄、ヴィクトール・バウムガルテンで相違無い。久方振りだな、弟よ」
言いながら、ヴィクトールは笑う。少しだけ、寂しげに。
「ヴィクトール様、またお会い出来る日が来るとは、夢にも思っておりませんでした……」
「泣くな、ミカエラ」
ヴィクトールも泣きそうな笑顔で、ミカエラの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「ゴオト殿」
声をかけられるとは思ってなかった。ボーっと様子を眺めてた俺は、思わずビクっとなる。
「礼を言う。本当に世話を掛けた。ありがとう」
ヴィクトールの顔を見りゃ、そこには覚悟のようなモンが浮かんでやがる。
解って……やがるんだな、テメェは。
「兄上、父上が兄上に謝りたいと。この街からならば5日もあれば屋敷に着きます。ですから急いで父上の」
「エドゥアルト」
ヴィクトールが遮る。
「済まないが、それは出来ない」
「何故なのですか!!」
感情的に叫ぶエドゥアルトを、困ったような顔で見つめているヴィクトール。
その視線が、俺に助けを求めているように見えた。
「……聖ステラーリスの伝説には、続きがあるんだよ」
口を開けば、全員の注目が俺に集まる。
「骨の一欠片、剣に付いた血の一滴から勇者を復活させた、ここまでは……知ってるよな?」
頷いてるのかどうかは知らねぇが、俺は続ける。
「復活した勇者は魔神を倒し、その後、『奇蹟』の効果が切れて、再び天に還ったんだよ」
人間てのは、自分に都合のいい部分しか覚えてねぇモンだ。俺だってそうだからな。
「という事は、つまり……」
エドゥアルトが言うが早いか、ヴィクトールの体が鈍い輝きを放ち始める。
時間……みてぇだな。
「お、お待ち下さい兄上ッ!!」
「エドゥアルト、バウムガルテンの家は、頼んだぞ」
ザイオンの左手から抜き取った3つの印章を、エドゥアルトに押し付ける。
「ヴィクトール様!!」
「ミカエラ、お前の幸せが私の幸せだ。必ず、幸せになれ」
もう輪郭すらあやふやになっちまってる手で、ヴィクトールはミカエラの頭を優しく撫でる。
「ゴオト殿!」
俺の名前を呼ぶヴィクトール……って、俺かよ!?
「真に忝ない。貴殿は神官という言葉で計れる者ではない。貴殿は……」
どんどん姿が薄くなっていっちまう。
消える瞬間、ヴィクトールは笑顔だった……と思う。
「兄上……」
「ヴィクトール様」
二人がすすり泣く声だけが、人の居ねぇ第4階層に響く。
ヴィクトールの立っていた場所に残っているのは、数個の骨の欠片と、ボロボロになっちまった白いハンカチだけだった。
俺は、辛うじて聞き取れたヴィクトールの最後の言葉を、思い返していた。
「貴殿は……貴殿こそが、死者を弔い官える者、屍弔官だ」




