第四章②
室茉スズはベニの背中を抱いて眠ってしまった。マリが背中を抱きしめていてくれたから、寒い空でも気持ちよく眠ることが出来た。「うわぁ、眠っちゃったよ、信じられない、高度何千メートルだと思っているのぉ」、そんなベニの声を聞いたが、気にしない。魔女が二人密着しているから、久しぶりにスーパ・ソニックを編んで疲労困憊だし、何よりも何も、考えたくはなかった。
考えたら、悲しくなる。
考えなくても、涙が落ちているのに。
夢も見たくない。
不機嫌だった。
いつになく不機嫌だった。
何かの存在を消したい破壊的な衝動が、迫る。
「……ほら、起きなさい、」霞む意識の中、遠くで聞こえる。「起きなさいってば」
スズは目を開けた。「……んあ?」
目を両手で擦ってしまって、危うくマリと一緒に箒から落ちそうになる。寸でのところで、ベニに抱きつくことだ出来た。
「やんっ、」マリは可愛い悲鳴を上げた。「もぉ、しっかりしてよね、ホントにもぉ」
スズは風の魔女だから、箒から空に投げ出されても支障ない。マリがこんなに慌てるのが、おかしくて笑ってしまった。
「おっ、元気になった?」
スズは元気になったような気がした。「……ねぇ、君たちは誰なの?」
「うーん、難しい質問をするのねぇ」
「秘密なの?」
「いいえ、伝えるために沢山の言葉が必要だってこと、だから、……ベニ、マクドナルドが見えたら」
「見つけた、」ベニが前方を指さし言う。「高度を落としいても?」
「うん、カノンたちに合流する前に、クォータパウンダを食べましょう」
「あ、でも、お金ない、」ベニがとても悲しそうな顔をする。「マリちゃんも、もちろん、持ってないでしょ?」
「もちろんって何よ、もちろんって」
「え、あるの?」ベニが嬉しそうな声を出す。「やったぁ、クォータパウンダが食べられるんだね」
「ごめん、」マリは小さな声で言う。「……その、私もない、多分、五十円くらい」
「……」ベニは無言で高度を上げた。きっと無言を貫くのが彼女の不機嫌のポーズなのだろう。
スズは自分のスカートのポケットの膨らみを確認した。「……あ、私、お金持ってるよ」
「ありがとう」マリとベニは声を揃えていった。
「あ、ええ、どういたしまして」スズは素直で現金な二人がおかしくて声を出して笑う。
ベニは高度を落とす。
二階建てのクッキーの缶みたいな円筒型のマクドナルドの前に、三人は降り立った。空は赤らんでいる。
マクドナルドの中に入る。店内は混み始めたというところだろうか。空いているカウンタに向かう。
「いらっしゃいませ」と形式的なお姉さんの笑顔が迎えてくれる。
「えーっと、」スズはパネルを見上げる。見上げて、それから左右に立つマリとベニに視線をやってから言う。「……好きに注文してくれない」
「え、いいの?」マリは女神様を見る目を向けた。胸の前で五指を組んでいる。「好きなだけ、食べていいの?」
「好きなだけって、」スズは微笑む。「うん、でも、食べたいだけ注文しても構わないよ、お金なら心配しないで」
「あの、お姉さん、」ベニは頬をピンク色に染めて人差し指を立てお姉さんを見上げて言う。「詳細なメニュを下さい」
それからマリとベニは好きなだけ注文した。二階の六人掛けのテーブルがバーガとポテトとチキンナゲットと様々なサイドメニュで一杯になった。スズはそれを見ただけでお腹が満たされた気分だ。二人のせいでマクドナルドの厨房はパニックになっただろうと推測できる量。それでも笑顔を絶やさないお姉さんに敬意を表したい。
「いただきまーす」
スズの対面に座ったマリとベニは真剣な表情できちんと手を合わせてからクウォータ・パウンダに豪快にかじりつく。ポトフのお代わりに恥ずかしがったり、メニュをもらうのに恥ずかしがったりするのに、変なのって思った。
スズはテーブルに隅のポテトを一本摘んでかじる。そしてホットコーヒーを飲んだ。赤らんでいる窓の外を見る。「……ここはどこ?」
「舞鶴、」マリが答える。「もう少し北に行くと、港に出るわ」
「舞鶴、」スズは一度、この土地に来たことがある。ママのことを思い出す。ママの血の色がフラッシュバックして視界を赤く染めるから、一度目を閉じて開く。「……由比ヶ浜ミコは、まだ追ってきているのかしら?」
「大丈夫、」ベニは親指を立てる。「巻いたはず、そういうルートを通ったから」
「そうね」スズは頷き、微笑んだ。
「大丈夫よ」マリがスズを睨んで言う。
「え、何が?」
「心配しなくても大丈夫、あなたの可愛いシスタがきっと時間を稼いでくれているわ、」マリは微笑んだ。微笑むと途端に幼く見える。頬にケチャップが付いている。「ランちゃん、だっけ、凄いわね、まだ小さいのに、凄く優秀で、それに滅茶苦茶可愛いし」
「駄目よ、それは駄目、」スズは言う。「猥褻なことを考えたでしょう?」
「違う、違うわよ、そんなことマクドナルドで考えないわよ、ただ少しお友達になれたらいいなって思っただけ」
「ランと友達になるには認可を貰ってね」
「誰から?」
「私から、」スズはニッコリと微笑んだ。「まずは私とお友達になって認可を貰ってね」
「なんだ、元気じゃないの、」マリはコーラを飲む。「……心配して、損した」
「もっと心配してもいいよ」
「はあ?」
「コーラ、飲んでいい?」スズはマリのコーラを奪う。
「あ、そこに余ってるのがあるでしょ?」
「コレがいいの、」スズはマリと間接キスした。甘い味がする。チョコレート風味だ。「ああ、おいしい」
マリはほんのりを顔を赤くした。「……あんた、変態?」
「そんな酷いこと言わないでよ、変態なんて、違うわ、」スズは大きく首を横に振る。「ただコーラが飲みたかっただけなのに」
「あっそ、」マリはそう言ってスズを猫目で睨む。しかし機嫌が悪そうではない。マリはスズを観察しているようだ。「……どうして茶髪なの?」
「え、いけない?」スズは自分の髪を触る。ブリーチした髪。個人的に黒よりもいいと思っていた。「……マリちゃんのために黒く染めようか?」
「どっちでもいいわよ、」マリはバーガの包装紙を丸め、次のバーガに取りかかる。「どうせコレっきりなんだから」
「そうなの?」
「そうよ、あなたのブランケットを私のスーツケースに仕舞ったら用はなくなるのよ、」マリは片目を閉じてスズを指さし言う。「あなたをここに連れてきたのはそれが理由」
「えっと、よく分からないけれど、うーん、」スズは可愛いらしい動きを心がけ首を傾げた。「つまり、私が可愛いくて仕方ないからさらったわけじゃない、っていうことなのね?」
「つまらない冗談が言えるようになって何よりだわ」
マリは自分で言って何がおかしいのか笑った。マリの言葉にベニも笑った。ベニは先ほどからずっと食べているばかりだ。
「……ブランケットをスーツケースに仕舞うって?」
「あら、急に真面目な顔になった、」マリは上品に言う。「そっちの方がいいわよ、素敵なお姉さんって言う感じで、うん、そう、ええ、そのブランケットは私のスーツケースに仕舞わなきゃいけない代物、スーツケースっていってもただのスーツケースじゃない、魔具よ、あらゆるものを仕舞うことが出来る、そして仕舞った物体の時間を止める、そう時間を止めるのよ」
「なぜ仕舞うの?」
「一気に説明しようかしら?」
「ええ、うん、」スズはコーヒーに口を付けた。「終わるまで黙っているわ」
「私はパリの生まれなんだけれど、」マリは口もとを拭いて話し始めた。「祖父が日本人で、祖母はパリの人、ママがその娘、パパは日本人、だから、私はほとんど日本人っていうことになるんだけれど、ううん、そんなことはどうでもいいわね、私が日本にきた理由、それは画家の祖父が保有していた南蘋型録というものだった」
スズは南蘋型録というワードに反応した。しかし黙っていた。
「どうやら、知っているみたいね」
「細かいことは知らない」
「南蘋型録は、十八世紀中期の中国の画家、沈南蘋が生涯をかけて収集した魔具のリストよ、彼は絵描きであると同時に魔法使い、そして収集家、コレクタだった、彼は晩年、絵描きという職業で築き上げた莫大な財産を投じて、世界各地の魔具の収集に尽力した、王都ファーファルタウからゴールドラッシュに沸くシンデラ、彼は旅の最後に日本にも訪れている、長崎の出島という狭い空間の中でしか彼は日本の空気を吸えなかったけれど、彼に師事した日本画家たちは日本各地の魔具を長崎に集めたわ、そして中国に戻った彼は型録の作成を始めた、彼は当時の世界の全てと言っていい魔具を収集していた、彼はその中で特に珍しい魔具を百九選んだ、そしてそれぞれの魔具を規則性に従ってトリガ、マガジン、バレットと彼は分類した、そしてそれぞれに番号を振った、あなたのブランケットはN八十二、ヴェルベット・ギャラクシィ・ブランケット、包むものから魔力を吸収する、リボルバ効果、つまり再回転を働きかけることで、その吸収力を高めることができる、ブランケットに包まれていてあなたは安らぎを感じるはず、それはブランケットが少しずつ魔力を吸収しているから、魔法を編むときに一瞬来る高揚感が持続しているから、その代わりあなたはブランケットにくるまっていて魔力を奪われているはず、ランちゃんのポテンシャルを見たら、シスタのあなたがスーパ・ソニック一回編んだだけで、しかもあの程度の速度の、それを一度編んだだけでゼロになるはずがない」
「そうかな?」スズは指摘されて、とぼけた。でも、しかし、そのことにはずっと前から、なんとなく気付いていた。「本当なの?」
「私が話しているのは、南蘋型録に記載されているざっくりとした記述、解説、本当かどうかは分からない、そしてそれが全てじゃない、そのブランケットは飽和状態に達するまで、最初に吸収した魔力を持つ魔女から、つまり宿り主から離れない、ブランケットはいつでもあなたに絡んでいたはず、包んでいたはず、一歳、春でも夏でも秋でも冬でも、ずっと」
その通りだった。スズはこのブランケットと一緒だった。「……飽和状態になると、どうなるの?」
「飽和状態は、つまり、完成、銀河の完成、」マリはコーラを飲む。「完成したら、銀河は、ブランケットは宿り主を殺す」
「え?」
殺す?
ブランケットは宿り主を殺す?
それじゃあ。
それじゃあ、ママは?
スズは目眩がした。予測が浮かんだ。ママの血の色が見える。血が吹き飛ぶイメージが見えた。
胃からこみ上げてくるものがある。
スズはとっさに口を抑えた。
苦しい。
苦しい。
「ちょっと、大丈夫!?」マリが立ち上がりスズの隣に座った。背中をさすってくれる。
スズは目を閉じた。
目を閉じて。
閉じると。
苦しみは和らいだ。
まるで。
その苦しみさえ、ブランケットが吸収しているように思って。
訳が分からない。
恐怖を抱くべきなのだと思う。
このブランケットに。
ヴェルベット・ギャラクシィ・ブランケットに。
でも。
全く。
そんなことがない。
なにも思わない。
ヴェルベットの上品な肌触りを。
好ましいと感じる、変わらない自分がいる。
「大丈夫、」これは本心だった。「大丈夫、ありがとう」
マリはスズを睨むように見て、コーラのストローをくわえさせる。スズはコーラを飲んだ。気分はスッキリとする。コーラには解毒作用みたいなものがある。そういう古い時代からの迷信がある。
マリはベニの隣に戻った。「……続けても構わないかしら?」
「ええ、」スズは笑顔を作った。「続けて」
「……魔女を殺すこと、」マリは大きく瞬きをして慎重に口にした「……それには膨大なエネルギアが必要、つまり飽和状態時には膨大な魔力が吸収されているということになるわよね、ブランケットはそれを放出して純白に色を戻して、新しい魔女を見つけるんだけれど、飽和状態に達する前に魔力を放出する方法がある、色を白くする方法があるの、それはトリガを利用すること、N八十一、空閑の利用」
「……くま?」スズの目は大きく見開かれる。「くまってもしかして、」
「そう、村崎邸に厳重に保管されていた刀のことよ、その刀はそのブランケットを唯一斬ることが可能なの、斬るとブランケットに産まれた隙間から魔力が放出される、それはとても危険なことなの、まだそのくらいの模様だったらいい、生まれたての銀河だったら、舞鶴の港が一つ吹き飛ぶくらいで済む、」マリはポテトをかじる。「でも、N八十三、シー・サーペントというバレットを組み合わせると、真っ白なブランケットにシー・サーペントに閉じ込められた魔力を吸わせると飽和状態まであと少しというギリギリの状態までになるの、その状態で空閑でブランケットを斬り裂いたら、スター・バーストという現象が観測される、」マリは唇を尖らせて首を振った。「……どうなるんだろうね、私には想像できないわ、その想像できないことをあいつらはやろうとしている、雪中遊禽連盟はやろうとしているのよ」
「なんていうか、」スズはクウォータ・パウンダの包み紙を開けてかじった。そういう気分だ。一口を飲み込む。「びっくり」
「でしょうね」マリは上品に微笑む。その上品さはパリ仕込みだろうか。
「だから、雪中遊禽連盟は空閑を盗んで、このブランケットも盗もうとしているのね」
「ああ、空閑を盗んだのは私たちよ、」マリはそっけなく言ってコーラを飲む。「でも、シー・サーペントはおそらく雪中遊禽連盟に盗まれているし、本来ならそのブランケットは放っておくつもりだったの、飽和状態に達するまでには時間がかかるし、ブランケットの性質上、南びん型録のコンパスは相当接近しないとブランケットに反応しないから雪中遊禽連盟も中々見つけられないと思っていた、私たちの仲間の魔女にあなたと同じ高校に通う魔女がいるんだけど彼女に見張らせていたし、それにね、簡単にはあなたからブランケットを奪えないの、奪ってもブランケットは宿り主である魔女を呼びどんなことをしてでも取り戻させる、魔女からブランケットを放すにはある手続きをしてもらわなきゃいけない、私が突然あなたの前に現れて私の言うとおりのことをしてブランケットを渡してといっても信じないでしょう? でも、雪中遊禽連盟に見つかってしまったから、その手続きをしてもらうわ、それにしても本当によかったわ、あの場所に私たちがいて、……って、なんて、顔をしているの、スズ?」
「髪は紅かった、」スズは思わず机を叩いて立ち上がってマクドナルドの二階に響く声で言った。「空閑を盗んだ魔女の髪は紅かった!」
「ああ、それ?」マリは自分の黒髪を触り、こともなげに言う。「染めたのよ、紅い髪をして盗むんだから、普段は黒く染めなきゃ、警察に捕まるでしょ? バカでしょ?」
「ど、どうやって?」
「座ってよ、」ベニが言う。ベニの髪も黒い。「恥ずかしいから」
「ああ、うん、」スズは力が抜けたように座る。「ごめん、ごめん、だけど、髪を黒く染めるなんて聞いたことない」
「そう?」マリは首を傾げる。「ブラック・ベル・キャブズの物語にあるじゃない」
「BBCは日本じゃそこまで有名じゃないよ、」ベニが言う。「オタクくらいしか知らないよ、文庫も絶版してるし、日本じゃキネマも演劇もやってないし」
「ああ、そうなんだ、まあ、BBCは派手で過激で、エロいもんね、」マリは頷きながら言う。「ああ、とにかく、空閑を村崎邸から盗み出したのは私たちなの、理由は今まで話したこと、倉を燃やしたことは、悪いと思っている、でも私たちが盗まなきゃ、雪中遊禽連盟に盗まれていたわ、だから、大目に見てよね」
スズはマリを睨みつけた。「……悪いと思ってないでしょ?」
「あはは、」マリは文字で表せるくらい下手に笑う。「そんなことない、あははっ」
マリの笑い顔にスズは怒る気力もなくなった。「私が大目に見ても、村崎組は大目に見ないかも」
「内緒にしてね、」マリは人差し指を唇の前に立てて、ウインクする。パリ仕込みのウインクはとても、ナチュラルだ。「特に、ナナさんにはね、私たちナナさんの家に居候することになっているの、ベニが彼女のマンションの一階のコンビニでバイトしててね、そしたらメイドをしないかって誘われて、ついでに私も雇ってくださいお願いしますってね、やっと柔らかいベッドで眠れるわ」
「警察だって知ってて近づいたの?」
ベニは首を横に振った。「全然」
「村崎邸を警護していた特生安の風の魔女だって知ったのは本当に最近のことよ、」マリは首を竦めた。「私、もしかしたらナナさんに火をつけたかもしれない」
「ふうん、凄い偶然だね、」スズは食べかけのクウォータ・パウンダを平らげた。「……でも、私が黙っていてもいつか分かることじゃない?」
「その頃には私は日本にいないわ」
「どこにいるの?」
マリは人差し指を立てて言う。「宇宙、かしら」
スズは微笑む。
マリなら。
いるかもしれないと思った。
宇宙に。
ロケッタを身に纏って彼女は、大気圏なんて簡単に、突破するだろう。
そしてマリは。
人差し指を立てた方の手を広げて、それを左右に動かす。「カノン、思ったより早かったのね」
スズはマリの視線の方向に顔を向けた。
「……あれ、先輩?」
そこにはチョコレートの味の先輩がいて、ダブルクウォータ・パウンダのLLセットをトレーに乗せて、こっちを見ている。




