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プロローグ:指先に残る残り香

【作品の閲覧に関する切実なご案内】


本作は、都合の良い奇跡も魔法も存在しない、孤独な少年の「切なる憧憬」と「不条理な現実」を描いた物語です。


名前も知らない母親への届かぬ想いを、紙飛行機に託して空へ放ち続ける少年・エド。

彼の紡ぐ言葉は、あまりにも純粋で、それゆえに読む者の胸を深く締め付けます。

もしあなたが、傷つかない温かい物語や、都合の良い救いだけを求めているのなら、このページを閉じることをお勧めします。


しかし、もしあなたが、一粒の涙の重さと、紙の上の文字に込められた「愛されたい」という魂の叫びを見届けてくださるのなら、どうかこのまま、エドの心の部屋の扉を開けてください。


【プロローグ前書き:届かない駅への切符】


私たちは日々、あたりまえのように家族の温もりを消費し、あたりまえのように「ただいま」と帰る場所があることを信じて生きています。


しかし、人生において、その「あたりまえ」さえも最初から与えられない命があります。

10歳の少年・エドにとって、母親という存在は、安っぽい石鹸の香りと、傷ついたノートの切れ端で編まれた、ただの「想像の影」に過ぎませんでした。


見知らぬ誰かの幸せの光をただ静かに見つめ、その眩しさに目を細めながら、自分だけの『愛の形』を必死に文字に書き残そうとした一人の少年の、祈りにも似たナレーションに、どうか少しだけ耳を傾けてみてください。おとぎ話ではない、本物の「哀愁」の記憶が、ここにあります。


#泣ける物語 #母をたずねて #10歳の孤独 #最後は温かい涙を #エドの物語

冷たくて塩素の匂いが漂う児童養護施設のトイレの片隅で、僕は唯一の温もりを見つけた。


それは、使い古されて小さくなった安物の固形石鹸だった。僕はそれを鼻に近づけ、強く、強く目を閉じる。まぶたの裏に広がる暗闇の中で、僕は一つの世界を創り出す。そこでは、この香りは石鹸のものではない。冬の寒い日、暖かいこたつの中で僕を抱きしめてくれる、ある女性の部屋着の匂いだ。


「エド、いい子ね……」


嘘だってことはわかっている。その声は僕の想像に過ぎない。けれど、この広い日本の土地に身寄りのない十歳の子供にとって、嘘だけが僕の心臓を動かし続ける唯一の手段だった。


僕の名前はエド。この施設では、感謝することを教えられる。けれど、現実の世界で一度も見ることのなかった誰かを、どうすれば恋しく思うのをやめられるのかは、誰も教えてくれなかった。


今夜、山の風が部屋の窓を叩く中、僕は学校のノートから紙を一枚破った。擦り切れた畳の上に座り、廊下の薄暗い明かりを頼りにペンを走らせる。


小さな手が鉛筆を動かし始めた。


『お母さん、元気ですか?

今日、先生が僕の漢字をすごく綺麗だって褒めてくれました。お母さんに見せたいけれど、どの電車に乗ればいいのか分かりません』


僕はその紙を小さな飛行機の形に折った。僕の紺色のランドセルの中には、錆びたビスケットの缶が入っていて、そこには何十もの同じような「飛行機」が詰まっている。すべては宛先のない手紙。すべては、帰るべき駅を持たない寂しさだった。


明日は「オープンデイ(一般公開日)」。施設の門が開かれ、都会から来た家族たちの笑い声が桜の木の下に溢れる日だ。


僕は、明日もあそこに立っているだろう。シャツの襟を整え、水で髪を撫でつけ、門の隅っこに立つんだ。誰かが僕を迎えに来てくれると期待しているわけじゃない。


ただ、愛されるということがどんな感じなのかを見てみたいんだ。そうすれば、明日の夜の手紙にまたそのことを書けるから。


僕にとって、お母さんとは紙とインク、そして春の風に吹かれて消えていく石鹸の香りで出来た存在だった。


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