二十五、箱舟③
ロッテが目覚めた頃、既に時刻は深夜であった。部屋の隅に置かれていた小さなかごの中でむっくりと起き上がる。突然気を失ったロッテを乙姫がそっとこのかごに寝かせてくれたのだろう。
ソフィアがロッテに語りかける。
「私達、気絶していたみたいね」
「そうみたいですね。あの後どうなったんでしょうか?」
「ここは乙姫の部屋みたいね。彼女は寝てるのかしら?」
「いえ、ベッドにはいないみたいです」
「箱舟は?」
ロッテは窓の方を見たが、昼間窓に取り付いていた箱舟の姿もない。
「いませんね」
「そう…とりあえず外に出て何があったか確認しましょう」
「そうですね。姫様が無事だといいんですけれど…」
ドアは僅かに開いており、簡単に部屋から出ることが出来た。廊下にはまだ煙や火薬のにおいが残っており、戦闘が激しかった事を物語っている。
「箱舟はあの後どうなったのかしら?」
ロッテは廊下を走って階段まで行ったが、夜中という事もあって人もいない。階段を駆けて一階まで下りた。先日の攻撃での崩壊がまだ片付いておらず、そこかしこにレンガや新しい建材が積み上げられている。見張りが何人かいるが皆昼間の戦闘で疲れているのか、ぼんやりしている。
ロッテが前庭に出ると、ワイヤーで固定された状態で3階あたりの壁面に固定されている箱舟が見えた。
「ロッテちゃん、箱舟まで行ける?」
「大丈夫です。行ってみましょう」
そう言うとロッテは器用に城壁を登って箱舟に近付いた。箱舟の高さまで登って分かったのだが、箱舟は城壁からわずかに離されて吊り下げられていた。壁からは距離にして50センチ程だが、ネズミのロッテにとっては途方もなく遠い所に箱舟本体がある。ジャンプして飛びつける距離ではない。また、この高さから落ちたらかすり傷では済まないだろう。
箱舟のドアは開けっ放しになっているが、暗くて中の様子は確認できない。ただ、ランプなどは一つもついておらず、様々な機能は既に停止しているように見える。
「あっちに行けそうにないわね」
「そうですね…」
そんな話をしていると、上空からゆっくりと影が近付いてきた。ロッテが驚いて見上げると、渡り鳥のミゲルが箱舟の上に降り立った。
「ロッテ、無事だったかい?」
「ええ、何とか。姫様は?」
「無事だよ、箱舟も今はこの通りさ。でも、おかげで姫様の病気も治せないみたい」
ミゲルは昼間あったことをノア王子から聞いていたので、それをロッテ達に話した。
「そうなの…」
するとソフィアがミゲルに話しかけた。
「ねえ、ミゲル、私達を箱舟に乗せてくれないかしら?」
「ええ、それはもちろん。でも、何をするんです?まだ安全が確認されたわけではないですよ」
「箱舟に残っている私の半分がまだ無事か確かめたいの」
「分かりました。そこでじっとしていてください」
そう言うとミゲルは一旦舞い上がり、ゆっくりとロッテに近付いて足で捕まえると、再びふわりと舞い上がった」
空を飛ぶという事をロッテもソフィアも経験したことが無かったが、なぜかとても穏やかな気持ちだった。ロッテが下の方を見渡すと、城のすぐ横から庭園に続く階段の途中に乙姫が一人で座っているのが見えた。
「あ、乙姫様。何してるのかしら?」
空の上から、しかも夜の暗闇の中で乙姫の表情までは確認できない。
「降ろしますよ」
そう言うとミゲルはそっとロッテを箱舟の入り口のところに降ろした。
乙姫は城から庭園へと降りる大きな階段の途中で一人座っていた。昼間、箱舟が言ったことを考えていた。
「私はソフィア様が望んでいた通りに、『乙姫を治療する方法』を見付けましたから」
その言葉を聞いた直後に、箱舟は装甲列車の改造砲によって破壊された。私はいずれお母様と同じように眠りが長くなり、やがては目覚めなくなるのだろう。目覚めなければ食事はしない。栄養が無ければ長くは生きられない。
乙姫はなんとなく空を見上げた。ミゲルらしき鳥が箱舟に降り立つのが見える。
(何やってるのかしら、あの子…)
これまでの人生についてつらつらと思い出していた。様々な事が思い出されるが、相変わらずノアについては何も思い出さない。
箱舟の爆発の時、あの時、何があったのだろう。あんなに危険な場にいたのに、私は無事だった。きっと誰かが助けてくれたのね。せっかく守ってもらったのにもうすぐ死ぬなんて、なんだか残念だわ。箱舟を停止させることを目標に行動していた時には死ぬことをちっとも恐れていなかったけれど、いざ死ぬとなるとなんだかやりきれないわね。色んな人を残していくのって、こんな気持ちなのね。
そんな事を考えながら、ぼんやりと上を眺めていた。
一方ロッテはミゲルから降ろされるとすぐにソフィアの指示を仰いだ。
「これからどうすればいいですか?」
「私の『残された半分』が無事かどうか確かめたいの。パネルの奥に入り込める?」
「入り込めますけど…」
コントロールパネルは昼間の装甲列車の攻撃で木っ端みじんもいい所だが、それでもそのごちゃごちゃの中をロッテは慎重に進んでいく。
「あ、そこだわ。ちょっと止まって」
そう言われてロッテも足を止める。
「そこに銀の棒が一つ突き出ているでしょ?」
「これですか?」
そう言って何かの接続部品のようなものにロッテが顔を近づける。
「そう、それそれ、それを口に銜えてくれる?」
ロッテが言われるままにその部品を銜えると、暫くして奥に小さなランプが一つ光った。
ヒューンという低いモーター音がして、ひび割れたモニターにソフィアの顔が映る。ロッテがモニターを見てホッとする。
「戻れましたね」
「ええ、でもこれは私のバックアップなの。本当の私はもう壊れちゃったみたい。でも、箱舟が隠している乙姫の治療データがどこかにあるかもしれないからそれを探すわ。たぶん時間がかかるから、ロッテちゃんは休んでいていいわよ」
こんなところで落ち着いて休む気分ではないが、ロッテは少し離れた所から邪魔にならないように見守っていた。
暫くしてモニターのソフィアが声を上げた。
「見つけた。見つけたけれど…。これはちょっと厄介ね」
「どうしました?」
「私達、今度こそ死ぬかもよ」
「ええ?」
驚くロッテをよそに、パネルからソフィアの姿が消えた。その直後、箱舟が変形を始めた。
「おいおい、なんだなんだ!」
そう言って箱舟にとまっていたミゲルが舞い上がる。轟音と共に箱舟は変形を始めた。現在箱舟はワイヤーでつるされており、上を向いている。その状態で屋根を開き、再び主砲を展開し始めた。上を向いたままで展開した主砲の先は空のほうを向いている。
この轟音に城の兵士はもちろん、グランデレ達も窓から身を乗り出して一斉に箱舟を見ている。
「王様!箱舟が変形して主砲を出しています!」
「分かっている!」
「装甲列車はどうなっている?」
「今は誰も乗っていません!」
(こんな時に…)
大きな音を立てて変形する箱舟を乙姫も見ていた。
箱舟がまだ生きている。その事実に乙姫はすっかり参ってしまった。
(完敗だわ…)
そこにノアが走ってきた。
「乙姫様、こんな所にいたんですか!箱舟が息を吹き返しました。安全なところに避難しましょう」
そう言われても、どこに避難しろというのだと乙姫は思った。
「ノア王子、お気遣い感謝します。ですが私はやはりここであれを見守る義務があります。もうどこに行っても無駄です。王子こそ早くお逃げください」
「何を馬鹿な事を言ってるんですか!一緒に逃げます!」
そう言ってノアが乙姫の腕をぐっと掴んだその時、箱舟の主砲が空に向けて一発発射した。何もない空に向かって発射したことに安堵はしたが、これから何が起こるのか、全く予想できなかった。
シュンッ!
というその音は、しかし、皆が今まで聞いてきた主砲の音とは、明らかに何か違っていた。
スーッと上に上がっていった光は、空高く上がると、まるで花火のように広がった。
ドーンという音が空じゅうに広がる。
城にいる者はもちろん、国民も皆その花火を見てあっけにとられた。皆が光に照らされる美しい空を見上げていた。
乙姫とノアもその光を眺めていた。乙姫の大きな瞳に空いっぱいに広がる光が映し出される。それは普通の花火の10倍はあろうかという大きさで、王国の空を全て覆っているのではないかというような大きさだった。しかもその光はなかなか消えなかった。
箱舟はさらに主砲を撃つ。花火のような光が次々に打ち出され、あたりはまるで昼のように明るくなった。最後の一発を放った時、箱舟は吊るされた状態で崩壊し、ばらばらと地面に落ちていった。
「綺麗…」
乙姫がそう言った次の瞬間、その場から動けなくなった。何か電流のようなものが全身を流れる。何だろうと思っていると、目の奥に激痛が走った。
「痛い!」
そう叫んで乙姫は両手で顔を覆った。ノアはどうしていいか分からず、ただ横に立って見守るしかなかった。
何分間そうしていただろうか。乙姫がいきなりすっくと立ちあがった。頭をコンコンと叩きながら、
「あー痛い…」
と言った。そしてその視界にノアを見て乙姫が驚きの声を上げる。
「あれ?ノアじゃないの。あなたこんなところで何してるのよ?」
「え?あの…、僕のことが分かるんですか?」
「分かるに決まってるじゃない。箱舟の中であの時あなたが盾になってくれなかったら私とっくに死んでたわよ。命の恩人を忘れるわけないでしょ!」
「え、あの…」
ノアの目から涙がこぼれる。
「泣かないでよ、さあ、箱舟を見に行くわよ!」
そう言って乙姫がノアの手をぐっと握って箱舟に向かって走り出した。
乙姫の記憶が、戻った。




