十、グランデレ①
私の前には一通の手紙がある。この手紙が届いたのはほんの1時間前、今日の3時頃の事だ。
(乙姫…無事でいてくれ)
その日は朝から晴天で爽やかな風が吹いていた。久しぶりに過ごしやすい天候で、王城の従者たちも窓を開け放って城の空気を入れ替えていた。さすがに洗濯物を城の窓から干すというわけにはいかないが、城の裏手にある洗濯小屋は、何本ものロープに盛大に洗濯物を干していて、さながらパレードの会場のようであった。
侍女のミリーはサムと一緒に、先日の箱舟事件で出た瓦礫を集めてゴミ捨て場に運んでいた。それなりに大きい書棚などは男性がやってくれるので、ミリー達が運ぶのは破れた書籍や壊れた古道具などであった。物は軽いのだが、城内の階段を何度も上り下りして、すっかり疲れ果てて城の正面玄関から前庭へと続く階段に座っていると、向こうから一台のオートバイが走ってくるのが見えた。この国ではオートバイは珍しい。
先に気が付いたのはサムだった。
「ねえ、ミリー、向こうからバイクが来るよ。珍しいね」
「へー、私初めて見たわ。案外大きな音がするのね。何か音がすると思ったら、あれバイクなんだ」
「見たことないのかよ、田舎もんだなぁ」
「失礼ね。そんな田舎じゃないわよ」
ミリーは王国の北に位置する農村の出身で、王城で働くようになって初めて都会に出てきた。農村出身の純朴さが孫のようで可愛いと城内のおじいさん達の間で人気だ。
そんなやり取りをしているうちに、バイクはみるみる近付いてきて、やがて城門の前で止まった。
一人の男がバイクから降りてきて、門の前にいる衛兵と話をしている。
やがて衛兵が一通の手紙のようなものを持って城の方に歩いてきた。
城の正門の階段に座り込んでいる二人を見つけて、衛兵が苦笑いをする。
「こんなところに座っちゃダメだろ」
「はい、すみません!」
と、ミリーは立ち上がるが、サムの方は座ったままだ。
「今日はほんとにこき使われているんですよー」
と泣き言をいう。
「若いのにちょっと動いたぐらいで文句を言うな。それよりお前たち、ちょっと上にこれを持って行ってくれ。王様にお手紙だ。急ぎの手紙らしいから走っていけ」
それを聞いたサムがめんどくさそうに言う。
「ミリー、頼む、俺はほんとにもう無理…」
衛兵が半笑いで怒鳴る。
「サム!お前が行け!」
ポンと背中をたたかれ、サムが手紙を受け取る。
しぶしぶ受け取ってふらふら歩き始めると後ろからまた怒鳴られる。
「走って行け!」
「はーい!」
サムは階段を駆け上がって王の執務室があるフロアーまで行くと、ちょうど目の前にいた侍従に手紙を渡した。
「今バイクに乗った人がお城に来て、これを置いていきました。王様へのお手紙だそうです」
「王様に手紙?」
そう言って侍従が手紙を見たが、表にも裏にも何も書かれていない。
「その人は今下にいるのか?」
「いえ、手紙を守衛さんに渡したらすぐに行ってしまいました」
「そうか、とりあえずお渡しするよ。ご苦労様」
侍従はそう言うとくるりと体を反転させ、そのままグランデレの執務室をノックした。
サムは何も表書きのされていない手紙の中身が気になったが、何の用もないのにいつまでもうろついていい場所ではない。王の執務室の前というのは、他の場所とは違う。
しかし何となくその場を去り難かったサムは、他の部屋を覗いて時間をつぶすことにした。
同じフロアーには箱舟の監視部屋があり、博士達もたくさんいる。彼らは比較的サムの事を構ってくれるので、サムとしては居心地のいい部屋だ。
科学院の先生たちがいる部屋の前を通ると、ちょうどドアが少し開いていた。仲のいい先生の顔が見えたので、ちょっと油を売ろうと部屋に入りかけた瞬間、
『ドーン』という爆発音が遠くで聞こえた。
とっさに部屋に飛び込んで、中にいた博士に駆け寄る。
博士たちも驚いて、窓際に駆け寄る。
「何があったんですか?」
「わからん!」
そう言いながら双眼鏡で音のした方を見ている。前回の砲撃以来、上の階の窓際にはどの部屋にも双眼鏡が置いてある。
サムが窓の向こうを見ると、はるか遠く、西の国境の更に向こうに土煙が上がっているのが見える。
「また箱舟ですか?」
煙はかなり遠い。
「箱舟はどこだ!」
博士たちが叫びながら窓から外を見まわすがどこにも箱舟の姿がない。
サムは部屋を飛び出し、廊下を走ってさっきと反対側の窓に飛びつく。ばっと窓を開けて辺りを見渡すと、
(いた!…)
「先生!見つけました!浜の方です!」
サムが叫ぶと科学院の博士達が走ってきた。
この国の国土はほぼ正方形で、南側は海岸線になっている。その海岸線の東の端、城から見て南東の位置で箱舟は砲台を展開したまま止まっていた。狭い国土だが、それでも目のいいサムですらかろうじて見える程度の小ささだ。かなり遠くの距離を攻撃したことになる。
双眼鏡で観察していた博士の一人が呟いた。
「おかしいな…」
「何がですか?」
「砲台をしまわない。展開したまま移動を始めた」
「え?まだ撃つ気なんですか?」
「それは分からん」
サムは双眼鏡を持っていなかったのではっきりとは見えなかったが、確かに上の方から砲台が出たままになっている。この城からは斜め正面から見ている格好だが、少しずつ動いているようにも見える。
博士は双眼鏡から目を離して周りに言う。
「とにかく王様にお知らせしよう」
周りにいた者たちが頷き、廊下を走って王の執務室に向かう。
博士たちが部屋の前にきてドアをノックしようとした瞬間、内側からドアが開けられた。
中から出てきたのは大臣のオスカーであった。
博士の一人が言う。
「大変です、今の爆音をお聞きになりましたか?あれは…」
顔面蒼白のオスカーがその言葉を制した。
「それどころではない」
え?という博士たちに、オスカーが続ける。
「姫様が、乙姫様が誘拐されたのだ……」
開け放たれたドアの向こうにグランデレ王が見える。執務用の大きなデスクの前で立ち上がったまま手元にある手紙を凝視している。
「いつ誘拐されたんですか?」
「この手紙ではつい先ほどのようだな。この手紙を受け取ったのはサムか?」
「いいえ、門の前にいた守衛です。彼から預かってきましたけど、持ってきた男の顔は僕がいた玄関前の階段から見ました」
「どんな奴だった?」
「西の方からバイクに乗って一人で来ました。ヘルメットとゴーグルをつけていたので、詳しい表情は分かりませんけど、しっかりとした体つきでしたから、多分若いと思います」
オスカーが窓際に行って正門の辺りを確認するが、当然バイクは走り去った後だった。
「そうか…」
博士の一人がオスカーに訊く。
「その手紙には何か要求が書いてあったのかね?」
「箱舟の…鍵を渡せと」
「鍵?鍵だけ奪ってもあの箱舟には王族しか入れないぞ。近付くのだって難しい」
その場にいた皆が考え込む。
ふと思いついたようにサムが呟く。
「乙姫様に開けさせるんじゃないかな」
「ふーむ…。という事はじゃ、カギを渡して箱舟の近くに隠れていれば連中は姫様を連れて現れるという事だわな」
「しかし、目的が分からん。開けてどうしようというのだ?」
博士の一人が私に問いかける。
「乙姫様は中の構造に詳しいんですか?」
私は首を横に振る。
「いや、小さい頃に連れて行ったきりだ。娘は箱舟を嫌って、あれ以来近付かないし話も聞きたがらない。内部について何か知っているとは思えないな…」
博士の一人が遠慮がちに意見する。
「王様、姫様は確か箱舟を停止させることを希望なさっていましたな。元々知り合いだった箱舟停止派の人間と手を組んでいるとは考えられませんかな?」
私は博士を睨み、オスカーが怒鳴る。
「馬鹿を言うな!仮にも姫様が国家を裏切って他の国の者と手を組むなどあり得ん!」
「竜宮城では何と言ってます?」
「これから聞くところだ」
「でも…」と、サムが口をはさむ。
「姫様はどこか途中まではご自分の意志で出掛けていると思うんです。誰かに誘い出されたのかな?」
「確かに、やけに簡単に捕まっているようにも見えるな。とにかく竜宮城に連絡だ。まずは乙姫の命が最優先だ。向こうから姫に近いものを呼び寄せてくれ」
「はい,ただ今」
そう言うとオスカーは手元にあった電話で竜宮城に電話をかける。
最初に電話に出たのは乙姫の身辺の世話をする侍女のアンだった。日頃王宮から竜宮城に電話がかかってくることはまずない。ただでさえ稀な事の上に、かかってきたのは大臣からだ。
ただ事ではないとアンは緊張した。
オスカーが尋ねる。
「今そこに乙姫様はいらっしゃらないと思うが、何時からご不在なのかわかるか?」
「午前中、9時半から10時の間だと思います」
「その時の様子を出来るだけ詳しく話してくれ」
「はい。今朝は早くお目覚めになって、箱舟の砲撃で怪我をした動物たちと熱心に話をなさっていました。それから怪我の治療方針について医師のルーク先生とお話をなさっていました。その時、ルーク先生と少し意見の衝突があったようですが、わたしはその内容は把握していません。その後お部屋に戻られたのですが、『動きやすい服装に着替えたいと』メイドにご指示なさいました。
着替えが終わるとメイド全員を部屋から出るようにお命じになって、お一人の時間が10分ほどありました。
その時に怪我をした動物が運び込まれて、皆がそちらにかかりっきりの間に、姫様は警備の者二人をお連れになってお城から出られたようです」
「そういう事か」
そう言うと電話口でオスカーがため息をつく。
「では、行き先は誰も聞いていないのだな?」
「はい、そうです。ただ…」
「ただ、なんだ?」
「ルーク先生の指示で、カメのヒシが姫様のあとを尾行しているそうです」
オスカーが受話器に向かって怒鳴る。
「それを先に言え!カメはどこだ?」
オスカーの怒鳴り声にアンは縮み上がり、「ひぃ」と声を上げながら答える。
「それがまだ、帰ってきません」
「連絡を取る方法はないのか?」
「申し訳ありません…」
しばし考え込んで再び話す。
「わかった、ルークとかわってくれ」
「はい、ただいま」