五、ヒシ②
「あの爆風はなんだったんですか?」
「この国で戦争が始まったみたいなの。ミゲルが見た光や聞いた爆音はこの国に進軍してきた敵を攻撃したこの国の箱舟という兵器の先制攻撃だったの。あの攻撃で、敵はもちろんやっつけたけど、こちらの被害も相当なものだったのよ。それに、戦争が始まったと言うよりは始まりそうだったと言う方が正しいかも。だって、あれ以来戦いらしい戦いがないの。もしかしたら、あれっきりで終わりなのかもしれないわ。このまま終わるといいのだけど、どうなのかしらね。人間の考えてることは時々わからなくなるから」
「箱舟ですか…。初めて聞きました」
「今までずっと兵器としては動いていなかったのよ。ただ軌道の上をぐるぐる動いているだけだったから、本当に何年振りかで攻撃したのよ。すごく怖い兵器だわ。今回の事でもたくさん人が死んだの。きっとこれまでもこんなことが何回もあったのよ。でも人間って駄目ね。忘れるのよ。戦争をすればどんなひどいことになるのか。悲しい記憶とかそういうのが消えるの。たぶん人間はこれからもずっとするんでしょうね、こんな事、こんなひどい事…」
「でも、今回はすぐに終わってよかったですね。僕の知っているもっと遠くの国で、ずっと戦争をしているところがありますよ。何年もやっていると人も疲れてくるし畑も荒れ放題だ」
「ふつうはなかなか終わらないわよね。でも、あの一撃で終わるくらい強烈な兵器なのかも、箱舟って。人間って、怖いから戦争を終わらせるのよ。疲れたくらいじゃやめないわ」
「そうかもしれないですね…」
「箱舟ってなんだか怖いわ。見境なく人や生き物を傷つけるんですもの」
「ええ…」
そこまで話したところで、ミゲルは黙り込んでしまった。圧倒的な力というのは、意見する力そのものを奪い取ってしまう。私はしばらくミゲルの放心したような横顔を眺めていた。
うつむいて黙り込むミゲルを部屋に残し、私は後で何か飲み物を持ってくるわと言って部屋を出た。そしてその足で詳しい打ち合わせをするために医師のルークのところに向かった。
医師や看護師が大勢いる治療室に入るといつもと違うピリッとした雰囲気がした。何だろうと思って人だかりに近付くと、その輪の中心に乙姫様がいた。こんなところに姫様が自ら来ることはあまりない。
何か問題が起こったのかと思い、私は黙ったまま輪の外から様子を見守った。
「危険です。おやめになったほうがいいです。もう敵が来ないと保証されたわけではわけではありませんし、姫様にもしものことがあっては大変です」
「でもあのままにしておくわけにもいかないでしょう」
「王様に任せるべきです。姫様、これは戦争ですよ。国の一大事にいろいろな人間が違う動きをすると収まるものも収まりません」
乙姫様は黙り込んで何か考えている。
何の話をしているのかわからず、私は隣にいた仲間にどうしたのと聞いた。
「西の国の王子と姫様が戦争の件でお会いになるみたい。危険だからおやめくださいとルーク先生が説得しているんだけど、聞いて下さらないのよ」
西の王子と会う?侵略してきた国ではないか。しかもこちらは西の兵士を箱舟の先制攻撃で全滅させている。あれだけの死者を出して西がこのまま引き下がるのか?箱舟があるからすぐには攻めてこないだろうが、この先も平和である保証がない。それに、なぜ姫様が行く?こういうことは王様が行くものではないのか?と、そこまで考えて思い出した。
(そうだ、姫様は箱舟廃止論者だった。西は姫様を利用して箱舟を封印する気か…。いいように利用されなければいいけれど…)
そこまで考えたところで乙姫様が私の存在に気が付いた。
「あら、ヒシ」
呼ばれて私が乙姫様の方を向くと、姫様がこう言った。
「早く例の男を連れていらっしゃいね」
まさかあの話題を今ここで姫様が出すとは思わなかったので慌てた。
「はい、急ぎます」
私の返事を聞くと、乙姫様は再びルークに向き直った。
「あなたの意見はわかったわ。じゃあこの話はいったん白紙にするわ。でも…」
そこまで言って姫様は黙ってしまった。周りは次の言葉を静かに待ったが、あまりにも長く考え込んでいたので、ルークが言う。
「でも、納得はしていない、そういう事でしょうか?私は何も西の王子に話し合いに行く事に全面的に反対ですと申し上げているわけではありません。私は政治の事を分かっているわけではありませんから、姫様にはもっと外交に詳しい方が意見すべきなのでしょう。ですが、この行動が姫様を危険にさらす事くらいは分かります。ほんの3人ほどの召使だけ連れて向こうに行って、対等な話し合いができるでしょうか?今の西は興奮状態です。姫様の身に何かあっては一大事です」
「その為に内偵を送り込んで今まで事前にやり取りをしてきたのよ。時間なら十分かけたわ」
「その内偵が信用できないと申し上げているのです。戦いというのは騙し合いです。この国から送り込んだ者だからと言って内偵を全面的に信用するのはあまりにも…慎重さに欠けます」
「慎重にやっているわ…。私は彼らを信用して送り込んだのだもの」
再び沈黙が訪れた。ルークが静かに話す。
「姫様、信用とは何ですか。我が国にも法律があります。それは国民を野放しにすれば誰かに迷惑をかける者が現れるからです。口で『やめましょうね』と言ってもやる人はやります。法律は、人を信用しないことが前提です。ところが、いざ法律を作るとほとんどの人がこれを守ると皆お互いに信用します。姫様、信用するしないはいわば“割合”の問題なのです。0%がないのと同じように100%もないのです。ですから、安全のために二重三重の策を練るべきなのです。姫様にはそれがありません。例えば…姫様が人質になって、我が国に不利な条件を出されたら王様はお困りになります」
「その時は…」
しばし間をおいて乙姫が言う。
「父は私を見捨てるかもしれないわね。王とはそういうものよ」
「そうですか。見捨てますか。では王様は悲しみませんか?」
ルークの目に涙が浮かぶ。
「私はね、姫様、今回の砲撃で西の兵士がたくさん死んだと聞きました。姫様もその兵士も、同じ人間です。同じ命です。でも、西の兵士が死ぬ時と姫様が死ぬ時で、私が同じ熱量で悲しむかというと違いますよ。王様だってそうです。父親ですから。姫様がどう思われようと、父親に変わりはありませんから。どんなに姫様と対立していても、ああそうか、残念だったなと、それで王様の気持ちが終わると本気で考えていらっしゃるのですか?
申し訳ありませんが姫様、そういうお考えで西の王子に会われても事態は解決するとは思えません。なぜだと思いますか?重くない命に、魅力はないからです」
そこまで言うとルークも黙ってしまった。
「そう…わかったわ」
それだけ言うと乙姫様は部屋を出て行ってしまった。
その後ろ姿を見送りながらヒシはルークのそばに行く。机に手をついてため息をついていたルークはおずおずと近寄るヒシに気が付いた。
「ああ、ヒシ、待たせてごめんよ。ミゲルの治療の打ち合わせをしないとね」
「ええ、でも、今すぐでなくてもいいですよ」
「大丈夫だよ。隣の部屋でやろうか。他のスタッフも呼んできてくれ」
その時部屋に一人の看護師が飛び込んできた。
「もう一羽渡り鳥が救助されたわ。まだ生きている。ルーク、すぐ来て!」
「意識は?」
「あります!」
話しながらルークが部屋を飛び出していく。
(ミゲルの仲間なら彼の気持ちも少しは楽になる。何とか助けなきゃ)
そう思いながらヒシもルークを追った。