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一、ヒシ①

【登場人物】

ヒシ…卵を産んだウミガメ。

乙姫…王国の姫。

エル…卵をとった若者。

レオ…エルの友人。

海沿いにまっすぐ伸びて行く軌道。その上を見上げるほどの大きさの構造物、あの〈箱舟〉がゆっくりと動いている。ゴトゴトと小さな音を立てて、ほんの少し体を揺らしながら進むその姿は、明るい昼間に見るとまるで陸を泳ぐ巨大なクジラのようだ。屋根は穏やかな曲線を描き美しい姿をしているはずだが、この暗闇でははっきりとその姿を見ることは出来ない。人が乗り込んで動かしているわけでは無く、かといって動物たちが引いて動かしている様子もない。一体どうやって動いているのか、見当もつかない不思議な代物だ。王宮が管理しているという箱舟だが、その目的を自分は知らない。どこかに向かっているというよりは、この王国の中をぐるぐると巡っているらしい。ゆっくりと動いているので足の速い動物なら簡単に追いつくことが出来る。大きくてちょっと威圧感もある外観だが、実際に危険な目にあったという動物に会ったことはない。あれに乗れば王国の中をぐるっと見て回れるのだろう。王国内を見て回ること自体は楽しそうだが、実際に箱舟に乗ったというものは知り合いにはいない。

「箱舟か…最近よく見るなぁ」


ウミガメは名をヒシといった。箱舟はヒシが生まれる前からこの王国をゆっくりと回っている。ヒシはこの巨大な箱舟を見るともなしに見ながら砂浜を歩いていた。

自分は目撃したことはないが、遠い昔に一筋の光を放ち、それが隣国を照らしたという。その時は箱舟が変形して別の形に変わったらしい。時々横についているドアが開くらしく、箱舟がそのドアから生き物を取り込んで食べるとか恐ろしい噂を面白がって言う者もいる。箱舟の中がどうなっているのか興味はあるのだが、恐ろしいのでなるべく箱舟には近付かないように心掛けている。

あれには関わらないほうがいい。箱舟にそんな印象を持っている生き物もいた。

今夜私はこの海岸に卵を産みに来た。これまで何度か下見にやってきたが、夜に来るのは初めてだ。辺りに人がいないか様子を見ながら、この辺りに産もうかと立ち止まって考えていた。あまりもたもたしていては生み終わる前に夜が明けてしまう。それでは人間に見つかってしまう。

どんなに時代が変わっても生き物の習性というのはそう変わるものではない。この国のウミガメは昔から人目を忍んで砂浜で産卵をしてきた。これまでも、そしてこれからもそうなのだろう。

似たような地形が続いていて、どこで産んでもあまり変わらないのかもしれないが、それでもしばらくは場所を決めかねてうろうろと動き回っていた。やがてここだと決めると立ち止まって後ろ足で穴を掘り始めた。夜も深まり、月のない夜を選んだせいもあってあたりは真っ暗だったが、ひっそりと卵を産むには好都合である。私はまだ若く、今回が初めての産卵であった。

「こんなものかな」

ある程度穴を掘ると、卵を産みにかかった。恐れていたような痛みはないが、卵から自分の子供が生まれてくるという事には得も言われぬ不安があった。年上のウミガメたちが何度も浜に行って卵を産むさまを見て、いずれ私もその時が来るのかと少し恐れを抱いてきたが、今目の前でそれが現実となった時、不思議と心に温かいものを感じた。卵からかえった子供たちは砂から顔を出すと一斉に海を目指すという。その光景を思い浮かべると、ぜひ実際に見てみたいと思った。私達ウミガメは鳴き声を上げることが出来ない。子供たちに声をかけることが不可能なら、近くにいて同じ姿を見せないと子供は私が親だとわからないだろう。卵からかえってから海まで歩いていく僅かな時間にでもそばにいてあげたい。これから時々はここにきて、様子を見ていようと思った。私には生まれつき頭の上に青いスジが一本入っていた。子供の頃は他の仲間と少し違っていることにちょっとしたコンプレックスを感じていたが、今はこの青いスジを気に入っている。生まれた子供たちにも同じように青いスジが入っているといいな。そんなことを考えながら産んだ卵の上にそっと砂をかけて、砂浜をあとにした。


翌日、私は砂浜にぽっかりとあいた穴を眺めていた。そこは前日に卵を産んだ場所だった。周囲の風景からしてこの場所に間違いはない。

「卵を…掘り返された…いったい誰が…?」

背筋が寒くなるヒヤリとした感覚と、血液が沸騰するような怒りが同時にこみ上げ、とっさに辺りを見回した。すると、砂浜についた足跡のはるか遠くに人影が歩き去っていくのが見える。その二人連れは腕に何かを抱え込んでいた。私の卵だ、間違いない。

(かえせ!)

猛然と砂をけってその人影を追った。

ゆるさない、それを返して。そう念じながら必死で追った。しかし、カメの足ではとても追いつけるものではなかった。徐々に距離があき、ついに見失ってしまった。それでも泣きながら砂浜をさまよい続けたが、探し疲れた頃にはもう日も暮れてしまっていた。

浜の端の岩場の辺りでしばらくは呆然としていたが、落ち着くにしたがってまた涙が溢れてきた。これからのことを楽しみにしていた。母になれると思っていた。生まれてくる子供たちのことを想像していた。それが一晩で打ち砕かれた。

怒り、虚しさ、悲しさ、後悔、あるいはそのような様々な感情が浮き上がっては消えていく。自分にはもう何も残っていないようで、空っぽの自分が憐れだった。


どのくらいそうしていただろうか。ふと側に人の気配を感じた。ゆっくりとした動きで顔を上げてそれが誰なのかを知って驚いた。視線の先に立っていたのは乙姫であった。この辺りの動物で彼女の事を知らぬ者はいない。その乙姫が今、目の前にいる。全ての事情を察しているのか、憐れみの目で乙姫はただ黙って私を見下ろしていた。

ずいぶん長い時間そうしていたのだが、ふと乙姫がこう言った。

「少しは落ち着いた?」

ヒシはカメなので声が出ないが、心の中で答える。乙姫にはそれで伝わるようだったが、それを不思議と感じることはなかった。

(はい…。少しは…。まさか、こんな事になるなんて…。私の生んだ場所がいけなかったのでしょうか?)

「そういうことではないと思うわ。どこで産んでも、盗る人は盗っていく。そういうものだわ」

(私はこれからどうすれば…。また産めばいいと言われるのかもしれませんが、もう卵を産むのは怖いです…)

それを聞いて乙姫はしばらく考え込んだように黙り込んでいたが、やがてこう言った。

「憎い?」

(え?)

「あなたの卵を取った連中。その者たちのことが憎いかと聞いているの」

(それはもちろん憎いです。こんなひどい話はありません。私の大切な子供たちを奪ったんです。許せるはずがありません)


すぐ横でさらさらと波の行き交う音がする。そこにいるのは乙姫と自分の二人だけであった。

「だったら、話してくれば?」

(そんな事…。今こうしてお話ししているのだって、なんだかよく分からないし…。それに、人間は怖いです。卵の仕返しはしたいけど、逆に何をされるか分かりません。話すなんてそんなの…)

「そうね。でも出来るわよ。私が力を貸してあげるわ」

乙姫はそういうと私の頭を少し撫でた。すると頭の辺りに淡い光が広がり、次の瞬間パッと目の前が開けたような不思議な感覚がした。

「まずはあなたに言葉をあげる。何か話してみて」

人の言葉など話せるはずもないと思った矢先、

「あの…あの…」と、私は言葉をしゃべっていた。

「話せそうね。そのうちに慣れるわ。ある程度話せるようになったら、まずはその男達を見つけて話してみれば?その後で、あなたの卵を盗んだ人を私の城に連れてきて…。あなた、確かお城の子よね。名前は?」

「ヒシです」

「そう、覚えておくわ。いい名前ね」

それだけ言うと乙姫はゆっくりと歩き去っていった。向こうの方にみえる船に乗るのだろうか。

こんな時間に海岸に何をしに来たのだろうか?まさか私のようなただのカメを哀れに思って姿を現したのだろうか?だとすると、なんて優しい人なのだろう。私の子供を奪う人もいれば、私を憐れんでくれる人もいる。人というのはこうも違うものか。

そんなことを考えながら、砂浜をゆっくりと歩き始めた。


それからというもの、ヒシは人に話しかける練習をして日々を過ごした。人に話しかけるなど今までしたことがないヒシであったから、何を話せばいいのか途方に暮れるばかりであった。しかし、やはり卵を盗られた事を思い出すたびに弱気なままではいけないと自分を励まして練習をした。

そんなある日、それなりに何とかなりそうだなと考えながら浜にいると、かつて卵を盗っていったと思われる見覚えのある顔がすぐそばを歩いているのが目に入った。

心に瞬間的に強い緊張が走った。あの時と同じ二人連れだった。忘れるはずがないあの顔だ。間違いない。


ヒシはゆっくりと彼らに近づくと自然な感じで話しかけた。



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