第24話:大団円!踊る大神殿(Bパート)
神殿通りは民衆で埋まっていた。
誰も大神殿に立ち入れないと知っている。
それでも集まらずにいられなかった。
祭壇周辺は修復を終えたが、一般開示は明日からだ。
今日の席は、すでにない。
裁く者と裁かれる者、見守る者で満杯だ。
周辺諸国の重鎮たちが講堂を埋めている。
だが、真に罪人を見守るものは、彼らではなく天上にあった。
ルクスアンデルの女王は、自らが国の恥部を暴き出し、天に向けて断罪する。
例のない大英断だ。
いっそ、女王の策ではないか――
膿を排する大改革では、とも囁かれた。
人による断罪と神による赦し。
再誕式は、国が生まれ変わる式典だった。
大神殿の祭壇に、傷痕を探すのは難しい。
割れた石碑は、威厳ある年代物が見繕われ、それ自体が取り換えられている。
その終端に見えるのは、飾りの傷痕だ。
石碑を挟んだ祭壇前には、裁く側の王族と神官、聖騎士、要人たちがいた。
即ち女王。
ゼナイド代理大神官。
第一王子エミリアン。
聖騎士の地位を持つ王女リリアーテ。
そして復任したクロエ。
対峙するのは、裁かれる側だ。
すでに多くの者が床に頭を垂れている。
硝子を嵌め直した大円蓋の下に、最後の罪人が入殿した。
同じく王族と神官、聖騎士、要人たちだ。
どよめきが起きた。
壇上の妻とは目を合わせることもできず、小型犬のように震える国王。
介助の椅子で連れられた元大神官サロモン・ジスカール。
そして聖騎士留保のロゼール・ワルキュリエ。
ロゼールが選んだ衣装は、目の覚めるような緋色の頭巾と外套。
下には黒と白の女給服。
布飾りのある短い裾の先には、硬質な長靴と長手袋が覗いていた。
壇上に立つゼナイドは、ロゼールを見るなり、あとで殺すと唇で囁いた。
クロエとリリアーテは顔を見合わせ、こっそり親指を突き上げる。
列の最前で立ち止まると、ロゼールは頭巾を払って祭壇を見上げた。
最後の一人は溜息に導かれて歩いて来た。
鋲と黒革の帯で接いだ神官服の少年だ。
緋色の襟巻をしたフロルケイン・ハルタは、聖杖を重石のように担いでいた。
まるで、それが刑罰だとばかりに、聖杖は神造の鎖で幾重にも巻かれている。
目が合って、ロゼールは震えた。
隣には、妖しくも懐かしい笑みを浮かべたハルタがいる。
視線に頬がちりちりと焦げついた。
振り向く衝動を、ロゼールはこらえられない。
無理に目を逸らして、祭壇を見やる。
思いもよらないゼナイドの表情があった。
目尻を微かに朱に染めている。
ロゼールが今まで見たこともない――まるで、女の目をしていた。
向いているのは――ハルタの方だ。
年甲斐もなくこの女。
手酷い尋問を思い出し、ロゼールはぎりぎりと歯噛みした。
ハルタをそんな目で見るんじゃない。
今は代理大神官のくせに、その腑抜けた顔は恥ずかしくないのか。
そもそも、だ。
本来ならば、ロゼールが壇上にいてもおかしくなかった。
邪教に堕ちたとはいえ、むしろこの国を救ったのはロゼールだ。
しかも、婚約者がそこにいる。
王族として隣に並ぶ権利さえ持っている。
エミリアンはその涼やかな目でロゼールを見て――いなかった。
目の前に婚約者がいるのに、その視線も紅潮した頬も――ハルタを向いていた。
え?
ちょっと待って。
「罪人よ」
女王が声を響かせた。
驚いた元大神官が首を巡らせてハルタを見つけ、化鳥のような声を上げた。
みるみる股間に染みを拡げる。
介助は慌てたが、皆は品よく見ぬふりをした。
再誕式が粛々と始まった。
王女が滔々と語るのは、聖典に記された罪の宣告だった。
余すところなく罪状を読み上げ、居並ぶ者を言葉で容赦なく鞭打った。
容赦のない責めの締め括り――
ゼナイド代理大神官が、神誓の王笏を罪人に掲げる。
赦しの請願を神々に告げた。
罪深き者に贖罪の機会を
新たなる誓いを与え給え
碑に刻まれたる神々を隔たりなく讃え
御名に縋りて再び無垢なる心を取り戻さん
我ら塵の一片を余さず
全ての信心をもて捧ぐ
「――全ての信心をもて捧ぐ」
参列者の唱和が続いた。
神誓の王笏が光を放ち、目を焼いた。
紛うことない神器の光だ。
眩暈とともに目を瞬けば、集った者全てが大円蓋の硝子に神の幻を見た。
一斉の吐息が辺りを埋める。
すすり泣く声が微かに響いた。
ロゼールは何も感じなかった。
皆が神の赦しに打ち震えようと関係ない。
式典の間中、ゼナイドとエミリアンの視線が気になって仕方がなかった。
ハルタと何があったのだ。
祭壇でかたかたと音がした。
ゼナイドの掲げた神誓の王笏が鳴っている。
不意に大きく震えた。
杖頭が、乾いた音とともに砕け散った。
王国の神器が、神の赦しが――皆が声を上げるなか、世界が凍りついた。
全てが静止し、色を失っている。
ハルタと出会ったときに見た、時の狭間のような光景だった。
飛び散る神器の破片さえ、宙にそのまま留まっている。
ロゼールの視界に緋色が揺らいだ。
桶の水をぶちまけたように、鎖が落ちた。
ハルタは軽く伸びをして、ロゼールに目をやり、歩み寄る。
ハルタが手を取ると、ロゼールの身体は前のめりに引き寄せられた。
「ハルタ」
身体が色彩を取り戻している。
「やあね、この程度で情けない」
ハルタがロゼールの目元を拭う。
そうされるまで、気づかなかった。
「ハルタの仕業か?」
「そうよ。段取りが大変だったわ」
あっさり認めて、ハルタは祭壇を向いた。
石碑を見おろし、聖杖で叩く。
飾りの痕が消え失せた。
遠くの雷鳴にロゼールが首を竦める。
――今のは。
石碑に目をやり、声を上げた。
第三詩篇だ。
「これって、まさか」
地下洞の石碑だ。
「王子さまに頑張っていただいたの」
祭壇の前で凍りついたエミリアンを見上げ、ハルタは言った。
「一生懸命の男の子って可愛いわね」
ロゼールの脚が萎えそうになる。
ハルタ、まさか。
「さあアナタたち、準備なさい」
ハルタが祭壇に声をかける。
「――大丈夫? ハルくん」
リリアーテが色彩を取り戻した。
「ずいぶん酷い尋問だったって聞いたよ」
言いつつ壇を飛び降りる。
「一晩中、悲鳴が聞こえた」
クロエも動き出している。
ロゼールはぽかんと二人を見やった。
「そうねえ、大変だったわ」
ハルタが笑ってゼナイドを見上げた。
「だって、離してくれないんだもの」
悲鳴――夢に出た聖獣。
まさか、師匠。
「この行き遅れの泥棒猫」
ロゼールが悲鳴を上げた。
神誓の王笏の柄を握り締めたまま動かないゼナイドを睨む。
「え、なに、どした」
リリアーテが首を傾げる。
「聞きたいのはこっちだ、二人とも」
噛み付くロゼールに、リリアーテとクロエが顔を見合わせる。
「だって、ねえ」
「うん」
はにかむ様にリリアーテは舌を出した。
「改宗しちゃった」
ロゼールの顎が落ちた。
そんな、うっかりやっちゃったみたいに。
「だって、ロゼールだけずるいじゃん」
二人はロゼールに身をすり寄せたかと思うと、不意に両脇から腕を抱え込んだ。
ハルタの目が笑っている。
ロゼールの胸が破裂しそうなくらい鳴った。
「アナタもさっさとお戻りなさい」
襟巻に指を掛け、ハルタが頬を近づける。
近い近い近い。
声にならない悲鳴を上げる。
純潔の誓約が弾けるように飛び出した。
「やめろ、不埒者」
唇の前に立ち塞がって、ハルタとの間にぐいぐいと身体を捩じ込んだ。
其は名を喪いし真なる神
汝、魂の逸脱を以て洗礼を授く
クロエとリリアーテが祝詞を囁いた。
――この裏切り者。
注意を奪われた一瞬、ハルタは純潔の誓約の身体に唇を埋めた。
嬌声ともつかない悲鳴が鼻先に響く。
純潔の誓約が泡を吹いて胸に落ちる。
ロゼールの唇が奪われた。
――この役立たず。
涙目で叫ぶロゼールの声は、んぐぐとくぐもった音になった。
間近の二人が赤くなる。
腰の砕けたロゼールは、二人の手から滑り落ち、床にぺたりと座り込んだ。
外套の裏に隠した黄金の翼が跳ねる。
その刃が再び黒く染まっていくのが、鞘の外からでも感じ取れた。
「お帰りなさい、ロゼール」
身に満ちた力は、前にも増して強い。
自分はハルタに解き放たれたのか、それとも縛り付けられたのか。
ロゼールにもよくわからない。
たぶん、両方なのだろう。
「とりあえず、ここからずらかろうぜ」
灰色に凍りついた大聖堂を見渡し、リリアーテが言った。
「ずらかる?」
ロゼールがぼんやり問うと、クロエが手を取って引き起こした。
「まだ野放しの魔神が残っている」
「まずは、その尻の後始末をしなきゃだ」
「大きな尻のな」
大きくないって言ってるだろう。
ロゼールが口を尖らせた。
「それじゃあ、行きましょうか。もうすぐ縛りが解けるわよ」
ハルタが言って、石碑に目をやった。
「晴れて公認の一柱だもの、逃げるときも堂々と、ね」
第三詩篇を刻んだ石板だ。
銘のない神が、大神殿に晒されている。
神の在り方が変わり始める。
「最初から――」
ハルタはロゼールの言葉を遮った。
襟巻を上げる口元に、耳まで裂けたような笑みを見た。
「馬車は裏だ」
クロエが告げた。
「ボク特製の仕様だぞ」
リリアーテが胸を張る。
ロゼールはうぐぐと喉で唸った。
まだ灰色の大聖堂を見渡す。
――仕方ない。
そう自分に言い訳すると、ロゼールはハルタの手を取って駆け出した。




