獣王
世界でまだ、全ての生き物が同じ言葉を話していた頃。
動物の中で一番強い王様が居ました。
その人のことを動物達は「獣王様」と呼んでおり、ある者は怯え、ある者は媚びへつらい、ある者は妬み、ある者は憎んでおりました。
獣王様は自身が周りからどう思われているかをよおく、分かっていました。
ある日、獣王様は家来に鏡を持ってこさせて言いました。
「何て私の顔はこんなにも醜く、怖い顔をしているのだろう」
「何を言います獣王様。獣王様はこんなにも聡明で力強いお顔をしているではありませんか。」
獣王様は知っていました。
この家来が、裏では自分を醜いと嘲笑っている事を。
ずっとずっと我慢をしていた獣王様はその夜一つの雄叫びを上げると皆の前から消えてしまいました。
ある者は喜び、ある者は訝しがり、ある者は笑い、ある者は安心しました。
獣王様はそんな動物達の表情を、高く聳え立つ、自身の城の中から見ていたのです。
「やはり、私は醜く怖いのだ」
そうして沢山の時間が過ぎていきます。
獣王様は窓の外を見ることも無くなりました。
動物達の王は別の者に変わりました。それは例の家来でした。
獣王様は王様ですらもなくなってしまいました。
しかし、獣王様はそれでも良かったのです。
獣王様の心は段々凍てついていきました。
そうして沢山の時間が過ぎたある日、獣王様の城の扉をこんこんと誰かが叩いてきました。
驚いた獣王様は怖がり、最初はこの音を無視していましたが、気付けばその音の主は勝手に城に入ってきたのです。
それはあの家来と同じ種族の少年でした。
獣王様は怯え、思わず雄叫びを浴びせてしまいました。
好奇心に満ちていた顔がみるみる恐怖に満ちていくのに気付いた獣王様はしまった、と思いましたがもう遅く、彼は慌てて城を逃げ出て行きました。
彼が逃げる寸前、落としていったものを拾い上げると、沢山の山菜や採れたての魚達が顔を覗かせていました。
獣王様は、彼が仲良くしたいだけだったと気付いて後悔しました。
それでも獣王様の恐怖は拭えなかったのです。
そうして沢山の時間がまた過ぎていきました。
あの少年が置いていった食べ物達を少しずつ食べながら、何故生きているのかも分からず、ただ薄暗い城の中で暮らしていました。
こつこつ。
その時、獣王様は聞き間違いだと思ったのです。
しかし少しの間をおき、またこつこつ、と扉が叩かれました。
獣王様は恐る恐る声を掛けます。
どうやら大きな城に興味を持って声を掛けてきた人間の男の様でした。
彼はこの大きな城に住むものが誰なのか知りたかったようでした。
獣王様は今度こそ、と恐怖心を必死で抑え扉を開けようとして、途中で思い留まりました。
人間と動物は長らく交流の無かった種族です。獣王様の大きく怖い姿を見て、人間が怯えて逃げたらどうでしょう。
折角ここまで訪ねて来た誰かに、また恐怖心を植え付けるだけだと獣王様は思ったのです。
獣王様はなるべく優しい声で、彼を追い返そうとしますが、彼は断固として聞きません。
何度追い返そうとしても聞き入れない彼に腹が立ったのか、獣王様は大きく吠えて追い返そうとしたのですが、それでも扉の前から動こうとしませんでした。
二人の扉前での攻防戦は幾年にも続きました。
とある日、獣王様は起きてから異変に気付きました。
扉前からずっと感じられていた物音が一切聞こえなくなったのです。
大慌てで窓から玄関を見ると、扉にもたれかかる様に倒れている一人の青年が見えました。
獣王様は全速力で城を駆け下り、その重々しく酷い音をたてる扉を思い切り開けました。
どさり。
城の中に雪崩込むように倒れる青年。
思わず抱き留めて、獣王様は気付きました。
彼の目には薄汚れた包帯が巻いてありました。
彼は目が見えなかったのです。
ふわふわとした獣王様の毛並みに気付いたのか、弱々しく青年が口を開きます。
「ああ、ようやく、会えましたね」
彼は薄く微笑んで、ただそれだけを言い、身体から力を抜きました。
それが死であることを、獣王様はよおく、知っていました。
大きく、大きく、泣き叫ぶように雄叫びを上げました。
獣王様にとって、誰かの為に吠えたのは生まれて初めてでした。
それから獣王様は丁寧に彼の遺体を埋めました。
そして獣王様は、城の外に少しだけ出ました。
気付けば城の外は変わっており、獣王様の姿は皆を驚かせたものの、何処もかしこも受け入れてくれました。
しかし、獣王様はそれを丁寧に断ってから、城の前に佇むことにしました。
とある場所に、少し薄汚れた大きな城がありました。
その城の前では、大きな巨体の美しい鬣を持つ、ライオンに似た獣が道行く人に色んな話を聞かせています。
彼は皆から「獣王様」という愛称で親しまれているそうです。
彼は言うのです。
「大切な、愛する人が居たんだ。
その人がまたこの城を見つけ、私に会いに来てくれるまで、
何千年掛かろうとも、待ち続けるんだ。」