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ソラニワ  作者: 緒浜
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 息を吸う。息を吐く。

 軽く目を伏せ、心を静める。

 部屋には時間をかけて集めたピアナクロセイドが充満している。

 ジインはゆっくりと感覚の輪を広げた。

 部屋の隅に溜まった綿埃。壁紙の剥がれ。通気口から漏れる、わずかな空気の動き。

 そんなものをまるで手に取るかのように感覚で捉える。

 意識を部屋の隅々まで行き渡らせると、ジインは素足をゆっくりと一歩踏み出した。

 床上10センチほどの空間で、足の裏にわずかな抵抗を感じる。

 その目に見えないものに、ジインは慎重に体重をかけた。

 わずかに足が沈んだが、床に落ちることなく体が浮かぶ。

 同じ要領で逆の足を踏み出し、目に見えない階段を上るようにジインは空中を歩いた。

 この部屋の天井は高くない。頭をぶつけない適当な高さで止まると、ジインは両足を揃えてとんとんと飛び跳ねてみた。

「うん……結構いけそうだな」

 安定感に満足して、ひとり頷く。

 がさりという音に振り返ると、目を丸くしたソラが買い物袋を床に落としていた。

「あ、おかえり」

「な、なんで浮いてるの……?!」

「飛空の研究。支柱晶なしでもできるかなと思って」

 言いながら、ジインは空中でくるりと一回転してみた。

「う、うわーやめて怖い! そのまま頭から落っこちそうで見ているこっちが怖い!」

 ひいーと呻きながらソラが目を覆う。ジインは笑った。

「大丈夫だよ、結構安定してるから。ほら」

 とんとんと跳ねてみせるジインを、ソラは指の間から恐る恐る見上げた。

「いやあ、見ている方としてはすっごい不安だけど、確かに魔法のコントロールが上がってるって言ってたもんね……でも、ちょっと現実味がなさ過ぎて手品みたいだ」

 フワフワと浮かぶジインに慣れてきたらしいソラが、ジインの足の下の何もない空間を不思議そうに何度も手で払う。

 しゃがんだソラの頭にとんと手を付くと、ジインはキレイに一回転してソラの背後に着地した。

「まあ、支柱晶がある方が安定するし、このやり方だと速くは飛べないけど、魔法の鍛錬にはなるかな」

「いいなあ、魔法使い。空を飛べるなんて楽しそう」

「竜に変身して自分の翼で飛べる奴がなに言ってんだ」

 しゃがんだままのソラの頭をくしゃりと撫でて軽く小突く。

「あー、そういえばそうでしたー」

 小突かれてわざとらしく大きく揺れてから、ソラは立ち上がった。

「さてと、お昼にしますか!」

 いつもとなにも変わらないその横顔を見つめながら、ジインは数日前の夜の出来事を思い出していた。

 シャツを裂き、ジインの右肩の花斑を確かめたソラ。

 死んだような目から感じたのは、驚異的な力と、圧倒的な存在感。

 昼間のまともな頭で何度も思い返してみたが、やはり、あれはソラではなかった。

 寝ぼけているのとも違う。“体”はソラだったけれど、“中身”は違った。

 あれは、一体誰だったのか。

「え、なに? オレ、何か顔についてる?」

 視線に気づいたソラが頬に手をやる。

 夜が明けてから何度かそれとなく確かめてみたが、ソラはその時のことをまったく覚えていないようだった。

 その顔を凝視したまま、ジインは無意識に首を傾げた。

「いや……見た目ばっかりでっかくなったけど、まだまだダメだなと思って」

 ソラが手にしていた缶詰をテーブルにぼとりと落とす。

「ちょ、ちょっと待ってよなにそれ聞き捨てならないんですけど?!」

 わあわあとわめくソラの言葉を右から左に聞き流しながら、ジインは思う。

 一度竜化して、けれど自力で“ヒトガタ”に戻ったソラ。

 ソラはもう、雪の夜に泣いていた赤ん坊ではない。

 自分がついていなくても大丈夫。もう手放しても大丈夫なのだと、心のどこかで思っていた。

 けれどソラの中にはまだ、得体の知れない“何か”が隠されている。

 それはきっと、ソラひとりの手には負えない。

 だから、まだダメだ。

 まだ、ソラをひとりにすることはできない。

「料理も掃除も洗濯もオレがしてるのに……! ちょっと前までのへっぽこジインのほうがよっぽどダメだったくせに……!」

 少し涙目でぶつぶつ言いながら、ソラが缶詰の蓋をキコキコと開けていく。

 足の裏を軽く払って、靴を履く。片足立ちでふらつくようなことはなくなったが、魔法院で暮らしていた時と比べると、筋力も体力もかなり落ちている。筋トレも体力づくりも励んでいるけれど、間に合わない分は魔法で補うしかない。

 そっと右肩を掴む。

 竜毒を受けた魔法士と、竜の関係性。そして竜と、『神ノ庭』の関係性。

 この命の期限が来る前に、それらの謎を明らかにしなくてはいけない。

 それはジインにとって、竜毒の治療法を探すことよりも重要なことだった。

 ジインの使命とも呼べるそれは、死を怖れる気持ち、魔法院を怖れる気持ちを押しのけて、胸の中で熱く静かに燃え始めている。

「だって、このままじゃ、安心して死ねないじゃないか」

 誰にも聞こえない声で呟く。

 そう、このままじゃ死ねない。

 だから、しっかりしなくちゃ。

 対すべき相手は魔法院だけじゃない。

「……戦え」

 戦え。戦え。

 幸福を目指す旅路を邪魔する、あらゆるものと戦え。

 それがたとえ、『神ノ庭』に鎮座する神様だとしても。

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