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ソラニワ  作者: 緒浜
34/53

034 超える

 乾いた銃声と同時に響く、きん、と甲高い金属音。

 痛みはない。衝撃も、ない。

 恐る恐る目を開ける。こちらへ向けられた銃口からは、確かに硝煙が上がっている。

「……?」

 左手首で何かが、しゃら、と涼やかな音を立てる。視線を巡らせて、ジインは息を呑んだ。

「あ……」

 左手首と簡易ベッドを繋いでいた手錠。その鎖が、銃弾によって断ち切られていた。

「おまえ、さえ、いなければ……ここへ、現れなければ……俺は、今頃……あの人の側で……共に……っ、」

 ゆっくりと銃を下ろしたイーザウの顔が、悔しげに歪む。

 ――おまえさえ、いなければ。

 イーザウの左腕があった場所に目をやる。

 ジインが受けた拷問の報復として、ソラが骨を砕いた腕だ。

 あの怪我さえなければ、イーザウは今頃、前線でレインネインの傍らにいたはずだろう。

 どす黒い赤に濡れた体が、細かく震え出す。

「イーザウ、」

「い……行けよ……ひ、“ヒトガタ”の、ところへ」

 震える血まみれの唇が、渋面とも嘲笑ともつかない形に歪んだ。

「おッ、おまえ、が、行けば……あの人、にも、ッ、つ、伝わ、る……」

 イーザウの揺れる眼差しが、ここにはいない誰かを捉える。

 鮮烈な笑みがその唇に浮かんだ。

「……あ、のひと、は……、ッ、れ、の……、……――」

 一瞬強く輝いたイーザウのまなざしが、ふいに遠くなる。すうっと苦痛が溶け去ったように、イーザウの体から力が抜けた。

 遠く誰かを見据えたまま、イーザウは絶命した。

 壮絶な死に様に、誰もが言葉を失う。

 遠くでぱらぱらと銃声が弾けた。

 子どもたちが泣いている。

「……キーヴァ、第六ルートですぐにここを出ろ」

 固い声で言いながら、青年はイーザウの体から使えそうな武器類をはぎ取りはじめた。

「いやだ、戦う! オレだって同志だ、逃げるくらいなら戦って死ぬ!」

「お前にはお前の役目がある。チュニたちと一緒に、その魔法士を外まで連れ出してくれ」

「こんな奴、放っとけばいいだろ!」

「アジトが落ちたことをレインネインに知らせるには、そいつをここから逃がすしかない」

「おい、ちょっと待てよ。おれは――」

「“ヒトガタ”はレインネインと一緒に『ハコ』へ向かった。追いかけて、レインネインにこの状況を伝えて欲しい」

 差し出された血まみれの銃を避けるように、ジインは後じさった。

「なんで、おれが」

「どうせ脱出路も知らないだろう? こいつらについていけば外に出られる。その後は、まあ、好きにすればいいが……どうせあの“ヒトガタ”の後を追うんだろ。ついでに側にいる誰かに一言、アジトが落ちたと伝えてくれればそれでいい」

 アジトは落ちた。

 だから、ここへは戻らずにそのまま逃げろ、と。

「……あんたたちはどうする気だ」

「ここで死ぬ」

 目と目が合う。その眼差しに、あきらめなどは微塵もなかった。

 死地へ向かうその双眸には、むしろ生で満ち満ちていて。

「一人でも多くの敵を殺し、一人でも多くの人間の目に俺たちの怒りを焼き付けてから、ここで死ぬ。あんたは俺たちを人殺しだと言った。無関係の人間から見たら、確かにそうだろう。でも、俺たちにとってこれは戦いだ。望む未来を勝ち取るための、俺たちの戦いだ」

「――……、」

 口を開きかけて、つぐむ。

 殺すとか、殺されるとか。

 それで未来を勝ち取るとか。

 こんなの、絶対間違ってる。

 けれど。

「……イーザウの言ってた“内通者”ってのは? そんな奴がいるとしたら、今頃レインネインたちも……」

「おそらく計画のことまでは漏れてない。漏れていたらレインネインのいないこのタイミングでは襲ってこないだろう」

 先ほどより近い場所で、どん、と爆音が上がる。

 考えている時間はない。

 手錠がぶら下がったままの拳を強く握って、ジインは立ち上がった。

 デイバッグをあさって、コートを引っ張りだす。薬類など必要最低限のものをポケットに無理矢理押し込んで、ブーツに足を突っ込んだ。

 枕元に置いていた廃工場の鍵が足下に転がっていた。拾い上げて首から下げる。

「これを」

 名前も知らない青年が差し出す銃と弾倉を、逡巡の後に受け取った。

 ぬるりとした感触に、指先が濡れる。

「キーヴァ、皆を頼んだぞ」

 悔しげに唇をかんだキーヴァが、ぎろりとこちらを睨み上げて歩き出す。

「ついて来い!」

 事切れたイーザウをすれ違いざまに一瞥してから、小さな背中に続く。

 廊下はうっすらと白く煙っていた。まるで巨大な魚の食道のような不気味な通路を、ところどころで弱々しく明滅する明かりを頼りに、倒れた鉄板を乗り越え、くぐり抜け、垂れ下がった配線に気をつけながら進んで行く。

 時折、頭上や足の下を、敵か味方かもわからない靴音がばたばたと行き過ぎる。その度に息をひそめてやり過ごしながら、ジインと子どもたちは先を急いだ。

「ここは『彩色飴街』なのか?」

 額に汗を浮かべながら、荒い息の合間にジインが訊ねる。予想以上に体力の消耗が激しい。病み上がりな上に、一番幼い子どもを抱きかかえ、遅れがちな少年にコートの端を掴ませながら暗がりを進んでいるのだから、当たり前と言えば当たり前だが。

「そうだよ。東二十八楼九層」

「九層? 意外と地上に近いんだな。今は何時だ?」

「わかんねえよ。たぶん20時とか……22時とかだと思うけど」

 夜か。それなら闇に紛れて空を飛べる。誰にも姿を見られることなく『裏』の空港へたどり着きたかった脱出時とは違い、今回は多少見咎められたとしても『ハコ』へ着くまでに捕まらなければそれでいい。

 問題は、自分の気術神経が持つかどうかだ。

 脳幹近くにある気術神経に負荷がかかりすぎると、魔法士は意識を失う。酷い場合には脳に障害を負ったり、そのまま衰弱死する可能性もある。

 ここを抜け出し、『ハコ』まで空を飛び、侵入してソラを助け出す。

 まともに考えれば、とても神経が保つような行為ではないけれど。

「……どうにか、保たせるしかないな」

 前方から響いた銃声にぴたりと足を止めた。

 左の壁に開いた横道から靴音が近づいてくる。

 素早く辺りを見回すが、身を隠せるような場所は近くにない。

 体をこわばらせ両手で銃を構えるキーヴァの肩を掴んで、背後へと追いやる。抗議の声を上げようとするのを手振りで制し、子どもたちを壁際にぴたりと沿わせた。

 横道の角にそっと近づき、気配をうかがう。

 壁を滴る水音に混じって、辺りを捜索しながら進んでくる靴音が、三、四つ。

 その足取りからして、相手はおそらく軍の人間だ。

 音だけを頼りにその距離を測りながら、額に銃の背を当てて深呼吸を一つする。

 ひやりとした感触と、さび臭い匂いが鼻を突いた。

 のたうつ羽虫を思わせる音を立てながら、頭上の明かりが明滅を繰り返している。

 息を止め、頭上の照明が暗くなった瞬間に、ジインは角から飛び出した。

 闇に溶けるような揃いの軍服の腕、足、肩を狙って、続けざまに引き金を引いた。

 前方の一人が倒れ、次の一人がよろける。

 弾が逸れた三人目の銃口がこちらを向いた。

 壁を蹴り、ジインは跳んだ。

 壁をうがつ銃弾が火花を散らす。

 三人目の肩を蹴りつけてその勢いのまま通路を転がり、振り向きざまにその腕を撃ち抜いた。

「走れ!!」

 立ち上がりながら鋭く叫ぶ。明滅する明かりの下を、小さな影が素早くよぎった。

 転がる銃に伸ばされた兵士の腕を踏みつけ、あごを蹴りつける。

「ッ、」

 ざわと寒気が走り、勘だけで壁際へ飛び退く。同時に銃声が鳴り、右腕を銃弾がかすめた。暗闇の向こうから現れた新たな敵を銃弾で退けながら、子どもたちの後を追って通路へ駆け込む。

 倒れかけた鉄板を、右肩の傷が痛むのもかまわずに両手で掴んで引き倒すと、頭上の照明から火花が落ちた。

 『支柱晶』を出現させ、低い天井にそれをかざす。何も無いところに炎の柱を立たせられるほどここのピアナ濃度は高くない。けれど、黒光りするほど配管に積もった塵や油を火床にすれば……。

 脳の奥で紡いだ意識を天井へぶつける。直後、頭上を這う配管が赤い炎に包まれた。見えない力でそれを掴み、思い切り引き下ろす。配管を芯にした炎のカーテンと倒れた鉄板とが、うまく重なり通路を塞いだ。

 これで少しは時間が稼げるだろうか。

 炎の向こうから銃弾が飛んでくるより先に、ジインはほとんど明かりの失せた廊下を駆けた。

 額の汗を拭う。久々の激しい運動に、息も鼓動も乱れっぱなしだ。

 廊下の先がぼんやりと明るく見えてきた。“谷”だ。

 建物を継ぎ合わせてできている『彩色飴街』には、楼と楼、建物や部屋の合間に、深い底なしの隙間が無数に横たわっている。

 谷に面した戸口に立ち尽くしていたキーヴァが、呆然とジインを振り返った。

「橋が……ない」

「なんだと?」

 キーヴァと並んで谷を覗き込む。橋として使われていたらしい梯子は、落っこちて数階層下の配管に引っかかっていた。

「魔法で引き上げるしかないか」

 『ハコ』まで飛空を使うことを考えるとできるだけ“力”は温存しておきたいのだが仕方ない。

 意識を集中させようとした次の瞬間、視界の端を何か赤いものがかすめた。

「――危ない!」

 階下を覗き込んでいたキーヴァの首根っこを掴んで思い切り後ろへ飛ばす。

 吹っ飛んだキーヴァのつま先あたりを銃弾がかすめ、火花が散った。

 キーヴァの手から離れた銃が、甲高い音とともに階下へと落ちていく。

 二人で背後へ倒れ込んだ直後、続けざまに銃声が戸口をえぐった。

 子どもたちが悲鳴を上げる。

 後ろ手に這って、ジインたちは戸口から遠ざかった。

 弾は階上から放たれたもののようだ。

 小さな赤い点が獲物を探して戸口のあたりをうろうろと彷徨うのを見つめながら、ジインは腕の中で震える少年に訊ねた。

「ここ以外に渡れるところはないのか」

「……ない」

 掠れた声で少年が言う。

 向こう側までは5メートル弱。自分一人ならば、魔法の補助で容易く跳躍できる距離だ。

 背後を振り返る。いつのまにか背中にぴったりと張り付いた子どもたちが、不安げな瞳でジインを見上げた。

「……やるしか、ないか」

 まずは子どもたち一人一人に防護壁をまとわせる。弾が正面からまともに当たれば厳しいだろうが、それ以外の当たりならば防護壁で受け流すことができるだろう。

 そして敵に向かって発砲し、向こうの攻撃を封じている間に谷を跳ばせる。

 子どもの足だ。もちろん、魔法で跳躍を補助しなければならないだろう。

 自分以外の人間に魔法を使うことは、本来とても難しい。人間の体から発せられる熱や気が、ピアナクロセイドの邪魔をするためだ。日々魔法に馴染んでいる魔法士や、体自体にピアナクロセイドが含まれる“ヒトガタ”ならともかく、触れてもいない相手の動きを補助するとなると相当な集中力と技術が必要だ。

 まずは周りの空気を凝縮させてからそれを高密度のピアナ実層で支えて、同時に向こう側までの道を――。

「……力の温存、なんて考えられる状況じゃないな」

 小さく嗤って、己の甘い考えを捨てる。

 子どもたちと向かい合うと、ジインは目線を合わせて言った。

「いいか、これからおまえたちに魔法を授ける」

「ま……マホウ?」

「見えない鎧の魔法だ。この魔法さえあれば、弾に当たらずに向こう側まで跳べる」

 子どもたちがくるりと目を丸くする。恐怖でこわばっていた頬に、わずかに赤みが差した。

「無理だよ。あっちまで跳ぶなんて」

「大丈夫だ」

 力強く断言すると、ジインは手をかざして再び『支柱晶』を出現させた。初めて見るであろう魔法に、子どもたちが息を呑む。

 谷の空気が淀んでいるせいでピアナ濃度が比較的高いのがせめてもの救いだ。

「ええと、名前は……」

「チュニ。こっちがセオで、この子はマルカ」

「そうか。じゃあ、チュニとセオは手をつないで。二人一緒に跳ぶんだ。マルカはキーヴァと一緒に、チュニたちの次だ」

 フードを深く被らせて、チュニとセオを二人まとめて抱きしめる。

 深く吸い込んだ息を止めて、意識を集中させた。

 二人の体をピアナクロセイドの層で包み込み、そっと体を離す。

 不安げな二人の眼差しをしっかりと受け止めて、力強く頷いてみせた。

「大丈夫。魔法がおまえたちを守ってくれる。合図したら、怖がらずに思いきり跳ぶんだ」

 意識の半分をチュニたちに繋げたまま、ジインは新しい弾倉を充填した。スライドを引きながら戸口へそっと近づく。深呼吸をして息を止め、引き金に指をかけた。

 レーザーサイトがゆらゆらと漂う中に飛び出すと、階上の影に向かって続けざまに発砲した。

「行け!!」

 ジインの背後をすり抜けて、チュニとセオが戸口から跳ぶ。その体が向こう側の廊下に転がるのを視界の端で確認して、ジインは素早く身を隠した。

 途端に雨のような銃弾が戸口に降り注ぐ。

 通路の奥まで後退してから、今度はキーヴァとマルカに防護壁をまとわせる。

「いいか、思いきり跳ぶんだぞ」

「何度も言わなくてもわかってる」

 マルカを抱いたキーヴァが、緊張した面持ちで戸口を睨む。

 先ほどと同じ要領で、ジインは戸口に飛び出すと頭上の闇にめがけて発砲した。

 合図とともにマルカを抱いて跳んだキーヴァが、向こう側に着地する。

 頬すれすれを銃弾がかすめ、ジインは背後へ転がるように身を隠した。

 暗闇の向こうに目を凝らす。キーヴァもマルカも無事なようだ。

 今度は自分に防護壁をまとわせる。頭の奥がちくりと痛んだ。

 ――もう痛み始めたのか。

 ふるりと頭を振る。不安を背後へ置き去りにするようにジインは通路を駆けた。

 戸口を思いきり蹴って、跳ぶ。

 途端に銃声が辺りを埋め尽くす。耳の近くを銃弾がかすめた。肩や足に強い衝撃を感じたけれど、銃弾は体を傷つけることなく防護壁の表面を滑るように谷底へと逸れていった。

 着地して通路を転がる。右肩の傷を庇いながらジインは素早く体を起こした。

「みんな、無事だな?」

 子どもたちの顔を見回す。暗がりの中で大きな瞳がきらりと瞬いた。

「よし、行……ッ」

 立ち上がろうとした次の瞬間、右胸で痛みがはじけた。

 身に覚えのあるその痛みに、全身が凍り付く。

 ――竜毒。

「ぐ、ぅう……ッ!」

 突然暴れだした激痛に膝をつき体を折る。

 食いしばる歯の奥からくぐもった呻きが漏れた。

 額に脂汗が滲む。

「おい、どうした!?」

 焼けた杭でえぐられるような痛みが、波のように押し寄せてくる。

 痛い。苦しい。息ができない。

 終わりなのか。

 こんな、ところで……!

「う、撃たれたのか!?」

「どうしよう、キーヴァ」

 体がばらばらに破裂しそうな痛み抱き込んで、ジインは床に額を押し付けた。

 このままめちゃくちゃに頭を打ちつけて、痛みから解放されたい衝動に駆られる。

 痛い。苦しい。もう、もう止めてくれ。

「ぐ、う、ウゥ……ッ!」

 腰に挟んだ銃に震える手を伸ばす。

 もう耐えられない。

 この痛みから逃れたい。解放されたい。

 楽になれるのなら、もう、なんだって――……。

 かちん、という金属音に、涙でかすむ目を開く。

 襟ぐりから滑り出た鍵が、鉄板の上で揺れていた。

 ――ソラ。

「く、そ……ッ!!」

 銃へと伸ばしていた手を強く握り込む。歯を食いしばり、肩に深く爪を立てた。

 どうすればいい。

 この痛みを止めるには、どうしたら。

 浸食箇所をえぐり出す? そんなことをすれば、血を流し過ぎて死んでしまう。

 竜毒が消えなくてもいい。とにかく、この激痛さえ――浸食さえ止まれば。

「ぐ、う、ぅ……っ!」

 痛みを感じる神経を、魔法で守る?
 守る――防ぐ――防護壁。
 細胞一つ一つを、防護壁で包む?
 そんなこと、不可能だ。
 では、その逆なら。
 竜毒を、防護壁で封じ込めるのは?

 いや、細胞レベルの魔法なんて、『ハコ』の研究でも成功例がない――。

「――ッ!!」

 ひときわ激しい痛みが弾け、びくりと体が跳ねる。

 右胸の奥で滞るどろりとした塊が、重みと熱を増した。

 裂ける。ちぎれる。からだ、が。

「――れ、」

 流れ出る黒い闇を、包むように押さえ込む様を強く思い描く。

 全意識、全神経を、右胸へと集中させた。

 あと一日。いや、数時間だけでもいいから。

 もう少しだけ、おれに時間を。

 頼むから、言うことを聞いてくれ。

 ――まだ、終わるわけにはいかないんだ。

「しず、まれ――!!」

 静まれ。鎮まれ。

 強く強く、全身全霊の力を込めて、強く念じる。

 周囲のピアナクロセイドが淡く発光するほどに、気術神経を震わせた。

 鎮まれ。鎮まれ。鎮まれ――……!!

「……――、」

 ふいに痛みが溶ける。突き刺さった杭が抜けて、肺が一気に解放された。

 こわばっていた体を床に投げ出して、全身で息をする。

 こめかみを涙が伝った。

 ――止まった。

 痛みの残滓が鼓動に合わせてじくじくと疼くが、先ほどの激痛に比べたら天国と地獄の差だ。

 荒い呼吸を整えながら、震える手の甲で口をぬぐい、涙を拭く。

 右胸が燃えるように熱い。行き場を失った黒い熱が、奥底で渦を巻いているのがわかる。

 そこから意識をそらさないよう気をつけながら、ジインは痛みでどろどろに疲労した体を無理矢理起こした。

「おい、大丈夫なのか?」

 心配そうに覗き込んでくる子どもたちに、汗を拭って小さく頷く。

「大丈夫だ」

 手錠がはまったままの左手で、ジインは右胸を強く押さえた。

 魔法を維持できなくなれば、竜毒は再び暴れだすだろう。

 気術神経の限界が、この命の限界。

 脳の深いところでは、気術神経がずきんずきんと鼓動に合わせて悲鳴を上げている。

 迫る終わりを知らせる警鐘は、すでに鳴り始めていた。

「さあ、行こう」

 震える足を叱咤して、立ち上がる。

 進むのだ。

 気術神経が焼き切れるまで。

 この体が耐えうるところまで。

 一歩でも近く、ソラのもとへ。

「待ってろよ、ソラ……」

 おれに黙って、勝手なことばかりしやがって。

 会った瞬間、げんこつを食らわせてやるから。

 その時まで、どうか、無事で。



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