本紀 6回
初夏の陽気で軽く汗ばむような日差しのある日、白涼の執務室を尋ねてきた人物がいた。それは、現皇帝陸寵の異母弟で、将軍位の中でも三大将軍のひとつ衛将軍に就いている陸剛であった。名前のとおり剛健を誇っており、皇族にありながら武官として働くことを選んだ変り種である。十年前に発生した大反乱、赤倫教徒の乱が発生した折には大将軍として討伐の総指揮を執った人物でもある。大将軍は臨時職であるため、現在は常設の将軍位である衛将軍として武官最高位に君臨していた。
皇族として郡のひとつを治所として与えられている。その郡―帖地という―の名前から帖地王という称号も持っているが、本人は王としての『帖地王殿下』ではなく、『衛将軍閣下』、または『帝弟殿下』と呼ばれることを好んでいた。
「邪魔するぞ、白将軍」
無遠慮にやってきた壮年の衛将軍は、どっかと椅子を引き寄せて腰掛けた。
「こ、これは帝弟殿下!」
さすがの白涼も驚きの声を上げて、一礼をする。本日は姫桃花は兵の訓練に出ていたため、他にこの部屋にいたのは慕容循のみであった。慕容循もいささか慌てた様子で立ち上がり、深々と頭を下げる。
「うむ、太尉殿に用事があったついでにな、寄らせてもらった。その方が太尉殿の末子、循か?」
「さようでございます。お初にお目にかかります」
「おう、よく白涼を支えてやってくれ」
頭を下げたままの慕容循に声をかける陸剛。もともと気さくな人物である。皇族が軍権を持つことは珍しくない国柄であるが、たいてい節度使として地方においての軍事力であった。都で一般の武官と同じように将軍職に就くとは、皇帝お膝元にもうひとつの政権を許してしまう危険性に繋がる。それでも、陸剛はその人柄と、母があまり身分が高くないため皇位継承権が低いという点で、ほとんど危険視されることなくこの地位まで上り詰めた。
「訓練、精が出ているそうだな」
「はい、精兵となって皇帝陛下のご期待に沿えるように、と」
この日はたまたま執務室で兵法について慕容循と語らっていた白涼だが、多くの時間を兵の訓練を監督し、また自らの武を鍛えるべく訓練教官の元に通っていた。
「その訓練の成果、試す機会をやろうと思ってな」
にやりと笑う陸剛。手に持っていた巻物を白涼に手渡す。
「本来は太尉を通す前に見せるものではないが、まあよかろう」
「は…」
几帳面な白涼は、その言葉に巻物を受け取ろうとした手を止めてしまう。が、このまま返すわけにもいかないと陸剛の手からその巻物を受け取り、開く。
「賊の、討伐ですか」
「由口郡の太守が、手に負えぬ賊といって泣きついてきてな。適当な中郎将でも送ろうかと思ったが、お主の軍を動かす機会になればと思いついたのだ」
「将軍、お受けするべきです。どれだけ訓練を重ねても、実戦を経験しなくてはいざというときに動けるようにならないでしょう」
白涼の横から慕容循が言う。白涼もそれをもっともだと言って、命令書である巻物を陸剛に返す。まだ太尉の印が押されていないので、このままでは正式な命令とならないからだ。こういった手続きは、煩雑ではあるが間違いが起こらないようにするための必要な措置なのである。
「直ぐに命が下るはずだ。準備を怠るなよ」
そう言って出て行く陸剛を、白涼と慕容循は一礼して見送るのだった。