本紀24回
紫天山地を臨む丘陵地に設置された白涼軍の陣中は浮き足立っていた。それもそのはず、皇帝が二人できるという異常事態に、自分たちの拠り所はどこになるのかと不安になっているのだ。
軍の主たる白涼は、皇帝陸寵の生存が分かってすぐに、新たに皇帝を名乗った皇太子陸項巴は偽帝であると断じ、陸寵への忠誠を明らかにした。それでも、帝都を手中にし、帝都を囲む四大関門も抑えた新帝の威は徐々に国中を席巻していくことだろう。
後々、人々の間では二人の皇帝のことは陸寵を先帝、陸項巴を新帝と呼ぶことで定着していくこととなるのだが、この時期はまだ混乱期にあって人によって呼び方は異なっていた。特に新帝側としては先帝のことを廃帝と呼び、先帝側としては新帝を偽帝と呼んでいる。正当性だけでいえば当然、先帝こそが正しい。しかし長年にわたる先帝の贅沢な暮らしぶりは庶民にも知れ渡っていた。十年前の宗教反乱も、その原動力は重税にあえぐ庶民の怒り。都を落ちて逃げ延びた先帝に、皇帝としての力は失われていた。そうなると貴族たち、官僚たちは力を持つものになびく。
先帝を殺し損ねたという失態はあるが、概ね都の支持を取り付けた新帝こそが今の皇帝であると認識するものは、多かった。
白涼はまず、紫州から借り受けた兵を自分の兵として取り込む方針を決めた。紫州知事に自分たちに協力するようにとの書簡は送ったが、知事の張謙はその態度をいまだはっきりと決めていない。それは、もちろん白涼達が先帝派の立場である以上、新帝につくと言えばすぐにでも攻められる危険性があること。しかし、目先はそうであっても、長く見れば中央の実権を握った新帝につくべきだと、損得勘定が言っているからであった。
なまずひげをぷるぷると震わせて考え込む紫州知事は、その優柔不断さからまだどちらにつくかを決めかねていた。そこで慕容循は、紫州を力を以って抑えるべきだと進言した。そして、そのための戦力として、借り受けていた紫州兵約2万を、白涼軍に取り込むことを考えたのだ。
新帝から見れば逆賊となる白涼。その白涼に付くかどうか、紫州兵達が考えたのは二人の皇帝の正統性ではなく、指揮官となる白涼が強いかどうか、であった。確かに紫天賊相手の攻略戦ではてこずっているが、随所でみられる的確な指示、槍を振るっては白銀の煌きで敵兵をなぎ倒す姿。兵には、十分に魅力的な将軍であることを示してきた。紫州兵は、もともと自分たちを統率していた州の軍事司令官、陳哲と白涼を比較した。陳哲は賄賂で出世した、あまり軍事にも明るくない男であった。賊との戦いでも後方でわめきちらすだけで、責任をまともにとろうともしない州軍馬か。前線で兵を鼓舞して槍を振るう前将軍か。
兵は、白涼を選んだ。
「紫州兵が配下に付いてくれたのは、僥倖でしたね」
幹部たちが集まる天幕で。慕容循が白涼に話しかける。白涼は、ああ、と憔悴がうかがえる声で応えた。
「分かった……」
白涼は、そして桃花も、一族の処刑という衝撃的な出来事からまだ立ち直りきれずにいた。その様子を見つめる慕容循も父慕容玄の安否が心配ではあったが、それより今いま、何をするべきかを冷静に考えている。自分は、ひょっとしたら情が薄いのかもしれないな、とも思いつつ。
「我々の兵力は、これで4万となりました。紫州の軍馬が統率する兵はあと3万ですから、こちらが優勢です。もし城攻めになれば多少苦しいでしょうが、兵の士気を考えれば攻略できるでしょう」
「……そうだな」
覇気の無い白涼の様子に、長孫覇は苛立ちを募らせていた。確かに一族を失ったことは衝撃だろう。だが、白涼には将軍として兵を統率する責任があるのだ。このような態度を兵の前で取られては困る。
「将軍、言いたかねえが、もう少ししゃきっとしてくれ。あんたについていくと決めた兵達の命を預かってるのは、あんたなんだ」
「長孫覇殿、そんな言いかたしなくたっていいじゃない……」
桃花が長孫覇に反駁する。だが、長孫覇は引かない。
「一族200人が処刑された、それは確かに悲しいだろうよ。でもな、今将軍が預かってる命は4万なんだ。数の問題じゃないだろうが、そのことがわからねえ将軍じゃねえだろう」
こう言われては桃花も押し黙るしかない。しかし白涼は顔を上げると、その通りだとつぶやいた。そして立ち上がると、皆を見渡す。
「すまない、みんな。少なくともみなに見せる態度ではなかったな」
「いつまでも落ち込んでるようなら、私が殴ってでも気合を入れさせたところですがね」
韓維がそう言って笑う。それに白涼は苦笑を見せる。
「韓維の力で殴られるのは勘弁願いたいな。よし、これから紫州の州都へ全軍で進撃する。陣は残し、背後からの追撃への備えとしておこう。もし追撃があったとしても多少の被害は目をつぶる。偽帝につけば攻め落とすと、圧力をかけるのだ!」
応、と皆が立ち上がる。そして出陣の準備に取り掛かろうとした、そのとき。衛兵が天幕に飛び込んできた。
「申し上げます! 紫天賊より、使者が参りました!」




