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叡帝興国紀  作者: badman
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本紀11回

「おじうえー。おーじーうーえー」

 夏の終わり。空気に秋の気配が濃くなってきた頃のこと。小雨が降る音を聞きながら、姫桃花は執務室の机に上半身をべたッと倒して白涼を呼んでいた。白涼は手にしていた装備の出納帳から顔を上げて、眉をしかめる。

「どうしたんだ桃花、そんな行儀の悪い。義兄上に見られたら大目玉だぞ」

「そうですよ姫校尉。暇なら兵の訓練でも監督にいかれたらどうですか。最近韓維殿に任せきりではないですか……ごほ、ごほっ」

「慕容循どのこそ、風邪ひいてるんだったら家でやすみなよ……。叔父上にうつっちゃうよ」

「ごほ、すみません、将軍」

「私はそんなに風邪を引く性質じゃないよ、大丈夫。しかし意外と出費になったな、胡騎部隊の装備」

 胡騎(こき)部隊。異民族で構成された、白涼軍の強さの一端を担う精強な部隊である。これを率いるのは胡騎校尉、長孫覇(ちょうそんは)。この日も雨の中行軍訓練を行っているところである。

 この部隊の装備を、統一した色で染め上げたいと言い出したのは慕容循である。その色を舞台の強さの代名詞として、そして対峙した敵へ圧力をかけることができるようにと、進言したのだ。これを取り入れた白涼が決めた色は、赤。戦場でよく目立ち、炎を連想させるようにと考えたのだ。

「そこは将軍が溜め込んだ財貨でどうにかして頂いたじゃないですか」

 白涼はその将軍と言う位に与えられる俸給と、皇帝のお気に入りということからしばしば宝物を下賜されていることから考えると、ずいぶん質素な生活をしていた。これは吝嗇(けち)であるわけではなく、ただ身を慎みたいと考えているからなのだ。戦の後は兵によく報酬として配ることがある。それでも、十分に財貨は蓄えられていたため、この赤備えの装備一式をそろえるために使っていた。

 剣、槍、鎧兜、弓といった装備を上質なもので揃え真っ赤に染め上げた胡騎部隊は、さぞ戦場で活躍してくれるだろう。

「こういう時に使わなければ、他に使う機会もないからね」

「叔父上はもうちょっと贅沢な暮らしをしても、文句言われないと思うけどなあ」

 このように言う桃花は自分の屋敷というものはまだ持たず、祖父であり、臣下として最高の位にある丞相(じょうしょう)の姫淵遺(きえんい)の館に住んでいた。その屋敷は広さはもちろん、端々に高級な美術品が置かれていたり、よく手入れをされて四季を愉しむことができる庭があったりと、まさに権勢を誇る姫一族当主の住むにふさわしい豪華なものである。父であり皇帝秘書官尚書令(しょうしょれい)姫班も、同じ敷地内に別宅を持ち、そこで暮らしている。

「性分だからなあ」

「まあ、そこが将軍の良いところですよ、ごほっごほっ」

「……繰り返すけど慕容循殿はいいかげん帰ったほうがいいと思うよ」

「そうだな、今日無理をする必要はない」

「はあ、では、すみませんがお言葉に甘えて…」

 と、慕容循が帰らせていただきます、と言おうとしたところである。

 焦った様子で一人の将校が執務室に入ってきた。戦場に於いて白涼軍の偵察兵を束ねている校尉、曹弁(そうべん)が、急ぎ足でやってきたのだ。

「将軍、報告がございます」

「何か」

「はっ、紫州(ししゅう)の紫天賊(してんぞく)を討伐に出ておられた、左将軍の金明(きんめい)様が、敗退したとのことであります!」

 この曹弁の言葉に、一同声を失った。左将軍の金明といえば、将軍の中でも堅実な用兵で知られている経験豊富な老将軍である。それが、一介の賊にやられたというのか。

「慕容循、紫天賊とは?」

 白涼も名前くらいは聞いたことがあったが、慕容循ならさらなる情報を持っていると思い尋ねた。

「はい、紫州にあります紫天(してん)山地を根城にしている賊です。ごほっ、民衆の味方を標榜していまして、主に襲うのは官軍の兵糧庫ということで、民衆を味方につけているとか……」

「紫天山地といえばかなり広いな、確か耕作のできる盆地もあったはずだ。地に足をつけた賊、ということか。何か他の情報はあるか、曹弁」

「はっ、紫天賊は勢いを増し、紫天山地のある房陽(ぼうよう)郡の城をほぼ制圧したとのことであります!」

「それは…大事ではないか」

「ごほっ、紫天賊の勢いが増していることは聞いていましたが…まさかそこまで」

「それと、もう一つ」

「ええっ、まだ何かあるの!?」

「こちらの方がおおごとでありますよ、姫校尉。帝国南西部の風綾平原にある遊牧民国家『渡瑠地(ドルチ)国』が、国境を越えてわが国に侵攻を始めたとのことであります」

 さきほどの、左将軍敗退の報以上の衝撃か襲った。渡瑠地国の騎馬は大きく速く、その機動力と扱いやすい短弓を組み合わせた一撃離脱戦法を得意とする。昌国200年の歴史の中では何度も風綾平原を巡って争っていたが、この二十年は大人しくしていた国である。

「何故今になって…!」

 ギリ、と歯を食いしばり怒りと焦りを押し殺そうとする白涼。

「急に方針が変わったのか、時期をずっと見計らっていたのか…ともかく情報を集めます、将軍」

 慕容循もやや青い顔をして、しかし自らの役割を確認する。

「あ、ああ、そうだな。よろしく頼む」

「うー、ちょっとお祖父様にどうなるのか聞いてこようかな」

 丞相の元ならば、さらに詳しい情報があるとの予測である。孫煩悩の姫淵遺であればなにかを教えてくれるかもしれない。

「桃花、行ってくれるか?」

「うん、それじゃあまた後で!」

 部屋を飛び出していく桃花と慕容循。するとそこへ、太尉府の役人がやってきた。

「白涼将軍、慕容玄太尉がお呼びです。至急太尉の執務室へお越し下さい」

「太尉が? 分かった、直ぐに行こう。曹弁も着いてきてくれ、何か指示を出すことがあるかもしれない」

「はっ、了解であります!」


「来たな、白涼」

 太尉の執務室には太尉慕容玄の他に、皇帝の異母弟で衛将軍の陸剛もいた。軍事の文武両首脳がそろっていることになる。

「帝弟殿下もおいででしたか」

「ああ、たまたまこっちに来ていてな」

「白涼、その顔は、少しは聞いているみたいじゃな」

「はっ、太尉。左将軍の敗戦と、渡国の侵攻についてでしたら」

 それだ、と慕容玄。

「渡国の兵力が分からんが、今のところ10万は下らないであろうと報告が上がっている。突然の侵攻にしては大掛かりじゃな」

「10万…!」

 息を呑む白涼。その肩に陸剛が手を置いて話しかける。

「安心しろ、お前に行けってわけじゃない。皇軍20万を率いて、俺が出る」

「帝弟殿下が直々にですか」

 そうだ、と慕容玄。

「俺がいるところに攻めてきた愚行、後悔させてやるわ」

 自信満々に、陸剛が胸を叩く。

「その代わり白涼、お前に紫州のことを頼みたい。こちらは左将軍からの情報で、約五万の兵力があるとのことだ」

「五万…! それほど多くの賊兵がいるとは」

「俺も聞いたときは驚いたがな、こういう賊は増えるときは雪だるま式に増えることがあるもんだ」

「では、今はさらに増えている可能性があるのですね」

「そうじゃな。しかし悪いが、そっちには三万しか用意出来ん。せめて呉才に渡した一万が帰ってきていれば良かったのじゃが」

 白涼の同期で中郎将の呉才も、1万の兵を率いて賊軍討伐に出ているのだった。それの帰還を待つ余裕は、ない。

「その代わり紫州軍馬から兵を借りろ。軍馬への命令書はこちらで用意しておく」

 軍馬(ぐんば)とは、州の軍事部門の長である。本来賊の類はこの軍馬の責任で討伐されるものだ。

「かしこまりました」

「よし、戻っていいぞ。正式な命令はじきに下されるじゃろう」

「はっ! 失礼します!」

 敬礼して退出する白涼を見送った慕容玄は、陸剛に問いかける。

「あれは、勝てますかのう」

「そうでなくては困る。上位の将軍の多くは実戦から遠ざかっているか、金で地位だけ買った役立たず共がほとんどだからな」

 ふむう、と否定も肯定もせずに慕容玄がつぶやく。

「実戦経験のある金明が負けたのが痛いですなあ」

「ふん、あれは相手を甘く見るところがあった。白涼ならその心配はあるまい」

「そうですのう」

 そう言い合って二人は白涼が退室した扉に目を向けるのであった。

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