見習い少女と感謝の気持ち。
リクが伯爵より厳しくも温かな言葉を貰って数日が経った。
毎日の伯爵婦人の世話だけでなく、リクは他の救護院にいる患者の朝、夕の挨拶回りや部屋の掃除も欠かすことはなかった。
しかし、一人では出来ることには限界がある事も確かでシーツ交換や熱が出て入浴などを出来ない患者の身体を拭くなど手が届かないことが多々あり、それに気が付こうともしない先輩達に苛立ちを募らせると同時に考え方の違いに思い悩んでいた。
そんなリクの苦悩を患者達は理解していた。そして、彼等はみんなそれぞれに病に倒れた自分たちを"人"として扱い、看護してくれたリクに何か力を貸すことは出来ないかと思っていたのだった。
「あなたが、リク・アズノルクさんですか?」
「はい?確かに私は、リク・アズノルクですが……。
その、失礼ですが、どちら様でしょうか……?」
冬晴れの澄み渡った青空が広がるその日、平民にしては上等な生地で出来た服を着た彼等はこの救護院を訪れたのである。
「ほっほっほ、すまんのう。驚かせてしまったわい。」
「おほほほ、本当にごめんなさいね。」
「確かに、知らない方に呼び止められたことは驚きましたけど、お二人のご家族だったのですね。」
リクを呼び止めた彼等は救護院に入っている二人の人物、"サイラス・アンダーソン"と"アンナ・ローリング"の家族達だったのである。そんな二人は、リクに向けて茶目っ気を含んだ笑顔を向けている。
「まったく、父さんは少し悪戯が過ぎますよ。」
「お母様もです。
急に大勢の人に囲まれて名前を呼ばれればびっくりしますわ。」
二人の家族達は、口では二人を諫めながらも再び笑顔を取り戻し、以前よりも元気な姿を見せている二人を嬉しそうに見ていた。
「ごめんなさいね。えっと、リクちゃんと呼んでも良いかしら。」
「はい、皆様お好きにお呼び下さい。」
礼儀正しいリクの言動に家族達は意外そうな顔をする。
「……彼女たちと同じ看護師とは思えませんね。
確かに、父達の話しは真実だったのだと感じずにはいられません。」
「そうですわね。
医者の噂を聞いて救護院に入ったは良いけれど、あまりの待遇に後悔していましたもの。」
「……申し訳ありません。」
『貴女を(責めていませんわ!)(責めてなどいない!)』
家族の感想を受けて、申し訳なさそうにするリクに対しすぐに否定の言葉を家族達は返す。
「父からの手紙で話は聞きました。
身体が弱り果て、手が震えて手紙など二度と書けないと思っていた父から手紙が届いた時、どんなに嬉しかったことか!
だから、元気な姿をどうしても見たくて急いで会いに来たんです。」
「私もですわ。
病に倒れどんどん元気をなくしていった母からの手紙を見て、嬉しくて涙が溢れましたわ。」
二人の家族は、本当に嬉しそうな雰囲気を纏いリクの側に近づき、その手を握り締め言葉を続ける。
「貴女の"看護"のおかげです。本当に感謝しています。」
「貴女のおかげで、再び元気な母の姿を見ることが出来ましたわ。
本当にありがとう、心から感謝していますわ。」
二人の言葉を受けて、リクの心は歓喜に打ち震える。
「……いいえ、私には勿体ないお言葉とお気持ちです。
本当にありがとうございます。」
家族の喜びに溢れた表情と言葉にしてくれた感謝の気持ちにリクの心は一杯になり、溢れそうになる涙を堪えきることは出来なかったのだった。
「すみません、恥ずかしい所をお見せしました。」
「そんなことないわ、リクちゃん。」
「そうじゃぞ、まだ確か10歳じゃろう?恥ずかしがる事は無いのじゃぞ。」
人前で泣き出してしまった事が恥ずかしく、頬を微かに赤く染めるリクを微笑ましいものをみたと笑顔を浮かべるアンダーソンとローリング。そんな二人に、ますます恥ずかしそうにリクは俯いてしまう。
「お父さん、ローリング婦人。
彼女が可愛いのも分かるけれど、そろそろ本題に入ってはどうかな?」
「おお、そうじゃったのう!」
「まあまあ、忘れる所だったわ!」
サイラス・アンダーソンの息子であるマルク・アンダーソンの言葉に二人は思い出したとばかりに手を叩く。
「お母様ったら、もう。」
呆れたような言葉を苦笑と共に口にするのは、アンナ・ローリングの娘であるイリス・ローリングだった。
「あの、本題とは一体何のお話しですか?」
彼等の話が見当も付かないリクは素直に疑問の言葉を投げかける。
「あのね、リクちゃん。
私達だけでなく、この救護院に入っていて貴女に感謝しているみんなで話し合ったことなのだけどね。
貴女の力になりたいとみんな思っているのよ。」
「そうじゃ、今回はみんなの中で一番元気になっておる儂らが代表してリクにその事を説明したくての。
家族へも手紙を出して、リクの事を伝えた上で協力を頼んだのじゃよ。」
「えっ!
そんなことさせられません!
私は、看護師として当たり前の事をしただけです!」
サイラスとアンナの言葉にリクは驚き、慌てて辞退の声を上げる。そのリクの様子を予想していたとばかりに、暖かな眼差しを向け彼等の考えを話し始めた。
「リクちゃん、貴女が本当に私達のために頑張ってくれていることは知っているの。
そして、こんなにも頑張ってくれているのに貴女は未だに十分に手が行き届いていないと歯痒い思いをしている事も知っているわ。」
「……ローリングさん。」
「儂も知っておるぞ。
伯爵婦人の世話をしながら、儂らの事もしなければいけないと頑張りすぎておることを。
先輩とは名ばかりのあやつらの事や、十分な看護を提供できない現実に悔しい思いをしている事も知っておる。」
「……アンダーソンさん。」
二人の言葉にリクは、驚きと困惑の入り交じった様子で二人の言葉に耳を傾ける。そんなリク達を、二人の家族も静かに見守っている。
「儂らは、嬉しかったのじゃ。
儂らを"人"として扱ってくれぬ者達ばかりの中で、リクだけが儂らを"人"として扱ってくれた。
朝と晩に部屋を回って、笑顔で挨拶をしてくれて、元気を出してと声を掛け励ましてくれたじゃろう。
食事をうまく食べれぬ儂を嘲笑うこと無く、食べる介助もしてくれたのう。」
「どんなに身体を拭きたくても、シーツを変えたくても、自分では動けないのにあの人達は何もしてくれなかったわ。
その中で、貴女だけが気が付いてあの人達に仕事を押しつけられて余裕なんて無いでしょうに、それでも笑顔で対応してくれたでしょう。
どんなに怒鳴られて、馬鹿にされても、貴女は私達の前で決して笑顔を崩すことはなかったわ。」
二人は感謝の気持ちを眼差しに込めて、リクを真っ直ぐに見つめる。
「だから、今度は私達がが少しでもリクちゃんの力になりたいの。」
「儂らは、確信しておるのじゃよ。
リクの"看護"はこれから先の未来で、多くの人を助ける力になると。
その手助けを少しでもさせて欲しいのじゃよ。」
リクは二人の言葉を聴いて、再び瞳に涙を浮かべてしまう。己が信じて行った"看護"が、巡り、巡って自身の道を助けてれる、信頼を寄せてくれる人達と巡り合わせてくれたことに深く、深く心より感謝したのだった。
「アンダーソンさん、ローリングさん、ありがとうございます。
どうか、お二人の力を私に貸して下さい。
よろしくお願いします。」
リクは二人とその家族へ向かって、感謝の気持ちを込めて深く頭をさげる。彼等に向けて泣くことを堪え、震えてしまったリクの紡いだ声は確かに彼等の心に届いたのだった。




