見習い少女と伯爵様のお願い。
「…流石に、寒くなりましたね。」
救護院の裏にある井戸の側で、リクはいつものように指示された山のような洗濯をしていた。秋から冬へ季節は移り変わり冷たい風が吹くだけでなく、凍り付くように冷たい井戸の水がリクの体温を奪っていく。
冷たくなったリクの手は、指先だけでなく、手のひらまで真っ赤に染まり、あかぎれが痛々しかった。
そんな洗濯を少しでも早く終わらせようと作業に没頭する彼女を呼ぶ声があった。
「ちょっとっ!
あんた、夫人が呼んでるわよっ!」
「え、すみません。すぐに行きますっ!」
「ふんっ!さっさとしなさいよっ!!」
「そうよっ、夫人は急いでお前を呼んでくるように言ってたのだからっ!!」
「はい、ありがとうございます。」
リクを呼んだのは、いつもの三人組の少女達であった。夫人が自分を呼んでいると言うことを訝しげに思いながらも、素直にお礼を言ってリクは急いで走り出した。そんな彼女の後ろ姿を、三人組は意地の悪い顔でクスクスと笑いながら見送るのだった。
昼間の夫人は、クラピウス先生の仕事部屋に一緒にいることが多くリクはその部屋を目指して向かっていった。しかし、部屋に近づく内に口論をしているような声が聞こえ始めてきた。
口論している声が聞こえてくる場所は、リクの目的地であるクラピウス先生の仕事部屋からだった。
「ですから、あの娘はまだ見習いなんです。
それを貴族の担当として付けることなど出来ないのです。」
「巫山戯たことをっ!
お前達が選んだ者達は、貴族への礼儀も弁えぬ愚か者ばかりであったではないかっっ!!」
「・・・その事は申し訳なく思っております。」
部屋の中からは、クラピウス夫妻ともう一人の知らない男の声が響いていた。リクは、部屋の外にまで聞こえてくる中の様子に、このまま部屋に入っても良い物かどうか迷ってしまう。しかし、夫人に呼ばれている以上は安易に仕事に戻ることも出来ずに、部屋の前でしばらく待ってみることとした。
いくら待っても口論は続き、洗濯物だけでなく他の仕事もあるリクは今すぐに夫人と会うことを諦め、時間をおいて再び来ることに決めて夫人のいる部屋へ背中を向けて歩き出した。
「もう良いっっ!私自身があの少女と話しを付けるっ!!」
「お待ち下さいっっ、伯爵様っ!」
リクが背中を向けて歩き出すと同時に、部屋の扉が開き中から知らない男が鼻息も荒く飛び出してきた。扉が勢いよく開く音に驚き、思わず足を止め振り返ってしまったリクを見た知らない男も動きを止めた。
「君は・・・。」
「リクっっ!!このような場所で何をしているのですか?!」
驚いていたリクの姿を見た夫人が声を荒げ、リクに詰め寄ってくる。
「え・・・?
私は急ぎで夫人に呼ばれていると聞いたのですが・・・。」
「何を言っているのですっ!貴女を呼んだ覚えはありませんっっ!!」
「・・・申し訳ありません。すぐに仕事に戻ります。」
謝りながらリクはあの三人組に、リクの仕事を妨害するために騙されたことを悟った。しょんぼりとしながら、急いで仕事に戻ろうとしたリクの背中を呼び止める者がいた。
「待って欲しいっ!
・・・君はリクと言う名で間違いは無いね。」
「・・・はい、確かに私はリクと申します。」
知らない貴族の男に話しかけられて、戸惑いながらも質問に答えるリクへ畳み掛けるように男は話し始めた。
「私は、デイビット・カロナーク。
偉大なる陛下より伯爵位を賜っている者だ。」
自己紹介をしてくる貴族の男、カロナーク伯爵へどうのように対応して良いか分からずに視線をクラピウス夫妻へちらちらと向けるリク。クラピウス先生は、片手で頭をガシガシと掻き回しため息を付いている。そんな夫の横でクラピウス夫人は、苛立っているのか微笑みは浮かべているものの眼差しに剣呑な光りが宿っている。
「リク、是非とも君に頼みたいことがある!
私の母の看病を任されては貰えないだろうかっっ!!」
「え?」
伯爵の言葉にリクはさらに混乱してしまう。今まで、この救護院において誰一人としてそんな言葉を掛けてくる者などいなかったからだ。例え、伯爵がどのようなつもりでその言葉を言ったにしても、リクにとって自分の事を認めて貰えたような気持ちになり、連日の嫌がらせにより冷え始めていた心に少しだけ暖かさを取り戻すことが出来た。
「伯爵様!
リクっ、さっさと仕事に戻りなさいっっ!!
お前の仕事はこんな所で出来ることでは無いでしょう!!」
「・・・あっ。申し訳ありません。」
しかし、続く夫人の言葉に温かさを取り戻したはずの心はすぐに冷えてしまう。力なく返事をして、せめて伯爵に感謝の言葉を伝えてから立ち去ろうとしたリクを、伯爵の言葉が再び動きを止めさせる。
「夫人っ!貴女は黙っているが良いっっ!!
貴女のような人を見る目のない人間には分からないようだが、この救護院において彼女以外の者が感謝さえている姿など見たこともないっ!!
私が話したご老人はみんな感謝しているのだと、この子の、リクのおかげで元気になれたのだと笑っていたのだ!!」
「伯爵様・・・。」
伯爵の言葉は、リクにとって何よりも嬉しい言葉だった。自分が関わった救護院に入っている方達が認めてくれていたのだと、感謝の心を伝えていたのだと、自分の"看護"を認めてくれたのだと!
あまりの数々の嫌がらせや、認められることのない冷たい言葉の数々、この世界の看護の酷すぎる現状によって少しずつ勢いをなくし始めていた胸の中の炎が燃え上がり、輝きを取り戻す。
「私は、母に元気になって貰いたい!
少しでも可能性があるならば、私はそれに縋りたいのだ・・・。」
言葉尻が小さくなっていき、意気消沈してしまう伯爵の姿を見て、リクも覚悟を決める。
「・・・夫人、見習いの分際で言う言葉でないことは分かっています。
どうか、・・・どうか、私に伯爵様のお母様の看護をさせて下さい。」
リクの言葉を聞いた伯爵が、微かな希望に顔を上げる。
「・・・何を言うかと思えば、貴女は己が何を言っているのか分かっているのですか!」
「はい、分かっています。
もしも、私が関わったことで伯爵様のお母様に何かあった時は私が全ての責を背負います。」
「・・・お前如きが背負える物じゃねえ事もわかんねえのか!」
リクの言葉も覚悟も、全てを否定するようにクラピウス先生が声を荒げる。恐ろしいまでの迫力に、負ける訳にはいかないのだという気持ちを込めて、リクは真っ直ぐに見返す。
「分かっています!
背負うには私などでは足りないこともっっ!
だから、私も覚悟を掛けます。その証として、万が一のことがあった時この首で贖います!!」
『!!!』
リクの言葉にその場の空気が凍り付く。
「ダメに決まっているでしょう!!」
夫人が悲鳴のような声を上げ、リクに言葉を撤回するように求める。しかし、リクは決して言葉を曲げることを受け入れなかった。
「夫人、私は例え見習いであったとしても"看護師"なんです。
そんな"看護師"としての私を、認めてくれた方達を裏切る訳にはいかないのです。
皆さんは、馬鹿な小娘だと笑うかもしれません。
でも、"看護"を必要とする方に"看護師"として働くことに私は矜恃と信念を持っています。」
リクの想いに気圧されるかのように、彼女の言葉を静かに聴く事しかできない彼らに向かって、"看護師"としての覚悟を誇るかのように満面の笑みを浮かべる。
「だって、私は"看護師"として心に覚悟を決めたその時から、命を背負い、命をかける覚悟など決めていますから。」
まるで大輪の花が咲き誇るかのように、覚悟を宿した紫水晶の瞳は輝きを増す。己の信念を決して曲げはしないのだという彼女の姿は思わず跪きたくなるような雰囲気を宿していたのだった。




