狼さんと倒れた彼女 その3。
《???》
彼女が高熱を出して倒れて1日が過ぎ去った。熱に魘されていた彼女も、熱が徐々に下がりはじめ安らかな寝息をたてている。
そんな彼女を側で見つめながら、僕は心の底から思い知らされていた。
彼女が当たり前のように怪我と高熱に意識を失った僕にしてくれていた数多くの行為。それが、僕のためにどれだけ彼女が心を砕き、気にかけてくれていたのかを感じずにはいられなかった。
彼女は、冷静に僕の身体の状況を観察して、その時々に何を求めているのかをいつだって察してくれていた。
常に側に寄り添い、高熱でぬるくなった布や溶け始めた氷りを何度も交換していた。
熱が出るということは汗をかくということだ。だが、目覚めた時の僕の身体は汗をかいた後の不快感などほとんど感じていなかった。それは、彼女が意識のない汗に濡れた僕の重たい身体を何度も拭いて、清潔に保ってくれていたということだ。それだけではなく、汗で湿ったシーツだって何度も交換してくれていたのではないだろうか・・・?
僕に彼女が与えていた食事や水に関しても心配りがあった。彼女が目覚めてすぐの僕に与えたのは、野菜がくたくたになるまで煮込まれた薄味のスープだった。それを見た時は、あまり裕福ではない家なのかと一人納得していたが、日を重ねて行くにつれて徐々にスープの具は増えて、パンやサラダが付くようになり、味も薄味から調度良いと感じる程度まで濃くなっていった。それは、高熱に意識を失い、弱っていた身体に負担をかけないための食事だったのだと今ならば分かる。
水に関してもそうだった。彼女はいつも井戸の水を一度砂利や砂の入った樽をくぐらせて、樽から出てきた水だけをさらに沸騰させ、そして冷ましたものを僕や家族に渡していた。特に僕やあの赤子に対しては決して、井戸から汲んだばかりの何もしていない水は飲ませなかった。その意味は、僕には理解できないが何か理由があると言うことだけは分かった。そして、こんなにも手間暇かけて作った水を彼女は普通の顔をして僕たちに渡していたんだ。
僕よりも幼い彼女は、家族のためだけでなく他人である僕のためにも自分自身の負担を悟らせることなく行動していた。その姿は、他者を信じることが出来なかった僕から見ればあまりにも愚かで、滑稽で、そして愛しさを感じずにはいられない物だった。
僕はすぐにでもこの家を去り、旅に出る方が良いのだろう。
幸いなことに彼女の体調は快方へと向かっている。このまま、静かに身体を休めていればすぐに治るだろう。だからこそ、僕はいない方が良い。僕がいれば彼女は再び無理をしてしまう可能性がある。だからいない方が彼女のためだ。
・・・・・違うな、それは詭弁だ。
側にいることが許されない彼女をもうこれ以上見たくないんだ。彼女を知れば、知るほどに側にいたくてたまらなくなる。彼女の側は、春の日溜まりのように温かく、心地が良い。手に入らないと分かっているからこそ、余計に欲しくなってしまう。
僕は、離れられなくなる前にここを去るべきだ。心を押さえ込むことが出来る今のうちに・・・。
「・・・・・狼さん?」
彼女の僕を呼ぶ声にハッと顔を上げ、彼女の顔を確かめる。彼女は、熱があったためかぼうっとした表情で僕を見つめている。おそらくまだ意識ははっきりとしていないのだろう。
「・・・狼さん?大丈夫ですか?」
自分が体調を崩しているというのに、こんな時まで人の心配をするのか彼女は・・・。
「問題ない。大丈夫ではないのは貴女の方だ。・・・何か欲しい物はないか?」
「・・・でも、狼さん悲しそうな顔をしています。痛いところがあるんじゃないですか・・・?」
ぼうっとした表情で言葉を重ねる彼女に、僕を心配する彼女のその心に僕は泣き出してしまいそうになる。
「・・・大丈夫ですよ。悲しいのも、痛いのも絶対に治ります。」
「・・・・・・・・・・。」
言葉を続ける彼女の手を俯きながら、握りしめる。
「・・・だか・ら、・・だい・・・じょぶ・・です・・・よ・・・。」
彼女は再び眠り始める。
僕は、彼女に出来ることならば"狼さん"ではない僕の"名前"を呼んで欲しかった。・・・同時に呼んで欲しく無かった。名前を呼ばれれば、僕はもう彼女の側を離れることは出来なくなってしまう。
己でも気づかぬうちに両目から流れ出していた、水滴を腕でぬぐい、彼女の握っていた手を寒くないように布団へ戻し、立ち上がる。旅立つ準備など、とうの昔に出来ていた。僕の持ち物は多くはなかったのだから当たり前だ。
もうすぐ朝日が登り始める早朝、外はいまだに闇に包まれている。僕は、闇に紛れるようにこの家を出る。一度だけ振り返り、思いを断ち切るように深く、暗い、森の中へ足を踏み入れた。
そんな獣人の若者の姿を見つめる二人の人影があった。彼らは、若者が背を向け歩き出した事を確認すると、興味を失ったように窓の奥へと消えていった。




