第9話 遺伝的宿命に抗えない私に権謀術数などわかるはずがありません
ダリル殿下とケネス殿下は子どもの頃の思い出話なども交えながら、決闘したら誰が強いかという話をしています。
でも私の頭の中は第四皇子を害そうとしたのはどっちだってことでいっぱいで、サンドイッチの味もちょっとわからなくなりましたね。あ、これ人参ジャム! 美味しい!
普通に考えれば、このお二人の仲がいいように下のお二人も仲良しなんじゃないかと思います。なんと言ってもお母様が一緒ですから。だとするとケネス殿下が火を放ったということになるのですが……そう考えるとこの怜悧な眼差しも少し冷徹なものに見えてくるような気が。
でもでも、ダリル殿下は以前「平気でこういうことをする奴は見当がつく」とおっしゃってました。あの言葉や表情から現在のお二人の様子はちょっと結びつかないんですよね。
なんて首を傾げていると、ふいにケネス殿下がこちらに向き直りました。
「うさぎちゃんは次女だと聞いたけど、婚約者はいるのかい?」
「は、兄上いきなり何言って――」
「さっきも言った通りラバッハ家は大貴族だ。王族とだって結婚の可能性があるのだよ。彼女の身に何かあった場合、影響がどこまで波及するのか……どうせ考えていないのだろうな」
ケネス殿下はこめかみを揉みながら溜め息。困ったお顔も素敵です。
「我が国においては長男と長女の婚姻だけが重要視されます。子だくさんの種族ですから」
「つまり将来を定められているわけではないと?」
「はい。私は教育に携わりたいと思ってて……たとえば民間の子どもたちのために学校を増やしたりとか。だから結婚は難しいでしょうね。ご縁があればいいんですけど」
そのために今も孤児院の運営を手伝わせてもらったりしてるのですが……適齢期と言われるような年齢での結婚は厳しそう。だって貧困層の子どもたちにまで教育の機会を広げたいと思ってるんですから、やることは山のようにありますもの!
ケネス殿下は柔らかく微笑んで頷きました。
「学校か、それは素晴らしいですね。我が帝国も保護国民と帝国民との間の教育格差は今後の課題になると考えていて、教育機関の――」
「兄上、いまその話はいいだろ」
「ああ、そうだね。すまない」
それからケネス殿下はダリル殿下に書類くらいの大きさの封筒を手渡し、用事は済んだとばかりに立ち上がりました。
「おっと、忘れるところだった。少々急だが、十日後にラガリア共和国から視察が来ることになった。それに伴って夜会が開催されるわけだが」
「それまでにメダル取り返しとけってことね」
「そうだ。しっかり保持していることをアピールするのは派閥争いに大きく影響するからね」
「……わかった」
「ではミミル嬢、すべて落ち着いたらいずれ教育談義でも」
「はい、ぜひ!」
ケネス殿下の乗る馬車を見送ると、私はダリル殿下に促されるまま彼の部屋へ向かいました。
先ほどの話の要約と、明日の私の仕事についての細かな説明をしてくれるそうです。
「私、お二人の話のほとんどが理解できませんでした」
「食ってばっかだったもんな」
「リンゴジャムの前には敗北しかありません」
彼の部屋は必要最低限の家具しかなくて少し寂しい印象。窓際のテーブル席へ座ると、従者がお茶を淹れてくれました。
「難しい話はしてないさ。ネイトと窃盗団の関係を明らかにしたところで、貴族たちを混乱させるだけでメリットがない」
「あー。すぐに罪に問えるわけじゃないですからね」
「そ。下手につつくと保身のために俺たちの敵にまわる貴族も出るかもしれないし、今やるのは藪蛇ってやつだ」
それで決闘のあとって言ってたんですね。王太子が決定してからじっくり調査していくと。確かにそのほうが隅々まで調べられそう。
「夜会までにメダルを取り返せというのは?」
「うーん。詳しいことはそのうち説明するけど、メダルがあれば『俺は皇子間の争いに後れをとってないぞ』っていう証明になるわけだ」
「あー、派閥争いがどうのとケネス殿下もおっしゃってましたね」
「そゆこと。誰だってメダル取られるような皇子を応援したくはないっしょ」
説明してもらえば理解できますけど、あんなに少ない言葉数でこんな会話が成り立つなんて……。さすが兄弟と言うべきか、それともさすが未来の皇帝たちと言うべきでしょうか?
少々はしたないですが、椅子の背に身体を預けて大きく息を吐きました。
「はー、けんぼーじゅっしゅーわかりません」
「俺も。ま、そんだけわかってれば十分っしょ」
「三年分くらい頭使いました」
ダリル殿下は苦笑を浮かべて、先ほどケネス殿下から預かった封筒を開きました。取り出したのは一枚の紙で、そこには何か建物の間取り図らしきものが描かれています。
「明日、ネイトが密談する予定の場所……の間取り」
「なんですか、これ。大きさのわりに部屋数が少ないですね」
「倉庫だよ、貿易商の。今回あらためて調べてみたけどラガリア共和国を中心に商売してる会社らしい。どーも怪しいんだよな」
そんなことを言いながら、間取り図を指でさして密談が行われるであろう部屋や侵入できそうな場所について説明してくれました。すでに仲間を潜入させているそうで、私が入りこむための経路はいくつか作っておいてもらえるみたいです。
入る場所はここかここ、会場は恐らくここ、ってひとつひとつ指し示すダリル殿下の手はまるで、庭をひらひら飛んでる蝶みたい。気になるものがあるとつい突っついてしまうのってバニール族の宿命だと思うんですけど、私ももちろん歴史と遺伝に裏打ちされた宿命から逃れることはできないわけで。
目の前を舞う大きな蝶々に指を伸ばしたら逃げられました。ていうか、何してるの私っ! 空をきった指先は冷たいのに、私の頬ばっかりぽぽぽぽって熱を持ちます。
「なに」
「わかんない!」
「自分の行動くらい把握しとけ」
そう言って間取り図をしまい始めました。ぜんぜん蝶じゃない、大きな、武器を握るためのごつごつした手でした。
ネイト殿下も強いのかしら? 私はちゃんとメダルを奪えるのかな……っていうか。
「そう言えば、ケネス殿下からはメダル奪ったりしないんですね」
「え? ああ、そりゃね。俺たちのどっちかが皇帝になればいいんだ。それが母上と俺たちが交わした約束だからな」
「それは頑張らないと……」
責任重大だなーって一層緊張を感じて視線が間取り図に落ちたときでした。
「ミミル」
「ん?」
低い声とともにごつごつした大きな手が伸びてきて私の手を握りました。