第10話 強がるだけじゃなくて信じることも大事なんですね
月みたいに静かなのに力強い金の瞳が私を見つめています。手を握る彼の手も力強くて、私は息をするのも忘れて彼の言葉を待ちました。でも殿下は何も言わなくて。
「……ななななな何か?」
「アンタさ」
せっかく落ち着いたのにまた頬っぺたが熱っぽくなってきました。風邪をひいたかもしれない、これは風邪です!
じっとこっちを見るダリル殿下の目はどことなく肉食獣のそれを彷彿とさせて、草原で最弱代表と言って差し支えない草食獣の私といたしましては――っ!
「や、なんでもない。明日は忙しくなるし朝も早いからよく休めよ」
「は?」
殿下は掴んでいた手はそのまま、引きずるようにして私を部屋の外へ放り出しました。私の鼻先でパタンと閉まる扉。
「……はぁぁああ?」
よく休めって、まだ昼ですけどっ?
タシンタシンと足で床を踏み鳴らしますが、それで相手を動かせるわけでもなく。部屋の前に控えていた警備の兵士の目が生暖かくて居たたまれず、ひとまず自分の部屋に戻ります。ていうか殿下と私の部屋って一室挟むだけだったんですね! 腹が立つほど近い! んもう!
部屋に戻ってお水を飲んで深呼吸。
「なんなのよーもー」
私の手には彼の体温がまだ残ってて、まぶたを閉じれば怖くないのに怖い目がじっとこっち見てるのが浮かんできて。
「なん……っなのよもー」
どうしてだかわからないけど、人生でいちばん恥ずかしいような気持ちになってしまってダメです。いけません。心がざわざわして落ち着かなくて、足はさっきからずっと床を叩いてて。
両手でべしんと頬を挟むように叩きました。しっかりしなさいミミル、殿下の言う通り、明日は大事な日で失敗は許されないんだから!
メダルを手に入れられさえすれば、私の足なら逃げ切れるはずです。たとえ猫科の獣人が相手だったとしても、彼らはトップスピードこそ脅威ですが持久力がありませんから。
でも、絶対じゃないんですよね。狭い屋内ではお互いに本領発揮とはいかないでしょうし、であれば数で勝負できる相手のほうが有利……。
「遺書がいるかしら」
そうです、遺書を書いておきましょう。第一皇子のケネス殿下も懸念していらっしゃいましたが、私に何かあったら国際問題になりかねません。ていうか、誘拐されてる時点でもう国際問題なんですから、死んだら戦争ですよ!
だからちゃんと伝えなくちゃ。私が選んだことなのよって。私が私の意志でダリル殿下のお力になることにしたのって。
メイドから道具を借りて机に向かったのはいいのですが、最期の言葉だと思うとなかなかまとまりません。二十年にも満たない短い人生なのに、伝えたいことは湧き水みたいにどんどん溢れるんだもの。
何度かの休憩を挟みつつやっと書き終えた頃には夕方で。ダリル殿下は外出中とのことで夕食もひとりぼっちでした。最期の夕食になるかもしれないのに……まぁ寂しいけど仕方ありませんね。
少し早いけれど寝支度を整えて、バルコニーに出ます。最期かもしれない夜空を眺めたかったんです。そしたら、一部屋分あけて左手側にダリル殿下がいました。彼の手には琥珀色の液体が入ったグラスが。
「あ……こんばんは」
「うん」
なんて言っていいかわからないまま、私たちは無言で空を眺めてました。
その空を星がきらっと流れて行った気がして。
「わっわっ、いま見ました? ね、流れ星でしたよね? ね?」
「見てない」
「えーっ? 流れ星って願い事を叶えてくれるそうですよ。そうでなくても綺麗なのに、残念でしたね」
「ミミルはどんな願いを?」
静かな彼の声に空から視線を移すと、ダリル殿下はじっとこっちを見ていました。それは昼間に手を握られたときと同じ、心をざわざわさせる表情です。
「えっ? いえ、一瞬だったから……」
グラスを口に運んだ殿下はそれ以上何も言いませんでした。またしばらく空を眺めていると、殿下が私の名を呼びます。
「婚約してないって言ってたけど、好きなやつとかは?」
「いません。異性なんて家族や従者の他には孤児院の子どもたちくらいしか周りにいなかったし」
姉の身に何かあったときのため、貴族令嬢としての教育はしっかり受けています。社交界へのデビューも済ませてあるし何度かパーティーにも出ました。けれど私はあくまでスペアですから、姉の結婚が決まってからはそういった環境から離れていました。社交と言えば情報交換を兼ねた同性同士のお茶会ばかりで、異性と話す機会もないのです。
それが何か、と聞いたら「念のため」ですって。もしかして私が死んだら相手に気持ちを伝えてくれるつもりだったでしょうか?
「さっき、父に宛てて遺書を書きました。もし私の身に何かあったらそれを渡してもらえればと思います。殿下に悪いようにはしてな――えっ、ちょ、なにを」
でででで殿下が、殿下がぐっと飲み干したグラスをそのへんに置いたかと思ったらバルコニーの端っこへと歩いていきました。こっちを鋭く見据える表情がなんだか嫌な予感……わわっ走り出した!
「待って、待っ……きゃあああああ!」
片手だけでひらりと手すりに上り、勢いを殺さないままこっちのバルコニーに向かって大きくジャンプ。ここ、間に一部屋挟まってるんですけどっ?
思わず両手で目を覆ってしまった私の肩を、力強い手が掴みました。
「アンタ……ミミルのことは絶対守るから。俺を信じてくれ」
金の瞳はただただ真剣な眼差しで。でも噓偽りのないその声音と真っ直ぐな瞳がどれだけ嬉しかったか。
きっとダリル殿下は気付いてたんだと思います。私の強がりに。私が本当はすごく不安なのに平気な振りをしてるって、自分でさえ気付いてなかったのに。
たとえその言葉が嘘になってもいい。私は彼を信じるし、信じる者は救われるのです。
「うう……。あい、信じましゅ」
「泣きすぎ」
ふっと笑った殿下は私の背に腕を回し、泣き止むまで撫でてくれました。




