第20話 逃げられたら追いかけたくなるのは全生物の特性ですか?
私が一目見て目の前の男性を皇帝陛下であると認めたのは、豪奢な衣装であることや姿絵を見たことがあるから……だけではありません。過去にお会いしたことがあるからです。
ご挨拶もそこそこに、陛下は「久しいな」とおっしゃって私たちを対面に座るよう指示しました。私と陛下が初対面ではなかったことにケネス殿下は少なからず驚いたようでしたが、予想の範囲内であったのか動揺するようなことはありませんでした。
「ご存じであったのなら話が早い」
「ラバッハ伯爵家の次女だろう、覚えている」
記憶よりも広くなったおでこを撫でながら、陛下が深い溜め息をつきます。
そういえば、禿頭というのは帝国の人間族にのみ見られる現象と言えましょうか。獣人の禿頭は病気など特別な理由がない限りは発生しません。つまり皇帝陛下は人間族の血のほうが濃いのでしょうね。
帝国は元来、獣の血を持たない純なる人間の国でした。神話上では劣等種と言われる人間族ですが、身体的優位性がないからこそ道具と知恵で繁栄したのだと聞いています。
そして人間族は領土を広げるにあたって数多の獣人を自国へと取り込み、今の帝国ができたのです。
「彼女がここにいることこそ誘拐組織が存在する証拠であり――」
「人身売買については彼女が証言する、と言うのだろう。ラバッハ伯爵にはイスター王国を訪問した際に世話になった。……ミミル嬢よ、怪我などはないか」
ほぼ人間である皇帝陛下は沈痛な面持ちでこちらに視線を投げました。怪我の確認は恐らく私をイスター王国へ帰す際の補償に関わると考えているのでしょう。
機会こそ少ないですが、お父さまのお仕事ぶりをこの目で見ていたこともあります。お父さまならここでなんとおっしゃるかしら。
「何度か殴打されていくつか痣ができましたが今は完治していますし、骨折などの大きな怪我はありません。ですが……強制的に転身させられることの屈辱と、複数人の前で転身を解除させられた恥辱は生涯忘れることはないでしょう」
別に大げさに言ってるわけでじゃありません。私、もうお嫁にいけなくなりましたからね!
元々お嫁に行けると思っていなかったのもあって表面上は平気そうな顔をしていられますが、あの日のことを思い出したくないくらいにはショックを受けています。だって他人に裸体を晒したんですから。この身が汚れてしまったような気がして。だから先ほどももしネイト殿下に触れられていたら吐いてしまったかもって……。
「重く受け止めよう。だが生きて逃げて来てくれて本当によかった。当然のことながら、そなたのことは帝国がすべて責任をもって対応する」
陛下は頷いてケネス殿下へ向き直りました。
「こちらでも入念に調べさせたが、概ねお前とダリルの報告にあった通りであった。ラガリアが全て裏で糸を引いておる。それから……ああ、ミミル嬢。少しケネスと話をさせてほしい」
「すぐに追いかけるから、リズと一緒にいてくれるかな」
リズはもちろんエリザベスさまのこと。
お二人は大切なお話をするみたいですね。証人としての役割は終わったようですし、言われたとおり私は一礼して部屋を出ました。
確かエリザベスさまは隣の部屋にいらっしゃるとか。一室が大きいので隣と言われても扉が遠い……!
左右を確認して、エリザベスさまが指していたほうの扉に向かいます。来た道を戻ればいいはず。
と、進行方向の角に何かが見えた気がしました。気を付けて目を凝らしていると、ぴょこんとウサギの耳が飛び出しました。次いで小さな男の子が顔を出し、小さな声で「助けて」と一言。怯えきった悲しそうな瞳が印象的でした。
「どうしたの?」
私が声を掛けると、男の子はパッと姿を隠してしまいました。慌てて彼の姿を追います。
パーティー会場にバニール族はいませんでしたし、バニール族の子どもがこんなところにいるはずがないのですが……。って、もしかして誘拐の被害者では?
誰かに買われたか、それとも窃盗集団の一員として働かされているか。どちらにせよ助けを求めているのは確かです。
角を曲がると男の子はウサギの姿でこちらをちらちら確認しながら廊下を駆けていきました。どこかに案内したいような、そんな雰囲気で。
「待って!」
ここにドレスを脱ぎ捨てて行くわけにはいきませんし、少年は私がついて来るのを待って移動している様子ですから転身まではしなくてよさそう。ヒトの姿のまま彼の後を追います。
きっと、他にも助けてほしいバニール族がいるのね。私が同族だから助けを求めたんだわ。
十歳にも届かないくらい小さな男の子です。だけどとても痩せていて、十分に食事が摂れているとは思えない。あんな小さな子にあんな悲しい目をさせるなんて、本当に許せない。
孤児院へ慰問に行くたびに思い知らされるんです。木の上で家族の誰も私を探しに来ないことに拗ねていた自分がいかに幸せ者だったかと。大人が孤児院の門をくぐるたびに、今度こそ自分の親が迎えに来てくれたに違いないと窓に張り付く子どもたち。私はそんな彼らへかける言葉をいつも見つけられなくて。
私が教育者になりたいと思ったのは、学校を増やしたいと考えたのは、悲しい顔の子どもを減らすためです。貴族といえどしがない次女である私に、政治を変えることはできませんから。せめて彼らに生きるための武器を与えたかった。
あんな顔、してほしくないのに!
「ね、君、待って……!」
どこをどう走ったのか、気が付けば庭に出ていました。庭と言っても来客のために華やかに飾られたものではなくて、明かりの少ない静かな庭です。もしかしたら皇族のプライベートな空間かもしれな――。
待って?
こんなに走り回ったのに、警備兵に一度たりとも出くわさなかったのはどうして?
ハッとして立ち止まり周囲を見回したのですが、先ほどまで私の姿を確認しながら前方を走っていたはずのウサギがいなくなっていました。




