第19話 またしても何も知らない私をどこへ連れて行くんですか
一瞬の躊躇のあとでダリル殿下は諦めたように小さく息を吐きました。
「ミミル・ラ・ラバッハ伯爵令嬢だ」
「こんにちは、ラバッハ嬢。はじめましてと言うべきかな?」
ネイト殿下は意味ありげに微笑んで私の方へと手を伸ばしました。彼の手が触れそうになって思わず後じさってしまったのですが、しまったと思うより先にダリル殿下がその手を掴んで捻り上げました。
「許可なく触れるな」
「いやだな、ご挨拶をしようとしただけじゃないですか。で、許可は誰からもらえばいいんです? 彼女? それとも、兄さまかな?」
嘲るような笑み。これは暗に私とダリル殿下の間にはなんの関係もないだろうと指摘しているのです。だってネイト殿下は私がこの国に滞在することとなった過程をご存じですもの。たまたま誘拐されて逃げ出して、たまたま出会っただけの私とダリル殿下が、友人より深い関係にあるわけがないと理解していらっしゃる。少なくとも、人々が噂するような……恋人ないし婚約者候補といった関係ではないのだと。
わかりやすい挑発だと思います。ネイト殿下がダリル殿下をどう思っているのかよくわかるというか。
そしてここはネイト殿下の勝ち、でしょうか。私とダリル殿下が特別な関係ではない以上、ここで彼の許可が必要だとは言えません。一方私はネイト殿下に挨拶を求められればこの手を差し出さざるを得ない。
けれどダリル殿下の形のいい唇は弧を描き、強気な笑みを浮かべたのです。
「両方だ。で、俺は許可しない」
「驚いたな。兄さまが大事にしてるものを見せびらかすなんて初めてじゃないですか?」
私も驚きました。まさかの方向に突進していきましたよね、この狼。
ダリル殿下はその言葉と態度が周囲にどんな誤解を与えるか、ちゃんと理解してるんでしょうか? ……ほらご令嬢たちの視線がめちゃくちゃ冷たくなった! じゃなくて! 皇子である自覚がないんだから!
「そうしたほうが泥棒の手から守れると思えばそうするさ」
一触即発ってこういうのを言うのでしょうか? おふたりともぱっと見は和やかな雰囲気を保っていますが、目が笑っていないのです。
しかし。
「泥棒と言えば――」
ネイト殿下が何かを言いかけたところでダリル殿下が片手をあげてそれを制止しました。再び私の腰を取って引き寄せ、これ見よがしに私の頭に頬を擦りつけます。何をなさっておいででしょうか、この狼殿下。草食獣である私は肉食獣の狼藉に身を小さくしているしかありません。フンス。
「話は終わりだよ、ネイト。俺たちはこう見えて多忙なんだ」
私の腰を抱いたまま、ダリル殿下はくるっとネイト殿下へ背を向けてしまいました。私はネイト殿下へちゃんとご挨拶をしていませんが、いいのかしら。もちろんしたいとは微塵も思っていないのですが、皇族を相手にそんな失礼が許されるのかと……ダリル殿下がいいならいいか。
その後ダリル殿下は主賓であるラガリア共和国からの客人を除き、びっくりするほどたくさんの方にご挨拶をしていました。メダルを持っていないことを知られたくないはずで、だとしたらできるだけ隅っこにいたほうがいいんじゃないかしらって思うのですけど。
不思議に思いながらダリル殿下について回っているうち、ケネス殿下と合流する運びとなりました。
侯爵令嬢だというケネス殿下の婚約者エリザベスさまとご挨拶をして、四人でしばし歓談です。エリザベスさまは純粋な人間族だそうなのですが、私の耳をいたくお気に召したようですっごく見つめられました。
触っていいですよって言ったらお顔を真っ赤にしながら指の先でつんつんされたんですけど、うん、可愛い。腹黒い人選手権をしたらぶっちぎりで一位をとりそうなケネス殿下も、その様子をニコニコ眺めています。可愛い。
「兄上、そろそろ」
「ああ、そうだね。そろそろ向かうとしようか」
ふたりが頷き合って、私たちは会場を出ました。と言っても私だけ事情がわかっていないので、手を引かれるまま三人にくっついて歩いただけですけど。
会場を出て城の奥へと歩いていきます。二度ほど角を曲がりながら、外国人の私が入っていいのか悩むほど奥まで来たところで示し合わせたように全員が立ち止まります。
「じゃあ、俺はここで。ミミルのこと頼むね」
「うん。問題ないよ」
「ダリル様、ご武運を」
「え? え?」
また私だけ何も知らない! そりゃあ私は国外の人間だし細かい事情とか何も知らないですけど。部外者であることをまざまざと実感させられて言い知れぬ孤独や不安が頭をもたげるのですが、部外者であるが故にそれを口にすることはできません。
思わず視線を落とした私の髪をダリル殿下が控えめに撫でました。見上げた彼はまるで心配いらないとでも言うように穏やかに微笑んでいて。
「言ったろ、ちょっと出るって。すぐ戻るから兄上と一緒にいい子にしててくれ」
それだけ言うとダリル殿下はぱっと背を向けて、小走りでさらに城の奥へと行ってしまいました。メダルを探しに行ったのだと思いますが、彼がいなくなった途端に心細くなって……。
「大丈夫ですよ。わたくしもケネス殿下もおそばにいますからね」
柔らかく微笑んでくれたエリザベスさまがやっぱり耳を見つめてたので、差し出しました。さわさわと耳を撫でるエリザベスさまを横目に、ケネス殿下がすぐ近くの扉を指し示します。
「わたしとミミル嬢はこっちだ。ダリルが働いている間に、わたしたちもやるべきことをやろう」
「やるべきこと……?」
エリザベスさまは隣の部屋で待っていると言って私たちを見送り、私とケネス殿下はノックの返事を待って部屋へと入りました。
そこにいたのは、皇帝陛下でした。




