第17話 失敗したーと思っても後悔は先に立たずと申しまして
ダリル殿下の手で屋敷へと運ばれ、あらためてドレスを着付けてもらってから応接室へ向かいました。そこにはダリル殿下とケネス殿下がいらっしゃいます。
ダリル殿下はお城で催される今夜のパーティーのことで、ケネス殿下のところへ相談に行っていたそうです。そこへ私がいなくなったと報告が入って、お二人でこちらへ戻って来たのだとか。
お二人に謝罪をしたところで、ケネス殿下は手にしていた紅茶のカップとソーサーをテーブルへ置きました。
「ダリル、各種調整は自分でできるね?」
「いつまでも子ども扱いすんなよな」
席を立とうとしたダリル殿下がこちらを向いて、うっすらと眉根を寄せます。大丈夫、もう逃げ出しませんという意思を込めて頷くと、彼は心底嫌そうに息を吐いて部屋を出て行きました。
「今夜の作戦に必要な連絡をしに行っただけだから、すぐに戻るよ」
「あ……はい。ありがとうございます」
ダリル殿下の出て行った扉を見つめていたケネス殿下でしたが、不意にその青い瞳が私へと向けられます。
「貴女がいなくなったと聞いたときのダリルといったらなかったね。貴女にも見せてあげたいくらいだ」
怒ってたのかしらと思ったものの、でも先ほどのダリル殿下の様子は怒っているという感じではなかったのでよくわかりません。首を傾げてもケネス殿下は「ふふ」と笑うばかり。なんですかその意味深な表情は。
「わたしはダリルより三つ年長なものだから母と過ごした時間も長い。一方ダリルは病に臥せった母の姿しか知らなくてね」
「はい、ダリル殿下もそうおっしゃってました。一度だけ時計台に出掛けたんでしたっけ」
「ああ、それを知っているんだね。うん。母が足を止めたのは、つまり病に倒れたのは父と猫のせいだと考えてるんだ。ダリルも、わたしもね」
「猫って皇妃様、ですか」
現皇妃様は元々、皇帝陛下の寵愛を一身に受けた愛人であったと聞いたことがあります。噂ですけどね。
ケネス殿下は笑みを浮かべるだけでそれには答えず話を続けました。まぁ、さすがに皇妃様のことを悪くは言えませんものね。
「オオカミは生涯でたったひとりを愛し続けるだろう? 母には愛人を持つ意味が理解できなかったのだろうね。その点についてはわたしも忌避感があるからオオカミの子なのだなと自覚するよ」
「高貴な人間にとって愛人を持つのはある種のステータスだそうですから、オオカミ獣人には生きづらいかもしれないですね。私には理解できない文化ですけど」
イスター王国でも貴族が愛人を持つことは当たり前という向きがあります。お父様にはいないみたいなのでそれはいいのですけど、教師を目指す者としては子どもたちにどう伝えるべきか悩ましいところ。
室内に響いたノックの音に返事をするとメイドがお菓子を持って来てくれました。今の今まで甘味がなかったということは、たぶん私のためですね……!
お皿の上に並んでいるのはマリーゴールドの砂糖漬けです。見た目にも可愛いし、美味しいし最高のお菓子!
「だからダリルはウルフィー、ええとオオカミ獣人であるわたしたちが帝位につくべきだと言い出してね。母のような悲劇は繰り返さないし、そんな文化はぶった切ってやるんだって」
「ふふ。なんだか想像がつきますね」
「だろう? 政略的な婚姻を方々から勧められたのだけど、ダリルは自分で決めると言ってすべて断ってるんだ。貴女は夫が愛人を持つのは許せない?」
「淑女はそんな些事を気にしたりしないそうですけど、私は淑女ではないので」
「確かに淑女は泥棒なんてしないね」
返す言葉もないのでとりあえずマリーゴールドを口に放り込んでおきました。物を食べてるときはお返事しなくていいから便利です。
ケネス殿下は夏の朝の空気みたいに澄んだ瞳を柔らかく細めました。
「淑女ではない貴女も安心していい。ダリルは愛人なんて作らないからね」
「……はいっ?」
どっ、どどどっどどういう意味でしょうか?
私が彼を好きなことバレてますか? 私バレるようなこと言いましたっけ? どんな表情をしたらいいのかわからないまま、仄かに頬が熱を持ちました。
やだもうこの人怖い!
ノックもなしにダリル殿下が入って来て、あははははと笑い続けるケネス殿下を睨みつけます。
「なんか俺の話してたでしょ」
「それはそうさ」
そういいながら真面目なお顔に戻ったケネス殿下が居ずまいを正しました。ダリル殿下も私の隣にお座りになります。
「で、今夜だけど。ミミルの護衛増やしたいから兄上のほうから何人か貸してく――」
「ミミル嬢はダリルがパートナーとして連れて行くといい」
「は? いやちょっと待ってよ」
急に険悪な雰囲気。私がいるせいで喧嘩になるのはちょっと困ります!
「あの、一体どういう状況でしょうか……?」
「恐らくネイトは今夜、三枚持つメダルのうち二枚を夜会へ持ってくる。一枚は屋敷に保管してリスクを分散するんだ」
そう言えばネイト殿下は元から持っているご自身のメダルのほか、ダリル殿下および第四皇子のロビン殿下から奪ったものが一枚ずつで計三枚をお持ちなんですよね。
リスク分散……ってことは先日の倉庫にも複数のメダルを持って来てたかも? よく観察したら別の場所に隠したメダルを見つけられたかもしれません。あーん、失敗したー。
「それで奴は、俺がメダルを取り返しにアイツの屋敷を急襲すると考えてるはず。まぁするんだけど」
「だからわたしのメダルをダリルに貸してあげようかと話していたんだよ。ダリルがメダルを持って夜会に現れたら、少なからずネイトは動揺するだろう。その隙をついてこちらから仕掛けようかと」
「なるほど。決闘までもう何日もないですものね」
私の記憶が確かなら、皇太子を決めるための決闘まであと五日。それまでにダリル殿下はメダルを取り返さないといけません。
ケネス殿下は僅かに首肯して続けます。
「でも、ダリルがメダルを持って現れるよりミミル嬢を連れて現れるほうが余程ネイトの不意を打てるだろう?」
「絶対ダメだろそんなの!」
囮……ということでしょうか。ケネス殿下のおっしゃる通り私のほうがネイト殿下を欺けるというか、隙を誘うことができるかもしれません。
「私、行きます」
「おいミミル……」
ダリル殿下は頭を抱えて「あーもー!」と叫びました。私の意志を尊重すると言った少し前の自分をブン殴ってやりたいそうです。