パムルの事情
しかし。
「いや、多分街からは出られないだろうね」
セインが遠く、街を囲む壁を睨んだ。
「この街を取り囲む壁が厄介だ。きっと、今頃既に、出入り口は封鎖されているだろうね」
「むう。じゃあ、どうしろって言うのよ!」
ぷくりと頬を膨らませ、キャルが歩みを止めずにセインを見上げた。
そのキャルを、器用にひょいと持ち上げて、自分の前に座らせながら、セインが思考を巡らせていると、道案内のために先頭を歩いていたパムルが振り返った。
「あの。もしよろしければなんですが」
彼女特有の、どこかオドオドとした遠慮がちな声音に、大人全員が苦笑する。
「何だい?良いから、言ってみなよ」
ジャムリムが先を促すと、パムルが森の一角を指差した。
「この森の奥に、私の自宅を兼ねた小さな家があります。そこにしばらく隠れていただこうと思っていたのですけれども」
そう言えば、この領主の娘は、何度か家庭教師候補を逃がしているのだ。それなりの準備はしてあったのだろう。
「それは助かる!って、え?」
パムルのありがたい申し出に、一瞬喜んだものの、何か引っかかって、セインは眉をひそめた。
自宅を兼ねた家。それはまた、何というか。
「えーっとぉ?その、自宅?」
「あの、はい。その、私、あまり城で落ち着けないものですから、家族に内緒で、こっそり建ててもらったんです。息抜きの場所といいますか、もう自宅ですね」
顔を真っ赤にして、また先頭を歩き出す彼女の、ほっそりとして小さな背中が、妙に哀れに見えた。
「家族の誰も知らないの?」
「はい。城の外のごく親しい友人にしか、場所を明かしていませんので、隠れ家には持って来いだと思います。というか、普段から私の隠れ家なのですけれど」
と、いうことは、彼女は父親であるクロムにさえ、その場所を明かしてはいないのだ。
「…じゃあ、ちょっとお願いしようかな」
「分かりました。では、こちらです」
にっこりと微笑むパムルとは対照に、全員の笑みが引きつっていた。
パムルの隠れ家は、なるほど森の奥で、あまり手入れもされていないような場所にぽつんとあった。
城は木々に隠れて見えず、辿り着くまでの道も、ほぼ無い。
それでも鬱蒼とした草きれの中にあるわけではなく、女性が行き来するにはさほど問題はないようだった。
「へえ」
呟いたのはギャンガルドで、着くなりぐるぐると家の周りを点検し始める。
「珍しいの?」
「まあな。海の上にばっかりいるからな。船の点検同様、隠れ家にするってんなら点検しちまわねえと気がすまねぇ。それに、小さいなんて言いつつ、たいした造りだぜ。この家」
確かに小さな家ではあったが、しっかりと二階建てでテラスまであり、細部の作りも凝っていた。
「あれ?どっかで見たような?」
セインが首をかしげていると、先に中へ案内されていた女性陣から歓声が上がった。
「可愛いじゃないか」
「こんな家に住みたいわ!」
それで、セインも思い出す。
「あ。ホテルに似ているのか」
木組みのタイル、華美ではなく上品にしつらえられた手すりや柱。
「なるほどね」
この街を訪れた際、宿泊先にと求めた、パムルの経営するホテルに雰囲気が似ているのだ。もちろん、この家はあのホテルとは違い、古い館を改築したものではなく、新しく建てたものではあったけれど。
パムルの好みなのだろう。華美な城の中とは大違いで、彼女の内面を思わせる。
案内された小さな馬小屋にクレイを繋ぎ、家の中に入れば、アンティークのように丸みを帯びた調度品が、控え目に並んでいた。
「中の物はご自由にお使い下さい」
「良いの?」
「はい。お夕食は皆さま済まされてはいると思いますが、足りなければキッチンの横が食糧庫になっていますので。食器も、片付けて下さればご自由に」
ホテルの支配人であるパムルらしい心遣いだった。
「ほんと、領主の娘なんかにしとくの、勿体無いわ」
キャルがしみじみと呟いた。
「それは、褒めていただいているのでしょうか?」
「だって、貴族の娘らしくないもの。すっごく好感が持てるわ!」
「そ、それは、その、ありがとうございます?」
キャルの大絶賛に、疑問符の付いた礼を述べる。
「あはは。それじゃ誤解を招いちまうよキャルちゃん。貴族の娘ってのは、豪華なドレス着て、スプーンより重いものなんか持った事なくて、着飾るだけ着飾って、社交辞令が得意なだけで、何にも出来ないもんだ。世間ずれもしているしね。それに引き換え、あんたはホテルの経営もしているし、この街を何とかしようとしている。立派なもんだよ」
「あ、ありがとうございます」
ジャムリムが褒めた途端に、パムルがワッと泣きだした。
「え?ちょ、あたし気に触るような事言ったかい?」
慌てたジャムリムに、パムルが頭を振る。
「ち、違うんです。私、わたしっ、今まで誰かに褒められた事も、認めてもらった事もなくて!すみませっ…、う、嬉しくてっ」
「パムル…」
よしよし、と、ジャムリムもキャルも、彼女の頭や背中を撫でた。
さすがに小さなキャルにまで慰められて恥ずかしくなったのか、ぐすぐすと、鼻をぐずらせながら、パムルが顔を上げた。
「みっともないところ、お見せしました」
ハンカチで涙を抑えながら頭を下げる。
「みっともなくなんてないよ。あんたが褒められた事がないなんて、そっちの方が信じられないよ。もっと自信を持ちな!」
ジャムリムの笑顔につられて、パムルもはにかんで見せた。
「私、これから父の元へ行って、状況を説明して来ます。皆さんを、必ず脱出させてみせます」
泣き笑いの顔は歪んで、決して綺麗ではなかったけれど、とても魅力的だった。
「ありがとう。僕らも、色々考えてみるよ」
「はい。では、私はこれで。この場所が見つかる事はないと思いますけれど、皆さま、どうかお気をつけて」
ぺこりと頭を下げて、彼女は城へと戻って行った。
外は真っ暗で、それでもランタンも持たずに、月明かりだけでしっかりと歩いて行く彼女の足取りに、本当にこの家で生活しているのだろう事が窺えて、見送りに出たセインは、しみじみと溜め息を零した。
「あの子があんなにしっかりしているようでどこかビクビクしているのって、自分に自信がないからだったんだね」
「良い娘だよなあ。切ねえなあ」
「どこかに良い嫁入り先は無いのかね?」
「うちの船員の誰かとかどうっすか?」
「駄目よ。嫁は港に置き去りでしょうが」
それぞれがそれぞれに、思いっきり溜め息を吐き出して、小さくなって行くパムルの背中を見送ったのだった。
「僕も結構苦労性だと思っていたけれど、上には上がいるもんだねぇ」
「アレは、苦労性ってレベルじゃないでしょ」
パムルの為にも、この街の現状を何とかしてやりたいところだが、あの領主とその息子の顔を思い浮かべれば、二度と会いたくないのも実情で。
「王様に言って、何とかしてもらえないかしら」
「そうだね、考えておこうよ」
という結論に落ち着いた。
「今日は疲れたなあ」
ひとまず落ち着こうということで、セインがキッチンを拝借して、タカの手を借りながら紅茶を淹れる。
「攫われたりするからよ」
「キャルだって誘拐されたじゃない」
唇を尖らせるキャルに、セインはギャンガルドを指差した。
「いつの話だよ」
「この間でしょ。そんなに間は開いていないわよ」
「あー、あんときは楽しかったっすねえ」
「なに?あんた、キャルちゃんを誘拐したりしたのかい?!」
「そーなのよ!出会いそのものが最悪なのよ聞いて!」
全員が、ようやくいつもの調子を取り戻し、一人住まいらしい小さなリビングは、賑やかな声で一杯になった。
「あー、ところで、明日なんだけど」
「なによう、せっかくギャンギャンいじめに盛り上がって来たのに」
「えー、俺いじめられてんの?」
紅茶の香りも相まって、セインと合流できたことで、全員に安心感が生まれていた。キャルがいつになくギャンガルドに絡む。
「お嬢、あんまりうちの船長いじめないでやって下さいよ」
タカがセインの代わりにカップを配る。
「へえ、美味しいねえ」
ジャムリムが驚きながら紅茶を口に含む。
「まあ、夜も更けて来たし、多分今夜はあまり眠れないだろうから、とりあえず体力の温存はしといた方が良いと思うのだけどさ」
「そうだな。まあ、今日着いたばかりで色々と謎だから、偵察には行きてぇんだろ?」
ギャンガルドがキャルの攻撃をかわしつつ、セインに応えた。
「大体の街の造りは分かっているのだけど、人の動きまでは把握していないからね」
「つっても、いいのか?」
「何が?」
「明日、あの姉ちゃん来るんだろ?」
確かに、パムルがそんなことを口にしていた。
「うん。今まで何人か逃がしているらしいし、今回も同様に逃がしてくれるつもりなのだろうけれどね」
このまま、パムルとクロムに任せておいても構わないのかもしれないが、どうにも気になることがある。
「ちょっと、ね。あの執事、多分何か、他に裏がありそうな気がしてね」
カントといったか。あの男の、紳士然とした態度が、含んだ笑みが、どうしてもセインの頭から離れないでいる。
「もしかしたら…」
「ジャムリムの町の連中か?」
流石、勘が鋭いというか、鼻が利くというか。
セインは小さく笑って、頷いた。
「結局、あの時は連中の雇い主はどっかの馬鹿な貴族だろうってことでカタが付いたけど、家庭教師に剣術の使い手を探していたっていうあの執事の言い分と、重なると思ってね」
「出来れば連れて来い、ってか?」
「そ。言ってる事、一緒でしょ?」
「ふむ」
ジャムリムが住んでいた町で、一行は盗賊団と刺客に襲われている。
結局のところ、勝手に自滅してくれたのだが、間抜けなことに雇い主の信書を持っていた。その内容が、王都で近衛兵の訓練をするために国王から召喚された剣術の使い手を、出来れば生かして連れて来い、それが出来なければ殺せ、というものだったのを、ギャンガルドは思い出す。
「確かに、一致するわね」
急に、二人の会話に、キャルが割って入った。