雨に打たれて……
澪は唖然と、ただ茫然と時間の流れに身を任せていた。
掛かってきた電話を受け取ると会社で――体調が悪いからしばらく休むと伝え、歩美の事故から幾日が経過しただろうか。
「そういえば、俺……歩美の実家がどこかも知らないや」
大雑把にしかわからないのだ。
八王子、というようには澪も聞いていた。
しかし、八王子って言っても広い。
頭の中はからっぽのままだ。
しかし、体は自然と動いていた。
自然と、駅方面へと歩き出していた。
どこだよ。
もう、どうすればいいのかわかんねーよ
どうすりゃいいんだよ
虚ろなまま、澪は歩く。
空からは、小さくか細い雨が降り始めていた。
* * *
八王子の駅から出て、行くあても分からず呆然と雨に打たれながら、澪はただ、壁に背を預けて座っていた。
どこに行けばいいのかも分からない。
分からないのだ。
周囲の人間は、そんな澪を遠いところから見ているだけだった。
障らぬ神に祟りなし――関わることなど面倒だと、そう行動が示していた。
「お兄さん、このようなところで雨に打たれては、風邪をひかれますよ?」
唐突に、雨の槍が遮られた。
澪の目前に立っていたのは、初老の老婆だ。
腰を曲げて立つ、一人の老婆。
「あぁ、はい」
辛うじて返事をするものの、澪はまるで、死んだ人間のようだ。
目は虚ろで、何もない。
「あら、貴方、どこかで見たことが……電車、そう電車ね」
老婆は語る。
微笑ましく、優しく語りかける。
童話を語り継ぐかのように。
「いつぞやは、ありがとうございました」
返事をしない澪に、老婆は更に告げる。
「ひどい顔をされているわ。どうか、なされたの?」
澪は静かに唇を噛みしめる。
忘れなければならないのだ。
受け止めなければならないのだ。
でも、まだ生きているかもしれないと信じたいのだ。
「大切にしたいと思っていた子が、事故で死んじゃったかもしれなくて」
「……事故? それは、お辛いわね。私の孫も、事故で亡くなってね」
澪は――拳を握りしめた。
痛みを感じるほどに、爪が食い込んでしまうほどに強く――強く。
「俺が、俺が引き止めていれば、こうならなかったかもしれないのに」
澪の体がわずかに震えていた。
そう、悪いのは自分だったかもしれないのだ。
引き留めておけば、こんなことになることはなかったかもしれないのだ。
だから、そう。
「俺が、俺がアイツを――歩美を、見殺しにしたも同然だ」
澪は、どうしようもない無念に浸り、頭を抱える。
数秒後、雨を遮っていたはずの傘が、地面に転がった。
「あぁ、貴方だったのね」
食いしばるようにして、老婆はゆっくりと言葉を口にするのだ。
何とか、何とか吐き出した声には、悲しみが込められている。
身体を震わせながら、
「孫が、大変お世話になりました」
老婆は、涙ながらに深々と頭を下げるのだ。
「ごめんなさい。ほ、本当にごめんなさい。私の息子が不甲斐無いばかりに、あの子には、とても辛い思いばかりをさせてしまった。その上……事故なんて」
その言葉に、澪はゆっくりと顔を上げるのだ。
もしかして、と澪は思った。
「あゆ、みの、おばあさん……?」
「はい……はいっ」
ゆっくりと、確実に。
返事をしながら頷く老婆を、澪は見開いた眼で見つめるしかできなかった。
「先日、病院に来てくれたときには、嬉しそうに言ってくれたわ」
老婆は、涙に頬を濡らしながら、雨に打たれながら、それでも伝えねばならぬという強い意思を秘めて澪に告げる。
「料理が上手で、家事もできて、地域の子供達とも遊んで、仕事も忙しいのに頑張ってて、私、そんな人と今付き合ってるの。結婚するの。すごく幸せって」
手提げから取り出した一枚の手紙を、澪に渡すのだ。
「あの子に頼まれた手紙を、渡しに行きたいと思っていました……貴方に直接、渡すことができて良かった……本当に、本当に良かったわ」
澪はこの時に察した。
歩美はもう、この世にいないことを。
それを知って、泣いた。
子供の様に、泣いた
老婆もまた、澪につられるよう大粒の涙を流すのだ。
大切な者を失ったのに変わりなかった。
澪は、歩美の祖母に抱き締められ泣いた。
これくらいじゃ足りないのかい?
じゃあ、もっとたくさん降らせてあげるよ。
君の悲しみがぬぐい切れるように。
そんな言葉をかけるかのように、空から降る滴は更に強さを増すのだった。
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