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◇ ◆ ◇
薄ら寒い墓地に、ぼくはいた。いくつも立ち並ぶ綺麗な共同墓地は少し寂しくて、夜中になると怖さが倍増するんだろう。肝試しにはちょうど良さそうな場所の中、ぼくは静かに墓石の前で佇んでいた。
新品の御影石にぼくの姿が映る。さきほど磨いたばかりだが、掃除は不要だったかも知れない。そう思ったけれど、光る石の前で込み上げる達成感と、これくらいのことしかできない自分にいくらか苛ついていた。
「お爺様、ごめん。連絡が来なくて、葬儀にも行けなかったなんて……。お爺様が亡くなったって、最近知ったんだ。ごめんなさい」
祖父の名前が刻まれた墓にそっと触れる。黒と白、それから時々細かい灰色が複雑に混じりあったそれは、驚くほどひんやりとしていた。
心と体が逆転していたぼくを唯一かわいがってくれたのは、自由を愛するこの祖父だけだった。彼の言葉や考え方に支えられて、ぼくは大輔に告白する勇気を祖父から得た。考えの堅い母や突き刺さる夏樹の棘から守ってくれたのも、祖父だった。
それがまさか、ぼくが本を借りに訪れたのを最後に、呆気なく死んでしまうなんて。
「孫らしいこと、全然できなくてごめんなさい。この頃はいろいろと大変で、悲しくて、つらい時もあるけど、ぼくはがんばるよ」
唇から滑る独り言は、虚空に消えていく。
「ようやく思い知ったんだ。ぼくは男にはなれないって。だから多分、お爺様が亡くなってしまったのも、ぼくにとってはなにかの分岐点だと思うんだ。今までずっとお爺様の意見に甘えてきたけれど、そろそろぼくも、大人にならなくちゃいけない。これまでぼくは男だって思ってて、お爺様もそれに賛同してくれていたけれど、ぼくは……ぼくはやっぱり、女の子だった」
俯いた顔をあげれば、涼し気な墓石が沈黙している。ぼくは口元を崩して、わずかに笑ってみた。
「最初から受け入れるべきだったのかもしれない。こんなの、誰にだって迷惑を掛けるだけだ。母さんにも申し訳ないし、確信なんてないけれど、恋人にもそれで我慢させちゃったんだろうな。本質から変えようだなんてことはできないから、少し態度や口調を変えればいい。そうすれば、ぼくはきっと、女の子になれる……」
決意を携えて、祖父を見る。
「これで、受け入れてもらえる。愛してくれる。ぼくの体は穢れてしまったけれど、もうこれ以上穢れることなんてないよね。大丈夫。なにも怖くない。もうなにも怖くないよ。世界が変われば、きっといいことがあるかもしれない。絶望からも救われるかも知れない。……お爺様、今まで支えてくれてありがとう」
言い切って、太陽の下で輝く石材にぺこりと頭を下げた。謝罪と感謝の意味を込めて、深々と。投げやりな感情や不貞腐れはあったけれど、もうどうでもよかった。
祖父の墓を後にする。天国で幸せになれるよう祈りを込めて、ぼくは空を見上げた。
遥か遠くへと続く雲はもくもくと元気に発達していて、ぼくはその真下、青い色で満たされたこの星から宇宙を見透かす。しかし肉眼では星など見ることは叶わず、ましてやこんな気持ちのいい昼間では月さえも姿を消していた。
悠久の時へと静かに還っていく死者の行き先を、ぼくは知らない。でもそれは、ぼくの未来がどこに続いているのか分からないことと同じだった。
大丈夫。きっと、うまくやっていける。
決別と新たな希望を心に宿して、ぼくは新しく契約した携帯をポケットから取り出す。そしてゆっくりと、震える手でダイヤルを押した。
電話の主はすぐに出た。声を振り絞って、どうにか第一声を発する。
「も、もしもし、母さん?」
勇気という名を被った偽りの諦めに、ぼくの声は微かに上ずった。けれどここで引き下がるわけにも行かないから、ぼくはぼく自身の決意を口にする。
「――うん。その、お見合いのことなんだけど。今度はちゃんと、受けてみるよ」
すると母は今までに聞いたことのない、飛びきり優しい声でぼくを褒めてくれた。




