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◇ ◆ ◇
「結婚?」
遥が放った言葉をおうむ返しに、ぼくはしばらく目を瞬かせていた。遥は微かに頬を赤く染めて、それから俯く。長いまつ毛が翳って、その隙間から覗く瞳にはほんのりと嬉しさが宿っていた。
穏やかな午後の光の下、ぼくと遥はそれなりに空いている学食のテラスの一角を二人で占拠していた。大学ではそろそろ夏季休暇に差しかかろうとしているところで、そんな折にふと遥の方から「来月には結婚する」と告げられたのだ。
「うん。彼からプロポーズされたの。一緒にフランスに来ないかって」
親友の告白に呼吸が止まる。ちらりと見えた顔は、いつしかテレビで見た花嫁の横顔に似ていた。
「ああ……そっか、とうとう結婚するのか。おめでとう」
にこりと微笑んで、彼女の幸せを祝福する。遥は満面の笑みで「ありがとう」と返した。いろんな男が彼女に夢中になるのも、なんとなく分かるような気がした。
「大学はどうするんだ?」
「それが、辞めてもいいって。卒業してから行きたかったけれど、彼がなるべく早めにしたいって言ったから」
「そうなんだ?」
「うん。なんとなくで法律なんかを勉強してたけど、法律関係の仕事をするかと言われても、ピンと来ないし……。だから、彼に着いていくことにしたんだ。お母さんも、そっちの方がしあわせだろうって」
自信なさそうな遥の声は、散々悩み抜いたような不安定な響きを帯びていた。
彼女はぼくと同じ法学科の中でも成績が抜群によかったが、今まで明確な将来設計を聞いたことはなかった。だから、卒業した後の進路を迷っていたのだろう。
彼女くらいの頭なら楽に稼げるだろうにと考えたが、ぼくはあえて言わなかった。代わりに遥の言葉にああと頷いて、テーブルの白に視線を落とす。まっさらな純白のそれは、まだ見たことのない世界のようだった。
「それに、好きな人と一緒にいられるって、それだけで素敵なことだと思うの」
不意に遥の唇から、光る言葉が溢れ出す。予想だにしなかったその光は、ぼくの胸にずきりと突き刺さった。
「シオンは最近どう? 彼氏とうまく行ってる?」
自分のことばかり喋りすぎたと思ったのか、遥が首を傾げながら唐突にそんなことを訊いてきた。思わず息が詰まる。しかし遥に悪気はないと分かっていたから、ぼくは素直に言うことができなかった。
「うん……まぁ、ね。仲良くやってるよ」
後ろめたさに、視線を上げることができない。しかし遥の顔が曇り出すような気配を感じて、慌てて顔を上げて笑って見せた。彼女に嫌な思いはさせたくはない。幸せに浸っている、今この瞬間は特に。
「そう。それならよかった。喧嘩したらダメよ」
ぼくが笑うと、遥は安心しきったようにそう言う。まるで姉みたいな口調で言い聞かせる遥に、ぼくは弱々しく返事をするので精一杯だった。深刻そうな顔をかき消して、ただただ微笑みを続ける。
「式は向こうで挙げるから、そしたらシオンに手紙を書くね」
「ありがとう、楽しみにしてるよ。遥ならかわいいお嫁さんになりそうだな」
「もうやめてよ、そういうこと言うの。全然自信なんかないのに」
「そんなこと……」
ふと遥に視線を合わせて、それから気付く。目の前の幸せを見つめる彼女は、ぼくじゃなくて遠い未来を見ているようだった。
恋は盲目とでもいえばいいのか。周りのことが疎かになりがちな彼女の視線は、やっぱりぼくを見てはいなかった。「ぼく」という一人の人間ではなく、「報告すべき人」のうちの一人に含まれているみたいだった。
不意に恐ろしくなる。
あれだけ鋭かった遥の勘も、今では本当になにも感知してくれない。ぼくの嘘がうまいというはずはないだろう。
心の中で、なるほどと自嘲気味に頷いてみる。
幸せに浸る遥では、ぼくの嘘を見抜けない。




