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「で、シオンはなにを買うの?」
「ああ。ぼくも、時計をプレゼントしようかなって。ぼくの恋人も誕生日が来るから。今のうちに」
へぇ、と遥は前を向く。遥のを聞いて思いつくなんて、誕生日プレゼントにしては安直過ぎるだろうか。もう少し考えた方がいいかと思ったが、遥は楽しそうに「いいね、それ」と言った。
「喜んでもらえるのかな」
自信のない声が喧騒に紛れる。ぼくの声を拾った遥は対照的に、自信の満ちた顔で頷いた。
「うん。シオンが選んだものなら、なんだって嬉しいと思うよ。シオンの彼氏さんって、話に聞く限りだとなにげに一途っぽいし。ところで、今日は彼氏さんは? いつも駅前で待ってるのに、どうしたの?」
今になって、遥は気付いたように振り向く。人混みをすり抜けながら歩く彼女を器用だなと思いながら、ぼくは答えるために唇を開いた。
「今日は、合コンなんだ」
「えっ?」
遥があからさまに、驚きを内包した声をあげた。一瞬彼女の足が立ち止まるが、人混みの中にあるという意識が働いたのかすぐに歩き出す。
「それって大丈夫?」
その言葉に目を瞬かせる。なにがと問い返そうとした矢先に質問の意図が分かり、慌てて弁明した。
「ぼくが勧めたんだ。息抜きにどうかって。最近ぼくに付き合ってもらってばっかりだったし、それに、都合があった方がこっちもこうして出掛けやすいし」
最後はもはや言い訳に近い。目の前の遥をおずおずと視界に入れて、ぼくはそんな言葉を紡ぐ。遥は納得したような、けれどいまいち腑に落ちていない顔をしていた。
「そっか。シオンがそう言うなら、信じるよ。あんまりよく知らないけど、浮気するような人には見えないしね」
遥が口にしたその単語に、予期せずして心臓が冷えた。
静かな漣はぼくの心の端から中心に向かって広がっていく。枝葉が風に煽られ、やがては木全体を揺するように。鉛みたいな心を掻き立てるのは、不安か焦燥か。
浮気……。
はっと目を見開く。
合コンには女の子だって同席しているはずだ。それは理解している。しかし遥に言われたことで、一瞬、その可能性を考えてしまったのだ。
大丈夫だろうか。
声に出せず、その言葉が喉元に引っかかるのは確信がないからなのか。
大輔にとって、ぼくは初めての人だ。でも、だからこそ彼が普通の女の子と接した時、そしてそれが彼のタイプの娘だった時、大輔はぼくとその子を比べてしまうのではないか。
そしてそれでもし、ぼくではなくその娘に気持ちが傾いてしまったら。
嫌な想像ばかり考えてしまう。けれど有り得ないことはない。大輔だって普通の男だ。その概念が、ぼくの空想をさらに加速させる。
気付けば立ち止まっていた。ぼくの足はコンクリートに植えられたように、次の歩みを出すことを渋った。
「シオン?」
遥が目の前でまばたきを繰り返している。名前を呼ばれて驚いたところで、肺に冷たい空気が入ってくる。どうやら息すらも止めていたらしい。顔を上げた拍子に、すれ違う誰かの肩がぶつかった。
「どうしたの? 大丈夫? 具合悪い?」
遥の顔が曇り始める。慌ててぼくは首を振った。
「ううん、ちょっと、気になるお店を向こうに見つけただけ」
唇を笑みの形に作ると、それだけで、遥はぱっと笑顔になった。
「そう? あんまり考えすぎるのもダメだよ」
見透かされた心がずきりと傷んだ。どうやって言葉を返そうか悩む。けれど遥はさほど気にしているような風でもなく、それからはたとなにかに思い付いたように声を上げた。
「あ、そうだ。夜はどこかでディナーしようよ。シオンの彼氏、合コンでしょ? こっちもパーッとやろうよ。ね?」
遥は砕けた口調で笑う。ぼくも笑おうとしたけど、どうすればいいのか分からなかった。張り付けた笑顔がひたすらに苦しい。
だからぼくは、きっと考えすぎなんだという答えを結論づけて忘れることにした。これ以上考えていては、頭がどうにかなりそうだ。
今までの思考をむりやり隅へと押しやる。そうだ、今は遥と買い物に来ているんだ。余計なことは考えないようにしなくては、一緒にいる遥に申し訳ない。
ぼくは歩き出す。
そうして、ぼく達は時計屋に向かった。




