幕間:オークの錬金術士
サトゥー視点ではありません。
※9/15 誤字修正しました。
私は滅びゆく古の種族――オークのガ・ホウだ。
何百年も昔に、魔王に付き従い世界を敵に回しそして滅びた愚か者の末裔だ。今でも数人単位で世界各地に潜んでいるが、いかなる種族も我らを受け入れてはくれないだろう。オークの帝国が滅んで600年以上が過ぎた今でさえ、世界はオークの犯した所業を忘れていない。長命ゆえ、世界の片隅で糊口を凌ぐ知恵と技術があれど、もはや表舞台に立つことは叶うまい。
「ガ・ホウ」
「ル・ヘウか、どうした。店に客でも来たか」
「うん、いつもの覆面の客」
ここは公都の大壁の外の下町でも、めったに人族の来ない場所だ。下水を濾過する施設の傍故に臭いが凄まじく、鼻が利く獣人もめったに近寄らない。もっとも、このオーク帝国の時代に作られた濾過施設が無ければ、母なる大河はもっと汚れていただろう。そう思えば、この臭いも許せるというものだ――いや、すまん、やはりこの臭いは耐えられん。いつもの香料付きのマスクを装着し、フードを目深に被って、表の店に向かう。
「いつまで待たせるつもりだ!」
「す、すまね、ごれがー依頼のー、即効せーの睡眠導入剤だぁ」
私は客と話す時、かならず言葉を詰まらせて、変なアクセントで喋るようにしている。相手がこちらを見下してくれるなら成功だ。
どうして、この男は店に来るたびに、こう激昂しているのか。もう少し、心に余裕を持つべきだと思うのだが、忠告してやる必要はなかろう。忠告しても噛み付かれるだけだ。無駄な事はするまい。
渡したカウンターに小瓶を並べつつ、用法を説明する。恐らく聞き流すだろう相手でも職業倫理は忘れたくない。
「小瓶一つでぇ、銀貨ぁ、6枚だぁ。小瓶3つだとぉ、何枚だか?」
「ふん、蛮族め、計算もできんのか。金貨3枚だ」
ふむ、あまり値切らなかったな。銀貨3枚分くらいなら値切られてやろう。
「さ、さすがぁ、貴族さまだで。け、計算がぁ速いだなや」
「ふん、シガ王国の貴族たるものこの程度は造作も無い」
貴族なのは秘密だったはずなのだが、あっさり認めてしまったな。まぁ、こいつのサイフに付いている金具に家紋が刻んであるので、カマをかける必要もないのだが。本人が正体を隠しているつもりなのだから、黙っていてやろう。
男はカウンターに金貨を3枚並べると、小瓶の入った革ケースを受け取って出ていった。碌な用途には使わないのだろうが、そんな事を気に病むのは400年前に止めてしまった。この金貨はロ・ハンの集落にでもくれてやるか。公都の下水道で暮らす限り、金など不要だからな。
◇
「ガ・ホウ、あれだよ」
ル・ヘウの指差す方には、確かに彼女が言うような不審な集団がいた。あの衣装は見た事がある。下町の広場で、「魔王に滅ぼされないためには魔族になればいい」とかいう突拍子も無い主張をしていた者達だ。自由の翼とかいう名前の――狂信者集団だ。
あの先は、迷宮の遺跡があるはず。迷宮は完全に死んでいるし、地下迷宮への転移施設も封印してあるはずだ。普通の人族には決して解けない高難易度の暗号封印を施してあるのだ。そうそう進入はできないはず。
ル・ヘウをその場に残し、集団に近づく。
鑑定スキルで調べてみたのだが、「状態異常:悪魔憑き」が一人居た。どの程度の魔族かはわからないが、私は戦いが苦手だ。ここは退散させてもらおう。
隠形スキルの効果が切れる前に、その場を後にした。
◇
「匿ってくれ、ガ・ホウ」
血まみれのロ・ハンが店に転がり込んできた。
狼人族の男に絡まれたのだそうだ。オークともあろうものが、なさけない。たかが50年も生きていないような若造にいいようにされるとは、実に嘆かわしい。
今は、3年に1度の武術大会が開かれている時期だ。血の気の多いものが闊歩しているのだから、腕に覚えの無い者はあまり表を出歩かない事だ。
ル・ヘウにロ・ハンの治療を任せて、店の外に出る。
官憲の類が来たら面倒だ。
ふむ、狼人族は200年ほど見ない間に、腕が4本になったのか?
確か頭は1つだったと思うのだが、無毛の頭がもう一つ生えているではないか。
さて、韜晦するのもこの辺にしよう。
どうやら、短角魔族という下級魔族のようだ。爪には腐敗毒を持つ厄介な存在だ。唾液は強酸か、よく自分の体を溶かさないものだ。
こんな店の目と鼻の先で暴れられてはたまらん。
戦いは苦手だが、店から離れた場所まで押し出すくらいはやっておこう。
魔法発動体の指輪を嵌めて、小声で「外骨格」と「身体強化」を連続で唱える。下級魔法だが、詠唱時間の短さを優先した。
近くにあった木製の柱を抜いて構える。傭兵風の男達を相手に無双をしていた魔族が、こちらを振り向く。振り向ききる前の不自然な体勢に、勢い良く柱を叩き付けて、通りの向こうにある広場へ押し出す。
広場から人々が転げるように逃げていく。
近くにいた亜人の傭兵らしき男達が、次々と魔族に斬りかかっているようだ。なんとも勇敢な事だ。ここは主義に反するが、加勢しておくか。あたら勇敢な若者が魔族の爪や牙の前に散るのは見たくない。
「■■■■■■■ ■■■ ■■■■■ ■■■■――」
取って置きの魔力増強薬まで飲んだのだ。効いてくれよ。
「――■■■ 爆炎竜」
魔族に荷車をぶつけて押さえ込んでいた衛兵達が少し巻き込まれたが、少しだけだ。たぶん、大火傷で済んだはずだ。
魔族は上級魔法の爆炎竜に焼かれて瀕死だ。私も年を経て多少衰えたとは言え、あれほどの魔法を喰らって即死しないとは大したものだ。焼け爛れながらも、こちらへと足を踏み出してきた魔族に、足元に落ちていた槍を拾って投げつける。身体強化の効いた投槍は、中ほどまで深く刺さり、魔族の息の根を止めた。
ふむ、100年ぶりの上級魔法は、やはり体に堪える。やはり中級魔法あたりを数発撃って倒すべきだった。住処に帰ったらル・ヘウに腰を揉んでもらおう。
炎の中に崩れる魔族から魔核を取り出し、先に戦っていた傭兵の頭領らしき男に投げ与える。これだけ大きな魔核は貴重だが、私の作る薬には、これほどの品質は不要だ。精々、今夜の酒代にするがいい。
魔核を渡されて目を白黒する頭領を他所に、足元に落ちていた魔族の角を拾う。鑑定すると「短角」という名前の品だった。脳裏に浮かぶ鑑定文章は悪魔語のようだったので、帰ってから辞書で調べるとしよう。
辞書で調べた内容は衝撃的だった。
なんと、あの品は、人を魔族に変える物のようだ。私が倒したあの魔族も、狼人族の若者が変化した姿だったのだろう。
恐ろしい。
魔族が――ではない。この品の存在を知った時、人々が理性を保てるかが心配だ。400年前に吹き荒れた亜人狩りの悪夢が再び、この地に蔓延しない事を願わずにはいられない。
◇
3日ほど前から、地下から不穏な波動を感じる。
まさか、古の大魔王が復活するとでもいうのか。杞憂であってほしい。
◇
先程からいつになく激しい震動を感じる。
この地に震源は無いはずだ。もし、誰かが戦っているのだとしたら、それは勇者と魔王に違いない。だが、竜だけは勘弁してほしい。
ついに、棲家でじっとしていられなくなったル・ヘウが、自由の翼集団の占拠している地下道へと偵察に向かった。心配しないわけではないが、私ほどではないにしても、ル・ヘウの隠形を見破れる人族などいないだろう。
地下の震動が止んでからしばらくして、ル・ヘウが転がるように慌てて帰ってきた。
「ガ・ホウ、大変。顔を見られちゃったかも知れない」
なんでも、地下通路を移動している時に、高速で飛んできた仮面の男に顔を見られたそうだ。ル・ヘウの隠形を見破るとは! と驚くべきなのか、地下通路をなぜ飛ぶのだ! と疑問を呈するべきなのか、少し迷った。
「高速で飛んできたのなら一瞬だったのだろう。その一瞬で種族までわかるとは思えん。だが、用心の為に、しばらくは地下道に近づくな」
念の為、ほとぼりが冷めるまで、100年ほど、他の大陸に潜伏するか。
王都地下のリ・フウの一族にも連絡しておかねばならんな。
私は住処の地下にある、転移門を起動しに向かう。石で組まれたこの秘宝は、同種の転移門へと空間を繋ぐ事ができる。
3日ほどかけて起動状態になった転移門を眺める。朱色の石が実に美しい。
「やはり、鳥居はこうじゃないとな」
誰もいないはずの場所から聞こえた声に、私の心臓は胸から飛び出しそうだった。
ばかな。
ばかな、馬鹿な。私の感知能力を超えた隠形術だと? 目立つ白いワニ達の間に潜ませた使い魔からも報告は無かった。全て、欺いたというのか?! ありえん。
そこに居たのは、銀色の仮面の男。
本来なら抹殺しなくてはならない侵入者に、私は穏やかに話しかけた。
なぜなら、彼の称号を見てしまったからだ。
「何用かな、勇者殿」
そう、彼は勇者。魔王とさえ拮抗する神の戦士。只人には決して超えられぬ超越者だ。その勇者に見つかってしまった以上、排除は不可能だろう。
「ああ、大した用事じゃないんだ。この前に地下道で、お友達のオークさんを驚かしたみたいだったから、吹聴するつもりは無いと言いに来たんだよ」
なんと、無駄な気配りを。
「この転移門の事も他言しないから安心してほしい。第三者にも言うつもりは無いよ」
「いいのか?」
「秘密なんじゃないの?」
「うむ、悪用されるわけにはいかぬ、我が種族の遺産だからな」
「そっか、前に見た壊れたヤツも君達が作ったものだったんだね」
この近くだとセーリュー市のある辺りか。竜の谷を監視するために設置した簡易型の転移門があったはずだ。放棄した転移門は、この大陸にはあの一つしか無いはずだ。サガ帝国の手前の小国群にあった転移門は、痕跡も残さずに破壊されたから、人族の若者が知る事はないはずだ。
「どこに繋がっているか聞いていいかい?」
「済まぬが言えぬ。この転移門の先には数少ない、同胞がいるのだ。彼らの安全のためにも口外はできないのだ」
もうすぐ、この転移門も消える。勇者は生き残るだろうが、この転移門とその周辺数百メートルは転移門と共に亜空間の彼方へ放逐されて消滅するだろう。
さらばだロ・ハンにリ・フウ。ル・ヘウと共に、先に輪廻の彼方へ旅立つ事を許してほしい。
転移門の過剰駆動光が広場を埋め尽くし。
唐突に消滅した。
死とは、なんとあっけない。
闇と静寂がこの身を包む。
「雰囲気を出しているところすまないが、危ないので転移門から魔力を抜かせてもらったよ。ヘタに暴走なんてさせたら、この公都だけでなく、王都や他の大陸まで影響がでそうだからね」
さも簡単そうに言っているが、暴走状態の転移門から魔力を抜くなど人の技ではない。しかも、この身を賭して隠し通すはずだった転移先まで知られているとは、無念だ。
「そうだな、勇者の名とパリオン神に懸けて他言しないと誓うよ」
まさか、神に懸けて誓うとは!
彼らが神の名に懸けて誓った事をたがえる事はありえない。私の看破スキルも彼が嘘を言っていないと告げている。ここは彼を、勇者を信じよう。
これが、私とナナシという変な名前の勇者との出会いだった。
彼の持ち込む酒や肴に舌鼓を打ちつつ、彼の請うままにオーク達の昔話を語る。この下水道や浄水設備が我々オークの遺産だと語ると、彼はいたく感心していた。わざわざ浄水設備まで行って、その仕組みまで聞いてくるほど勉強熱心だ。思わず昔の成功を語る老人の様に、様々な過去の手柄話や工夫や苦労した話などを語ってしまった。彼は、それを飽きる事無く楽しそうに聞いていた。本当に変わった若者だ。
「でも、猪王も罪なことをするよね。自分の種族を巻き込んでまで世界に歯向かうなんて」
「仕方なかったのだ、ナナシよ。あの頃は我らオーク帝国やサガ帝国のような一部の例外を除けば、亜人はみんな、人族の奴隷であったのだよ。猪王は、決して勝てぬのを知りながら世界に歯向かい、人族の力を削って、そして勇者に滅ぼされたのだ」
あの頃の人族は世界の9割を支配していた。過半数を支配していたフルー帝国を滅ぼしたところで、我々オークの戦いは終わっていたのだ。魔王となり自我を保てなくなってきていた猪王が、唯一亜人を保護していたサガ帝国にまで進軍したのは己の死を求めての事だろう。
5体の上級魔族に操られた同胞達の死の進軍を、血の涙を流しながら止めようとしていた勇者の事を、私は忘れない。泣き声に歪みながら、天竜に光のブレスを命じた時の声の震えを。彼の者が建国した国だからこそ、我らは無意味な野望を抱かずに地下に潜めるのだ。
彼は公都を離れる時に、友情の証にと一振りの大剣を置いていった。
銘は無い。
故に我は、これに名を与えよう。
「■■ 命名。聖剣『ナナシ』」
オークが滅びるその最期の時まで、我らの宝として語り継ごう。
7章の最後の方でサトゥーが見かけた「ボロを着た謎生物っぽい人」がオークのル・ヘウさんです。
老化した王子がクスリを買いに来るエピソードも入れようとしたのですが、収まりが悪かったのでカットしました。