【Oranges and Lemons】 (7)
「おはよう坊や。どう、気分は?」
「……毎日毎日、ただベッドに寝転がってて、いい気分になるとでも思うのか?」
見舞う立場から一転し、見舞われる立場になったヒューが、ベッド脇から自分の顔を覗き込むレイチェルに吐き捨てる。
作戦から三日。
幸い、命に関わるような傷は受けていなかったが、いかんせん受けた傷が多すぎ、今もベッドで天井と窓を眺める毎日を送っている。
見舞いに来たレイチェルも、左腕を三角帯で吊っているが、それ以外は問題無し。自分の足でしっかり歩いているところを見ても、心配した当人より重症になった自分に複雑な気分が拭えない。
さりとて、主たる疑問や思いは別にある。
「どうでもいいがレイチェル、俺ら……」
「分かってるわよ、心配無し。今回、実質わずか四名で国内に侵入したテロリストと、それに協力していた軍の関係者と企業ひとつを始末したわけだからね。実績の大きさから考えたら、ガブリエル・ハウンド殲滅に関しては、上も文句を言えなかったみたいよ」
「そうか……そいつは何よりだよ」
ほっとして天井を見つめる。
後先をほとんど考えず、その場の感情でおこなった殲滅作戦。
何らかペナルティがあっても仕方が無いと覚悟していたが、まさに何よりの結果だと思えた。
同時に、それを焚き付けたクレメンスには、筋違いながら多少の腹立たしさが湧く。
「私としてはこれでまた坊やの世話を焼き続けなきゃならないかと思うと、気が重くてしょうがないけどね」
正式にCIA復帰が決まったレイチェルが言う。
今回の件は、お世辞にも彼女の活躍が目立ったわけではなかったが、チーム単位の評価が彼女の復帰を後押しした。
これもまたヒューとしては喜ばしい。が、
「少しはまともに心配しろよな……看護士から聞いたけど、俺、一時危篤状態になってたらしいじゃねぇか」
「ふふっ、今はそうしてピンピンしてるんだからいいじゃないの。それとも何、心配して慰めて欲しかった?」
「うるせぇ!」
レイチェルの、怪我人を労わらない言い草に腹も立つ。
無論、半分以上は本気で無いが……。
「で、結局のところ、事件は一件落着ってことになったのか?」
「ええ、表向き流れた情報としては、フロリダのマクディール基地をテロリスト集団が強襲。兵員十七名が殺害され、その報復措置としてVICを隠れ蓑にアメリカ国内へと潜伏していたテログループを軍の対テロ特殊部隊が殲滅。それと黒幕のゲイリー・ハイマン少将は軍施設での火災事故による焼死という扱い。そんなところかしら」
「はっ、随分と都合よく情報捻じ曲げやがったな。VICのガブリエル・ハウンドは俺たちが潰したんじゃねぇか!」
「軍部としても今回の件を主導してたハイマン少将がこちらに暗殺された時点で手打ちにしたかったらしいからね。その証拠が事故死っていう発表よ。仕方ないわ。これ以上、味方同士で殺し合いを続けたって、きりが無いもの」
「まあ、な。そりゃそうだけどよ……」
「ああ、ちなみにVICのジョーンズ・バニヤンは自殺したわよ。こっちは正真正銘の自殺。こういうとこはよっぽど民間人のほうが潔いわね。」
「へへっ、こっちの掃除の手間を省くとは、なかなか感心じゃねぇの」
「そうね。手間は確実に減ったわ。けど事件の全容を把握するための手段が尽きた。そういう考え方もありよ」
「え?」
「事件の当事者が全員死亡しちゃったんじゃ、もう事件の概要を知る方法が無いって、そう言ってるのよ。もちろん、主導していた人間以外の中核メンバーはこちらでもある程度は拘束して、情報の聞き出しに力を入れてるけど、軍部はもう人を出さないだろうし、ガブリエル・ハウンドは全滅。民間の関係者となると、知ってる情報もそれほどは当てにならないわね」
言われて、本部の意向を無視し、私怨でガブリエル・ハウンドを全滅させたことの意味がここに来て身に応える。
完全な自己満足で事件の全容解明の足を引っ張った自覚が今さら冷や汗をかかせる。
「……あら坊や、もしかしてガブリエル・ハウンドをひとり残らず始末しちゃったこと、気にしてんの?」
「いや、まあ、そりゃあ……ね……」
「気にしなくたっていいわよ。もしも私があんたの立場なら、間違い無く同じことしてたろうからね。お互い様よ」
「そう言ってもらえると、気が楽になるよ……」
苦笑いでレイチェルに視線を送る。レイチェルもまた、微笑みをヒューへ返す。
そう、問題は上げ始めればきりは無いが、とにかくひとまずは一件落着。
無責任なのかもしれないが、こちらはここまでやったのだから、残りの面倒な雑用は他の奴に片付けてもらおう。
これだけ身を粉にして働いたのだから、そのくらいのわがままは許されるはずだ。
思い、気持ちが幾分軽くなると、ヒューは溜め息を天井に吹き付け、ふと目を閉じる。
と、本題に気を取られ、逸れていた思考が頭の片隅に落としていた疑問へ改めて考えを導く。
「ところでレイチェル、ちょっと気になったんだけどよ」
「何?」
「実際にはマクディール基地を訪問していたハイマン少将はティルの奴が暗殺したんだよな。でも……」
一拍置き、続ける。
「なんでひとりの暗殺に、十七人も死人が出てるんだ?」
「……」
レイチェルはこの質問を意図的に無言で流した。
現実には、マクディール基地へ派遣されたティルに与えられていた命令はふたつ。
ひとつは、(ゲイリー・ハイマン少将を殺害せよ)
もうひとつは、(それを妨害する者は殺害して構わない)
ティルはその命令を忠実にこなした。
とはいえ、その目的遂行のための手段が、手前勝手に捻じ曲げられている事実も確かである。
命令自体には一切反してはいない。
その代わり、命令の実行に伴う行動の異常性はひどく強い。
元々、渡された装備に関しても、M14と徹甲弾はあくまでドアガラスを撃ち抜くことを想定したものであったし、ジェット燃料も防弾車両に籠られた場合に、ゲイリーを燻り出す目的で用意された。
それに対し、ティルはより自分好みの殺しを楽しむために渡された装備を最大限に活用した。
(妨害者は殺害して構わない)という命令についても、ティルはゲイリーの車両に到達するまでに、明らかにわざと基地内の兵員と多く遭遇するよう動き、必要以上の人間を殺している。
得意の、頭部を踏み潰すという殺害方法で。
目的やその心理こそ違えど、命令を都合よく理解することで作戦行動を好ましくない形で遂行したという共通点。
それを不必要にヒューに知らせまいと、レイチェルはあえて口を閉ざした。
間違っても自分のためを思ってしてくれた行動と、単なる快楽殺人趣味を持つ人造人間の行動を一緒くたに考えてもらわないため。
レイチェルの性質には珍しい、細やかな気遣いであった。
「今日は一段と冷えるわね」
そのまま、ヒューの質問の代わりに話題を切り替える。
「そうかな。いかんせん暖房のきいた部屋にずっといると、外の寒さはよく分からなくなっちまって……」
言葉を続けるヒューを置いたままに、レイチェルは病室の窓までつかつかと歩み寄ると、白いブラインドを引き上げ、暖気に曇ったガラスを手で拭った。
「あ……」
窓の外を目にし、ヒューが小さな吃驚の声を上げる。
「もう四月も半ばだっていうのに、雪が降るなんてね……」
「時期外れの雪か……まあ、ある意味じゃ、似合いかもな」
「?」
「今回の妙な事件には、似合いの幕引きかもって意味さ」
ヒューの言葉に、レイチェルも不思議と納得してうなずいてみせる。
奇妙な事件。奇妙な出会い。奇妙な仲間。
言われれば、今回はまさしくおかしなことの集大成のようだった。
確かにそれの幕引きには似合いの景色だ。
季節外れの雪の舞う空。
日も落ち、月も無い空。
そして、
そんな街の一角をティルがまさに今、駆けていることをふたりは知らない。
半ば廃墟と化した街をティルは跳ねる。
己の白い髪に溶け合うような雪景色。
星ひとつ無い新月の夜。
カンジキウサギは闇夜に踊る。