第31話:約束の週末と、二人だけの特別な街
期末テストの返却から数日。
学年首位に迫る二位を獲得した湊と、血の滲むような努力で見事に目標の18位へと滑り込んだ月菜。二人の間で交わされた『学年20位以内に入ったら、お願いを一つ聞く』という約束は、図書室での甘く切ないおねだりによって実を結ぶこととなった。
「二人だけで……本当の『デート』がしたい」
あの夕暮れの図書室で、耳まで真っ赤にしながら絞り出した月菜の言葉。
お世話係と屋敷の令嬢という立場を脱ぎ捨て、一人の男の子と女の子として街へ出る――その待ちに待った「週末」が、ついにやってきたのだ。
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土曜日の朝、午前七時。
冬の足音が確実に近づく十二月初旬の澄み切った秋空からは、雲ひとつない快晴の陽光が降り注いでいた。朝の冷気で空気がキュッと引き締まり、息を吐くとほんの少し白く染まる。
湊はいつも通り早起きをして朝食を作り、リビングで妹たちの世話を焼いていた。
「あ、湊兄ちゃん! お出かけするの? すごくカッコいい服着てる!」
末っ子の土和が、納豆ご飯を口に頬張りながら目を輝かせた。
今日の湊は、いつも着ているエプロン姿ではない。黒のタートルネックニットに、シックなダークグレーのロングコート、細身のパンツを合わせた、大人っぽく洗練された私服姿だ。親父譲りのスタイルの良さも手伝って、どこかのモデルのような雰囲気を醸し出している。
「うん、今日はちょっと月菜とお出かけしてくるんだ。陽葵さん、妹たちのこと、よろしくお願いしますね」
「ええ、任せてちょうだい。二人とも、羽を伸ばして存分に楽しんできなさいね」
長女の陽葵が、すべてを察したような温かな微笑みを浮かべながらお茶を啜る。
「むー! 月菜姉ちゃんだけズルいー! 私も湊とお買い物行きたかったのにー!」
「灯華、今日は我慢しなさいって言ったでしょ。二人には……ふふ、大事な『おべんきょうのご褒美』があるんだから」
三女の灯華が不満そうに頬を膨らませるのを、四女の水樹がニヤニヤと意味深な笑みを浮かべて宥めている。五女の木乃香と六女の絢金も、「行ってらっしゃい〜」と楽しそうに手を振っていた。
そこへ――二階の階段から、静かな足取りが降りてきた。
「……お待たせ。待たせたかしら」
リビングにいた全員の視線が、一斉に階段の踊り場へと向けられた。
そこに立っていたのは、誰もが見とれるほどに可憐にドレスアップした月菜だった。
柔らかいホワイトのシャギーニットに、チェックスカート。上から羽織った柔らかなライトベージュのノーカラーコートが、彼女の華奢なシルエットを優しく包み込んでいる。細くしなやかな脚には薄手のタイツ、足元は黒のショートブーツ。さらりと流れる艶やかな黒髪からは、かすかに甘い柑橘系の香水が漂っていた。
「……っ」
湊は息を呑み、言葉を失った。
普段の制服姿や部屋着のスウェット姿も十分に可愛らしいが、今日の月菜は「湊に見せるため」だけに時間をかけてオシャレをしてきたことが、その全身から痛いほど伝わってきたのだ。
「……な、何よ。人の顔ジロジロ見ちゃって……変、かしら?」
湊の視線に耐えかねた月菜が、キュッと肩をすくませて俯いた。白く透き通るような頬が、あっという間に綺麗な朱色に染まっていく。
「ううん……変なんかじゃないよ。……すごく、可愛い。綺麗だよ、月菜」
湊が心からの本音を口にすると、月菜の耳まで真っ赤になった。
「バ……バカ……! 朝からいきなりそんなこと言うんじゃないわよ……っ!」
ぷいっと横を向いて毒づく月菜だが、その口元は嬉しさを隠しきれずに綻んでいた。
「それじゃあ、行ってきます!」
「いってらっしゃーい!」
姉妹たちの温かい見送られながら、二人は絢咲家の屋敷を後にした。
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鳳凰学園の最寄り駅を通り過ぎ、電車に揺られること二十分。
二人がやってきたのは、お洒落なショップやカフェが立ち並ぶ、洗練された都心のショッピングエリアだった。
休日とあって街は多くの人々で賑わっており、街頭の街路樹にはすでにクリスマスを先取りしたような光の装飾が施され始めている。
「うわぁ……すごい人ね。久しぶりにこんな賑やかな場所に来たわ」
駅の改札を出ると、月菜は少し圧倒されたように周囲を見渡した。
普段は学校と家の往復、そして妹たちの面倒や勉強に追われる毎日だ。こうして同年代の男の子と私服で街を歩くこと自体、彼女にとっては生まれて初めての経験だった。
「大丈夫? 人酔いしそうなら、静かなカフェにでも入ろうか?」
「ううん、大丈夫よ。……それより、どこに行くの?」
「んー、まずは月菜が行きたいところに行こうと思ってさ。今日のお願いは『月菜とのデート』なんだから、月菜が一番やりたいことをしよう」
湊が優しく微笑みかけると、月菜は少し照れくさそうにバッグの帯を握りしめ、上目遣いで湊を見つめた。
「……じゃあ、お洋服屋さん、見に行きたいな。私に似合う服……湊に選んでほしいの」
「俺が? 責任重大だな……よし、行こう!」
二人は街へ踏み出した。
歩道を行き交う人波。ふと、後ろから歩いてきた若者のグループが月菜の肩に掠めそうになったその時――。
「っと……危ないよ」
スッと、湊の手が伸びてきた。
湊は自然な動作で月菜の肩を抱き寄せ、人波から彼女を護るように外側へと立ち位置を変えた。
「きゃっ……」
湊の大きな手と、コート越しに伝わる体温。そして、すぐ間近にある彼の男らしい胸板。
月菜は胸がドクンと大きく跳ね上がるのを感じた。
「ごめんね、混んでるから離れないように気をつけないと」
「あ……う、うん……」
湊は何気なく言ったつもりだったが、月菜の緊張は限界突破しそうになっていた。彼女はゴクリと生唾を飲み込むと、自分の小さな手を、そっと湊の大きな手のひらへと近づけた。
そして――ギュッと、自ら指を絡ませた。
「……え?」
湊が驚いて手元を見ると、月菜は真っ赤な顔で視線を正面に向けたまま、握りしめた手にぎゅっと力を込めた。
「は、はぐれたら困るでしょ……っ! だから、こうしててあげてるのよ……! 変な意味じゃないんだからね!」
強がりでツンとした言葉。けれど、握り返してくる彼女の指先は、小刻みに震えていた。
湊の胸の奥に、溢れんばかりの愛おしさが込み上げてくる。
「……うん。離れないように、ちゃんと握っててね」
湊は優しく握り返し、二人はしっかりと『恋人繋ぎ』をしたまま、冬の街を歩き始めた。
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最初に訪れたのは、若い女性に人気のセレクトショップだった。
店内には冬物の最新トレンドファッションがズラリと並んでいる。
「わあ……このコートも可愛いし、あのニットも素敵……」
目を輝かせる月菜に、湊は棚から一枚の淡いパステルブルーのロングマフラーを取り出した。柔らかいカシミヤ素材で、触り心地が抜群に良い。
「月菜、これ巻いてみてよ。今の服にもすごく似合うと思う」
「え……? 私に?」
月菜が素直に首を傾げると、湊は手に持ったマフラーを広げ、月菜の首元へと優しく巻き付けてあげた。
顔と顔が息がかかるほどの至近距離になる。
「……っ」
湊の手が月菜の襟元に触れ、丁寧にマフラーの形を整える。
「うん、やっぱり似合う。月菜の綺麗な黒髪と、肌の白さにすごく映えるよ」
湊が満足そうに微笑むと、月菜は鏡に映る自分と湊の姿を見つめた。パステルブルーのマフラーに顔を少し埋めるような形になり、自分で見ても恥ずかしいくらいに顔が赤くなっていた。
「……これ、買うわ」
「え、即決!?」
「湊が選んでくれたんだもの。……大事にするわ」
月菜はマフラーに顔を包み込んだまま、上目遣いでフフッと嬉しそうに微笑んだ。その破壊的な可愛さに、今度は湊のほうが胸を撃ち抜かれ、思わず視線を逸らしてしまうほどだった。
その後も、二人は雑貨屋さんを巡って可愛いペアのマグカップを見たり、カフェで温かいカプチーノを飲みながらケーキを分け合ったりと、夢のような時間を過ごした。
「あはは、湊の鼻に生クリームついてるわよ」
「え、嘘!? どこどこ?」
「もう、世話が焼けるわね……はい、取れた」
月菜が自分の指先で湊の鼻先を優しく拭い、それを自分の口元へ運んでペロリと舐める。
「あっ……!」
「……ふふ、甘いわ」
いたずらっぽく小悪魔的に微笑む月菜。いつの間にか彼女の中にあった緊張は消え去り、一人の「恋する女の子」として、湊とのデートを心から楽しんでいた。
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楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、街に夕闇が迫ってきた。
「ふぅ……たくさん歩いたね。月菜、疲れてない?」
「全然! すっごく楽しかったわ!」
充実感に満ちた表情で答える月菜。
その時、街の街灯が一斉に点灯し、周囲の街路樹に巻き付けられた数万球のイルミネーションが一瞬にして輝き放った。
「「わぁ……っ!!」」
幻想的な光の海が、二人を包み込む。
光のアーチが続く並木道の真ん中で、二人は足を止めた。輝くイルミネーションの光が、月菜の瞳の中でキラキラと反射し、彼女の美しい横顔をより一層幻想的に引き立てている。
月菜は静かに振り返り、湊のジャケットの裾をきゅっと掴んだ。
「……ねえ、湊」
「ん?」
「私ね……今日、本当のデートができて、すごく嬉しかった」
月菜の声が、どこか切なく、熱を帯びて響く。
「屋敷でみんなと一緒にいる時間も大好きだけど……でも、湊を他の妹たちにとられたくないって思っちゃう自分がいて……。私だけを見てほしいって、ワガママ言いたくなっちゃうの」
「月菜……」
「今日のこの時間は、一生の宝物よ。……ありがとね、湊」
輝く光の中で、月菜はこれまで見せたことがないほど、優しく、甘く、儚い微笑みを浮かべた。
その瞬間、湊の胸の中で「お世話係」という最後の理性のタガが、静かに外れ落ちた。
湊は掴まれた手の上に自分の手を重ね、月菜の華奢な体を、優しく引き寄せた。
「……月菜」
「……あ……」
至近距離で見つめ合う二人。
イルミネーションの光が揺れる中、湊の顔がゆっくりと近づいていく。
月菜は逃げることなく、そっと瞳を閉じ、湊の胸元に両手を添えた。
吐息が触れ合う距離。
二人の唇が、重なり合おうとした――その瞬間。
ピコン、ピコン、ピコン!
湊のポケットの中で、スマートフォンが爆音で鳴り響いた。
「「――っ!?」」
一瞬で現実に引き戻され、二人は弾かれたように飛びのいた。
「あ……ご、ごめん月菜! 電池切り忘れてて……っ!」
「あ……ううん! ぜ、全然気にしてないわよバカ……っ!」
真っ赤になった湊が慌ててスマホを取り出すと、画面には【長女:陽葵】からの着信が表示されていた。
通話ボタンを押すと、受話器の向こうから慌てた陽葵の声が飛び込んできた。
『あ、湊くん!? ごめんなさいね、デートの邪魔をしちゃって……! でも、大変なの!』
「え……? 陽葵さん、どうしたんですか!?」
『それがね……土和が急に熱を出して『湊兄ちゃんに抱っこしてほしいー!』って泣き出しちゃって……!』
「ええっ!? 土和が!?」
電話の向こうから、「みなと兄ちゃんー! お熱いたいのー!」という土和の泣きじゃくる声が聞こえてくる。
湊と月菜は顔を見合わせた。
「……帰りましょう、湊」
月菜が真っ赤な顔のまま、フッと優しく微笑んだ。
「妹のピンチだもの。二人のお世話係に戻らなきゃね」
「月菜……ごめん」
「いいのよ。……それに、さっきの続きは……また今度、お預けってことで」
月菜は自分の唇に人指し指を当て、小悪魔的な笑みを浮かべた。
二人はしっかりと手を繋ぎ直し、大好きな家族が待つ絢咲家へと急ぎ足で帰路につくのだった。
冬の風が吹き抜ける街で、二人の絆は、より深く、温かく結ばれていた。
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【本日のお世話係メモ:家庭で役立つ豆知識 #31】
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