第15話:忍ぶ甘い誘惑と、二人きりのキッチン
──昨夜の炒飯騒動と、食洗場での月菜との『秘密の約束』から一夜が明けた。
いつも通り賑やかな絢咲家の朝食を終え、学校への登校準備を済ませた俺──湊は、一人リビングでふうと息を吐いていた。
「湊ー! 早くしないと遅刻しちゃうわよー!」
玄関から元気な声が響く。次女の月菜だ。
今日は長女の陽葵さんが大学の補講で一足早く出かけており、妹たちの通学準備を手伝っていた俺と月菜が、最後に家を出る順番になっていた。
「すぐ行くよ! ……よし、鍵はかけたな」
カバンを肩にかけ、靴を履いて外に出る。
朝の澄んだ空気と秋の気配を含んだ風が、火照った頬を心地よく撫でていく。
「……ねえ、湊」
「ん? なに、月菜」
並んで歩き出すと、月菜がチラリと横目で俺の顔を伺ってきた。
朝の光を浴びてツインテールがキラキラと揺れ、制服のスカートが軽やかに揺れている。
「昨日の約束……覚えてるでしょうね?」
「約束って……『今日は月菜と一緒に居る時間をたくさん作る』ってやつ?」
「っ! べ、別にアンタと居たいわけじゃないんだからね!? ただ……お姉ちゃんばかりズルいから、たまには私にもお世話係としてちゃんと接しなさいって言ってるの!」
真っ赤になってそっぽを向く月菜。
照れ隠しのツンツンした態度だが、その手はどこかわずかに泳いでおり、期待に胸を膨らませているのが丸分かりだった。
「わかってるよ。今日は放課後、一緒に夕飯の買い物に行こうか」
「……! ほんと!?」
「うん。月菜の好きなおかず、作ってあげるから」
パッと顔を輝かせた月菜は、次の瞬間には「ふ、ふん! まあ、アンタがそこまで言うなら付き合ってあげてもいいわよ!」と必死に平静を装っていた。
そんな彼女の姿が愛おしくて、俺は思わず口元を緩ませるのだった。
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キーンコーンカーンコーン──。
放課度を告げる終わりのチャイムが校内に響き渡る。
ホームルームが終わるやいなや、月菜はサッと自分のカバンを持ち上げ、俺の席の横へやってきた。
「湊、準備できた? 早く行かないとスーパーのタイムセールに遅れるわよ!」
「はいはい、今行くよ。月菜は相変わらず主婦並みにタイムセールに敏感だなあ」
「なっ……! だ、誰が主婦よバカ湊! 私は家計を預かる長女(の代わり)として当然の配慮をしてるだけ!」
プリプリと怒りながらも、どこか嬉しそうに足早に歩く月菜。
校門を抜け、夕暮れ時の商店街へと足を向ける。
街の街灯がぽつぽつと灯り始める中、俺と月菜は二人並んで歩いた。
昨日、陽葵さんと歩いた時とはまた違う、甘酸っぱくも心地よい緊張感が漂う。
「ねえ、湊。今日のご飯は何にするの?」
「そうだね……月菜が好きな『特製煮込みハンバーグ』にしようかと思って」
「ハンバーグ……! ほんとに!?」
目を輝かせる月菜。高校生とはいえ、やっぱり大好物を前にすると素の可愛らしい笑顔が溢れ出してしまう。
「でも、ハンバーグって種をこねたり焼き加減が難しかったりして、家で作ると中まで火が通らなかったりパサパサになりがちでしょ?」
「ふふ、大丈夫。そこは俺にお任せあれ。肉汁を閉じ込めて、冷めてもジューシーで柔らかいハンバーグを作る『秘密の隠し味』があるんだ」
「秘密の隠し味……? なにそれ、気になる……!」
身を乗り出して尋ねてくる月菜。
その距離の近さにドックンと胸が鳴るのを誤魔化しながら、俺たちは地元のスーパー『フレッシュマート』へと足を踏み入れ、賑やかに食材を買い揃えていった。
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家に戻ると、妹たちはすでにリビングで寛いでいた。
「あ! 湊お兄ちゃん、おかえりー! 月菜お姉ちゃんとデートしてきたの〜?」
「デ、デートじゃないわよ灯華!! ただの買い出し!!」
三女の灯華にからかわれて真っ赤になる月菜を横目に、俺は手早くキッチンへ移動し、エプロンを身につけた。
「よし、それじゃあ月菜ちゃん、手伝ってくれる?」
「え? 私も……?」
「うん、簡単な作業だから大丈夫。月菜ちゃんにもコツを覚えてほしいしね」
そう言うと、月菜は少し緊張した面持ちで「う、うん。足手まといにならないように頑張るわ」とコック帽ならぬエプロンを締め直した。
まずはみじん切りにした玉ねぎを炒め、冷ます。
ボウルに挽き肉、塩、コショウ、ナツメグ、そして炒めた玉ねぎとパン粉、牛乳を投入する。
「ここで登場するのが、さっき話した『ジューシーに仕上げる秘密の隠し味』なんだ」
「えっ、なになに!? スパイス? それともソース?」
「答えは……『寒天パウダー(またはゼラチン)』と『豆腐』なんだ」
「ええっ!? 豆腐と寒天!?」
月菜が驚きで目を丸くする。
「そう。ハンバーグを焼く時に肉汁が逃げちゃうのは、加熱によってお肉が縮むからなんだよね。でも、挽き肉に少量の寒天パウダー(またはゼラチン)を混ぜ込んでおくと、温まった時にゼラチンがお肉の中で肉汁をしっかり抱え込んでゼリー状に保ってくれるんだ。さらに木綿豆腐を少量加えることで、お肉の食感を損なわずに冷めても柔らかいフワフワ感がキープできるんだよ」
「へぇぇ……! お肉の中に肉汁を閉じ込めるカプセルを作るようなものね!」
「そう! 大正解。じゃあ月菜ちゃん、このゼラチンを振り入れて、しっかり粘りが出るまでこねてみて」
「うん、わかったわ!」
月菜がボウルに手を伸ばし、一生懸命に挽き肉を捏ね始める。
白く細い手が一生懸命にお肉を混ぜ合わせる姿に、俺は思わず微笑んだ。
「……あ、ちょっと力が入るとやりづらいかな。こうやって手のひら全体で包み込むように……」
俺は自然な動作で、月菜の背後に回り込み、彼女の手の上に自分の手を重ねた。
「っ!??!?!?」
ピクッと月菜の身体が硬直する。
俺の手の温もりがダイレクトに伝わり、彼女の首筋から耳たぶが一瞬で林檎のように真っ赤に染まった。
「み、湊……!? 近い……近すぎるわよ……っ!」
「あ……ご、ごめん! 教えるのに夢中でつい……!」
慌てて手を離そうとした俺だったが──。
「……だ、ダメ」
「え……?」
「……離しちゃダメ。このまま……教えて」
消え入りそうな声で呟いた月菜は、背中を俺の胸に預けるようにして、そっと力を抜いた。
甘い髪の香りと、トクトクと脈打つ彼女の鼓動がダイレクトに伝わってくる。
二人きりのキッチン。
包丁のトントンという音も、外の賑やかさも遠のき、世界に二人だけ取り残されたかのような濃密な甘い空間が支配する。
(……やばい、理性が……っ!)
俺の心臓は破裂しそうなほどに激しく鐘を鳴らしていた。
月菜の体温、重ねられた手の感触、そして照れ隠しに唇を噛みしめる彼女の横顔。
「っ……よし! 形を整えて、焼くぞー!!」
「きゃっ!? 急に大声出さないでよバカっ!」
限界を迎えた俺は、叫ぶようにしてシチュエーションを切り替え、ハンバーグをフライパンに投入したのだった。
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──じゅうううううっ!!
両面に綺麗な焼き色をつけたハンバーグに、赤ワイン、ケチャップ、ウスターソース、そして隠し味のバターを加えた特製デミグラスソースを注ぎ込む。
蓋をして弱火でじっくり煮込むこと数分。
フタを開けた瞬間、溢れ出たのは濃厚なデミグラスとお肉の香ばしい至高のハーモニーだった。
「うわあぁぁぁ……! すっごく美味しそう……!」
「出来上がりだよ、月菜ちゃん」
盛り付けられたハンバーグは、ふっくらと丸く膨らみ、艶やかなソースを纏って輝いている。
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```
「「「「「「「いただきます!!」」」」」」」
食卓に揃った妹たちが、箸やフォークを一斉にハンバーグへと突き立てる。
その瞬間──。
──ジュワッ!!
お肉の表面を割った瞬間、溢れ出た溢れんばかりの肉汁が皿の上に広がった。
「──っ!! なにこれぇぇぇ!? 肉汁が溢れて止まらないんだけど!?」
「んむっ……!? ふわっふわ! お肉なのに口の中で溶けるみたい……!」
「湊お兄ちゃん! このハンバーグ、お店のよりずっと美味しいー!」
五女の木乃香も「ふ、ふん! まあまあね……! でも、お代わりがないと評価してあげないんだから!」と大口でハンバーグを頬張り、七女の土和も口の周りをソースだらけにしてニコニコと笑っていた。
「月菜、今日のハンバーグ、手伝ったんでしょ? すごく美味しいわ」
帰宅した陽葵さんが、月菜の頭を優しく撫でる。
月菜は照れくさそうに笑いながら、俺の方をチラリと見て言った。
「ふん……私は湊の指示通りにしただけよ。でも……本当に美味しいわね、湊」
その言葉と、二人だけの秘密の時間を共有した達成感に、俺の胸は温かな幸せで満たされていくのだった。
だが、月菜の誕生日まであとわずか。
長女との『秘密のプレゼント』を巡る、さらなる甘く切ない波乱が、すぐそこに迫っていた──。
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【本日のお世話係メモ:家庭で役立つ豆知識 #15】
『冷めても極上ジューシー! 煮込みハンバーグの肉汁閉じ込め術』
ハンバーグの種を作る際、挽き肉500gに対して「粉ゼラチン(または寒天パウダー)小さじ1〜2」と「水切りした木綿豆腐50g程度」を加えて練り込みます。ゼラチンが加熱時に肉汁をゼリー状に抱え込んで外に逃さず、豆腐が全体の食感をフワフワに保ってくれます。ナイフを入れた瞬間に溢れ出る肉汁の感動を、ぜひご家庭で試してみてください!
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