第3話 流れを止める
「あ……きたぞ」
「え? マジで?」
「うわ……重くないか?」
「来たって感じだな」
腹の奥が、じわっと沈む。
「お腹……痛くなってきた」
「え? 俺も」
言葉が止まる。
同時に、同じ感覚。
「……どうするよ、これ」
「ああ……どうするよ」
「普通に切る、じゃダメだろ」
「うん。切っても、また来る気がする」
「じゃあ、どうすべきだ?」
少しだけ、沈黙。
「いい人だからって、切れないって思ってた」
「俺もだ」
「でもさ」
橋本が、はっきり言った。
「“いい人”ってさ」
「……うん」
「相手を削ってまで成り立つもんじゃないだろ」
「……ああ」
胸の奥で、何かが噛み合う。
「俺ら、勝手に“いい人”って呼んでただけだな」
「そうだな」
「でも、やってることは――」
言いかけて、止める。
言葉にしたら、戻れない気がした。
「……いい人じゃない」
「……ああ」
腹の重さが、少しだけ輪郭を持つ。
これは、ただの疲れじゃない。
「切る、じゃなくてさ」
橋本が続ける。
「流れを止める、だな」
「……止める?」
「反応しない。受け取らない。返さない」
「……できるか?」
「やるしかないだろ」
スマホが、もう一度震える。
通知は、そのままにする。
「……まずは、今からだな」
「ああ」
触らない。
開かない。
返さない。
それだけで――
腹の重さが、わずかに引いた。
***
「こいつら……」
思わず、声が低くなる。
「なんでか、自分のこと“いい人”だと思ってないか?」
「あ……」
橋本が、少しだけ顔を上げる。
「わかる」
「“俺らは善意でやってます”みたいな顔してる」
「……してる」
「むしろ、味方ですって顔な」
「あれ、何なんだろうな」
一瞬、言葉が途切れる。
「でもさ」
橋本が、静かに続ける。
「こいつら……俺らが助ける前提で来てるよな」
「……ああ」
「最初から」
その一言が、やけに重く響く。
「俺らを狙ってたんだ」
「……」
「選ばれてた、って感じか」
橋本が苦く笑う。
「“こいつならいける”って」
その瞬間――
視界の奥で、何かが重なった。
言葉じゃない。
でも、確かに見えた気がした。
笑っている顔。
困っているふり。
距離を詰めてくるタイミング。
全部が、綺麗に繋がる。
最初から。
一直線に。
「……俺ら、“かも”じゃなかったな」
ぽつりと、呟く。
「最初から、だった」
胸の奥が、すっと冷える。
理解したからじゃない。
繋がってしまったからだ。
***
「なあ、広重」
橋本が、まっすぐ言った。
「俺らさ……俺らの世界で生きないか?」
「え?」
「囲うとか、そういう話じゃない」
一度、息を置く。
「別にさ、あいつらいなくても生きていけるだろ?」
「……ああ」
「ならさ」
橋本は、静かに続けた。
「もう、流さなくていい場所に行けばいいんじゃないか」
「関係なしにするってことか」
「それ」
「普通に、いいことしても削られないやつらとだけ関わる」
「困ったときに話を聞くとか、普通だろ」
「それやっても大丈夫な人と付き合えばいい」
「……そういう世界、か」
「うん」
橋本は、少しだけ笑った。
「俺らの“普通”、やめなくていいんだよ」
胸の奥で、何かがほどける。
「……それな」
小さく頷く。
スマホが震える。
通知は、そのままにした。
触らない。開かない。返さない。
それだけで――
さっきまであった重さが、すっと引いていく。
「な?」
「ああ」
橋本が、軽く息を吐く。
「これでいい」
***
「何か……あいつら、どうでもよくなってきたことないか?」
「それな」
肩の力が抜ける。
さっきまでの重さが、嘘みたいにない。
「あ……注文、入った」
画面に新着通知。
さっきまで止まっていたはずの流れが、動いている。
「俺も……」
橋本がスマホを見て、少しだけ目を丸くする。
「彼女が、“ごめん”って」
「え?」
「向こうからだぞ」
「……マジか」
一瞬、言葉が途切れる。
さっきまでとは、明らかに違う。
「なんだこれ?」
ぽつりと、漏れる。
理由はわからない。
でも――
さっき“止めた”瞬間から、
何かが、戻ってきている。
「……流れてたんだな」
「ああ」
橋本が、静かに頷く。
「俺らから、外に」
「で、止めたら――」
「戻ってきた」
二人で、顔を見合わせる。
少しだけ笑う。
さっきの笑いとは違う。
軽い。
「……これでいいな」
「ああ」
スマホは、まだ震えている。
でも――
もう、触らない。
***
「あのさ……俺、スマホ買いに行こうかな」
「……あ」
橋本が、同じことを思っていたみたいに笑う。
「俺も」
一瞬、目が合う。
「新しくするか」
「ああ」
理由は、言わない。
でも――
わかってる。
ここから先は、持っていくものを選べる。
誰と繋がるかも。
何を受け取るかも。
「今のやつ、どうする?」
「そのままでもいいけど……」
少しだけ考えて、首を振る。
「区切りつけたいな」
「だな」
店の前で、立ち止まる。
ガラスに映った自分が、少しだけ軽く見えた。
「行くか」
「ああ」
ドアを開ける。
さっきまでの通知は、もう見ない。
触らない。
それでいい。
新しい番号、新しい端末。
それだけで、全部が変わるわけじゃない。
でも――
流れは、自分で選べる。
「これでいいな」
「ああ」
二人で、同じ方向を見る。
――そのとき。
スマホは触っていないのに、
画面が、ふっと光った。
「……」
音は、鳴っていない。
通知も、出ていない。
でも――
そこに、何かが“来ている”。
画面に、一行だけ表示された。
『つながらなかったから、こっちに連絡したよ』
「……は?」
声が、出なかった。
指は動いていない。
誰にも教えていないはずの番号。
それなのに。
「……何で来るんだよ」
小さく、呟く。
隣で、橋本も同じ顔をしていた。
――逃げたはずなのに。
画面が、もう一度だけ、淡く光る。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
第3話では、初めて「対処」が選ばれました。
受け取らない。
反応しない。
流れを止める。
それだけで、確かに変化はありました。
ですが――
本当にそれで終わりなのか。
それとも、ただ一時的に距離ができただけなのか。
「切ったはずなのに、来る」
もしそうだとしたら、
これは“人との関係”だけの話ではないのかもしれません。




