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9話 冗談


 五月の連休初日の朝。


 汐彩が朝食を作ってくれた。

 というか、いつも三食すべて彼女が作ってくれている。

 ありがたいけど……申し訳ない。


「きょうぐらい、夕食は俺が作りますね」

「そう? 得意なのってある?」

「いや、得意料理とかはないですけど……」


 頑張るしかない。


「じゃあ、あたしが作る」

「でもそれだと……」


 同じ高校生の汐彩には負担をかけたくない。


「気なんか遣わないでいいから。お母さんだから」

「ありがとうございます……。じゃあ掃除、頑張ります」

「うん。お願い」




 きょうは友達と街へ行く予定があった。


 まだ時間がある。いまのうちに掃除しておこう。

 ところが――。


「あっ、汐彩さん。俺がやりますって」

「ぜんぜん終わりそうにないじゃない」

「だけど、このくらいは俺一人で」


 それでも汐彩がパッパッと掃除を進めていく。

 手際が良い。


「実家じゃ、毎日一人で家事のすべてをやっていたんだ。わりと広い家だったから、掃除の要領はいいつもりだよ」


 確かに手慣れた感じだ。

 それに俺、邪魔っぽい。


 結局、ほとんどをやってもらってしまった。

 俺、甘やかされすぎだ。



 ガッシャーン



 大きな音に、何事かとキッチンスペースへ急いでいった。


 食器棚から落ちたのであろう。

 いくつかの皿が割れていた。


 そう。ときどき汐彩はこういうことをするドジっ子なのだ。


「あっ、触らないでください。危ないです。指、ケガします。俺が片付けますんで」


 皿は割れてしまったが、正直ちょっぴり嬉しかった。ほんの僅かでも俺が汐彩にしてあげられることができたからだ。


 しかし全体を通してみれば、恩はぜんぜん返せていない。




 街へ出かけたのは、昼前だった。


 今回、蟹沼冬牙はいるが、庭坂柚乃はいない。

 一緒に歩くのはクラスの男子のみ。俺を含めて四人だ。


 まずは腹ごしらえ。皆でファミレスに入った。


 注文を取り終えた頃、新しい客が入ってくるのが見えた。四人組の若い女子。その中にあの人がいた。


 汐彩だ。

 彼女も街に来ていたのか。


 ちょうど俺から見える位置に座った。

 向こうもこっちに気づいたようだ。


 彼女がゆっくり目を閉じる。そして目を開けた。俺はその直後、高速瞬きを二度。これが二人だけの秘密の挨拶だ。


 おととい家で練習してから初めて実践した。

 きのうは学校で会わなかったからだ。


 やっぱりいいな、こういうの。


 そしてトイレに行こうと席を立ったあとだった。

 後ろから手で目隠しされた。


 誰だ、こんなガキっぽいことやる野郎は。


 その手を掴み、強引に解いてみると。


「よっ」


 立っていたのは老神綺沙だった。

 何が『よっ』だ。びっくりしたじゃん。

 気づかなかったが、汐彩たちと一緒に来ていたようだ。


「こ、こんにちは」

「こんなところで奇遇だね」

「そうですね……」


 老神綺沙は俺と腕を組んだ。

 俺の友人たちに向く。


「あたしのカレシ」

「「「えっ!!」」」


 鳩が豆鉄砲を食ったような野郎どもの顔。

 そりゃそうだろう。嘘だとわかってても驚くさ。

 俺だって一瞬呼吸を忘れたくらいだから。


「なーんてね」

「「「……」」」


 ふざけ過ぎ。


「じゃっ、また」


 お騒がせな老神綺沙は、笑顔を残して仲間のもとへいった。


 俺は野郎どもにより、ふたたび席へ引っぱりおろされた。


「いまの綺沙ちゃんじゃねーかよ」

「お前、四天王の一人と知り合いだったと?」

「どーなってる、言え! 吐け!」


 冬牙だけでなく三人全員が、老神綺沙のことを知っていたようだ。


 まず冬牙。親しくもない先輩に『ちゃん付け』はやめろ。


 次にイッシー。四天王の知り合いは一人じゃない。二人と知り合いなんだぞ。羨ましいだろ。お前らには内緒だけど。


 最後にヤマッチ。どーなってるかなんて言えるわけねーよ。それを明かすには、汐彩のことも説明しなきゃならないからな。


「以前、たまたま話す機会があっただけだ。たぶん、向こうは俺の名前も知らないだろうし」


 冬牙が目を細める。


「最近の怜己、ときどき行動が怪しいんだよな。昼飯も一緒に食わなくなったし」


「おとといだけだろ。きのうは三人で食ったじゃん。てか、俺、トイレ行くところだったんだ。行かせろ」


 しかしトイレから戻ってからも、ずっとイジられっぱなしだった。


 ところが老神綺沙のテーブルに汐彩もいるのを知ると、この野郎どもは、眼福だとか言って大歓喜。狂ったように盛りあがりやがった。もちろん彼女たちに近づけるわけではなく、遠くから眺めることしかできないのだが。


 おかげで俺はイジリから解放されることができた。



 さて、ドリンクバーのコーナーへ行こうとしたときのこと。



 ガッシャーン



 すぐ近くで陶器の割れる音がした。

 似たような音を今朝も聞いたと思う。


 女性店員が震えている。


 さげようとした食器を落としたのは彼女のようだ。

 俺たちと同い年くらい。きっとバイトの人だ。


 ベテランの店員に睨まれ、背中を丸めている。

 よっぽど怖い人なのだろう。

 しゃーない。助けてやるか。


「すみません。俺がぶつかっちゃいまして」


 ベテラン店員に聞こえる音量で言った。

 バイト風の彼女はこっちを見て、不思議そうな顔をする。


 俺は小さな首肯を送った。

 いいから俺に合わせろ、と。


「すみません」


 小声で謝罪された。

 いや、すみませんは感謝の言葉か。


 ベテラン店員が清掃用具を持ってきた。


「俺、弁償しましょうか」

「いいえ、問題ございません」


 ベテラン店員は笑顔を作ってみせた。

 たぶんこれで若い女子店員は叱られることがないだろう。

 俺はドリンクバーのコーナーへ行った。


「へえ、優しいんだ」


 振り返ると老神綺沙がいた。


「何がですか」

「見てたよ。ぶつかってなかったのに、庇ったでしょ」


 見られていたか。

 なんか照れくさい。


「怖そうな店員の目を気にしてたみたいだったんで」

「ふうん。でもそこまでする?」


 普通ならばしない。

 けれど……。


「あのドジっぷり、見ていられなくなったんです。まるで、ある人を見ているようで」


 老神綺沙がニヤッとする。


「うん、あの子と同じだね。いつもああいう感じだから」


 汐彩の名前を出さずとも、互いに意味が伝わったようだ。


「そうなんです。実は今朝も食器を割っちゃいまして」


 今朝のことがなければ、おそらく店員を庇わなかったと思う。


「ふふふっ。あの子らしい」


 二人で笑った。

 老神綺沙とこんなに話をすることになるなんて思わなかった。


「ちょっと。誰のことを笑ってるの!」


 背後から聞こえたのは汐彩の声だった。

 ヤバい。


従弟(いとこ)くんの振る舞い、男前だったでしょ?」


 老神綺沙の前では、従姉弟同士という設定になっている。


「それはそうだけど……なんであたしの悪口になるの?」

「悪口じゃないって。むしろドジ(そこ)は長所よ、長所」

「どこが長所よっ」


 だが俺は老神綺沙に同感。

 汐彩の長所だと思う。




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