ゲート前の奇跡
(何が、暮らしやすい街なのさ)
立木久美(18歳)は心の中で呟いた。目の前にはゲート。付け足したように貧弱な庇も設けられている。
「開けゴマ。開けゲート。扉を開けて」
閉ざした観音開きのゲートは沈黙している。
(やっぱりゴマの呪文は迷信か、開かないね)
久美が苦笑いしてから見上げると、銀色に輝くゲートの上に「good living city」という小さな文字。高さ十メートルの壁が左右へ続く。理想的な都市として誕生したgood living cityだが、人間は理想とかけ離れていた。
(こうなれば、あの作戦だね)
ゲートを抜ける名案も考えている。都市条例が行動や思想まで制限しようとしていた。だから、都市の外、条例の届かない場所へ、久美は行きたいのだ。
「隆一先輩、おはよう」
隣接して『ワノナ市・西ゲート』の案内板が掲げられた管理人室へ声をかる。涼しい風を吐き出したドア。箱崎隆一(20歳)が、困ったような表情で現れた。
「おはよ。また、脱出ゲームかな、久美」
彼は都市保安員の制服を着て、真面目ぶっている。
「ほんの、お遊びよ」久美は愛想笑いで、話を合わせるように頷く。
「ねぇ、せんぱーい。ゲートを開ける呪文を知らないかしら」
久美は甘える妹分を演じた。隆一は照れた表情をみせながらも、ぶっきらぼうに言う。
「有るわけない。ちょっと頭を冷やせ。冷房も聞いているから」
管理人室へ誘導した。久美は開襟シャツとショートパンツ姿だが、気温28度のgood living cityでは、ありふれた服装だ。
(やったね。一石二鳥というのかな)
背負っていたリュックを応接用のソファーへ置くと、ドカッと腰を下ろした。
「元気なお嬢さんで」穏やかな視線を送る。
「あはっ。ありがとう」無邪気に喜ぶ。
「皮肉だってーの。もっと、こう淑やかに」
「そうなんだ。ねぇ、それ、色気ってやつ」
(そりゃねー。私に色気なんかないけどさ。こっちも照れ隠しだってーの)
「久美に色気は期待してないって」
隆一は久美がゲートの外へ出たいのを知っていた。いまは、幼馴染の会話になる。
久美はゲートの外にも出たいが、隆一へ会うのが目的みたいになってきてもいた。
(いやいや、今日は試したいことも有ったんだ)
ほのかな恋心を隅へ押しやり、話す。
「都市法には出入り自由となってるよね」
都市法では行動を制限もしてない。安全を確認して自由に行動できる。そして、個人の尊重。この二つだけが都市法だ。
「都市条例第2条。付則の3項『市民の安全確保のため、ゲートは封鎖する』だ」
何回も聞かされている理由だ。都市の外は汚染されているし、凶暴な野生動物だっているかもしれない。
(もう! いつから頭の固い大人みたいになったの先輩は)
「ねえ、せんぱーい。幼稚園のころ、ピクニックの歌があったでしょ。ゲートを抜けて小川へ何とかって」
(だから、ゲートを通って行けるはずでしょ)
「それでリュックか。リュックしょって、あんよしてらんらららー」
「先輩も覚えてるんだね。音痴だけど」
「おん、それは余計だ」
大袈裟に不機嫌ぶるが、眉は下がり笑顔だ。
「ま、それで。開いたのか」
「言葉が必要と思ったの。だけどさ、開けゴマっていっても開かなかったし」
「それはないだろ」
隆一は呆れた表情。それでも会話に乗って来た。
「センサーが反応して、次の支持を出すはずだが」
さすが保安員。仕組みは知っているらしい。短い庇だし、ゲートの扉から、なにか反応もくるはず。
「やっぱり、あの歌だよ。2番はさ。友達を連れてランラララ―、でしょ。一人には許可しないのよ」
「まさか。俺を」
久美が遊びに隆一を巻き込むのはいつものこと。
「はい、正解」久美は隆一が承諾したように喜ぶ。
「さすが、知ってるね、私の考えは。うん、ちょっとゲートを開けるだけだから」
「おまえなー。俺をなんと思ってる」
「物凄く頼れる先輩だよ」
(そうだよね。色々な面で)
隆一の、困った人を助ける姿に、異性として憧れてもいた。
思惑通りに隆一は立ちあがった。逆に久美がリュック背負って、ついて行くかたちで、扉の前へ歩く。
「ピクニックだぞ。友達を連れて行くから開けろ」
「うわっ。そんな言い方で聞いてくれるの」
「文句を言ってきたら、謝ればいいさ。ほら開かな、いいっ!」
隆一が驚いた表情で指さすのは、壁の上から伸びてきた紐。ゲートの前まで降下する。先端の金具が蠢く。
「なにか調べてるんだよ。あの久美です。ゲートを開けてくれない?」
しかし、紐は周りを探るように揺れると、踊って引き上げて行った。
「なにか、あれだ。動きはあったな」
隆一が腕を組み、考えるようにする。ゲートの初めて見せる変化だ。
「これって、記録にもなかったけど。監視してるの」
(ピクニックっていうのは、暗号の一部かもね)
久美にとっては些細な一言だが、人類にとって偉大な一言になる。しかし、今は気づくわけもない。
「わざわざ、現れたというのは、意味があるかも知れない。初めて見る」
(さすが先輩だよ。変わってないんだ)
久美に壁の外へ興味を持たせたのが隆一だった。
(脚立をつないで、壁を越えようとしたって話してたもんね)
窮屈な世間に幻滅していた少年期も共有している。だから、都市保安員になったのにも思惑がある、と久美は考えていた。
「厄介なのは、都市条例だな」
AI主導の都市法では禁止されてないが、人間の作った都市条例を護る役人や警察が煩いのだ。
「パトロールが回ってこないうちに帰りなさい。このことは内緒にな」
「オッケー。良いヒントは見つかったよ」
(ちゃんとピクニックの形じゃないからだよ)
何人か誘って、同じようにリュックを背負えば、通れると考えた。あんがい、盲点かも知れない。good living cityと人類の、止まっていた運命が回りだした瞬間だ。
名残惜しいが、芝生を踏みしめながら引き返す久美。5メートル先にニューバイオマスで塗装された道路が延びてきていた。
「ハチ、帰るよ」
ポケットからカード型端末を出して声をかける。道路に停まる卵型ロボットが近づいて来た。長さ2メートル、鶏の卵より細長い。前のガラスが羽のように開き、窪みになる座席へ滑り込む久美。ガラスが閉じられて、モニターが前に迫り出してきた。
「メールが一件。優先しますか」
差出人が表示されていた。
「菜音からだね」
(いつも、私を不愉快にさせてるけど。決着をつけるわよ)
暮らしやすい街ではない、と直接に思わせる行動をするのが、同級生の堂梅菜音。彼女のほかにも、マウントを取りたがる人は増えたが、目障りなのだ。性格が合わない人とは、付き合わなければいいが、いつかは、理解し合えると久美は信じていた。
「いま、向かってるって返信。ノムクウへ行くよ」
「了解」
へいっ合点で、と言わないハチは、このロボットの愛称だ。長い製造番号の最後「rq8」から付けてある。揺り籠から棺桶まで世話をする個人用の専属ロボットだが、ペットと考える人もいた。




