9 「酒と涙とイ○ナズン」
そこから先は良く覚えていない。 思い出したくない。
涙目で幼稚園児レベルの罵声を浴びせた所で、「いい加減にしてくれ」と
レオンハルトが煩わしさの余り俺の腕を掴み引っ張り倒した。
その腕に俺はしがみつき声にならない叫び声でレオンハルトを引っ掻き回そうとするが、
わき腹に蹴りを入れられ丸くなって咳き込む。
叫び声に驚いてかけつけた婆様がレオンハルトを諌め、
俺はクリスタとルビィに肩を貸してもらい引き摺られるように部屋へ連れ戻された。
かつて無い程に打ちのめされた。
いや、俺なんか30歳無職だからその通りの扱いを受けて当然だ。
単に現実を思い知らされただけだ。
何より俺を頼ったクリスタにまで恥をかかせてしまった事が辛かった。
合わせる顔が無かった。
それまで飲んだことが無かった酒を飲んで無理矢理寝た。
寝て忘れるしか無い。時間が経てば忘れてくれる…と、いいなあ。
胸と腹のむかつきに目が覚めて布団の上に吐いた。
もう一度泣いた。
もうここを出よう。
行く宛ても無いが、これ以上彼女達に迷惑はかけられない。
いや、嘘だ。
逃げ出したいだけだ。
大して無い荷物はすぐにまとまった。
全部借り物だが許してもらおう。
夜中に風呂場へ布団を持って行き、丹念に洗った。
布団と言っても薄っぺらいものだから意外と苦労は無かった。
ここを出て行く前に、せめて汚れだけは落としておこう。
広い庭の片隅にある物干し台に布団をかけ、
吹っ切れたとも諦めがついたとも思える大きなため息をついて歩き出す。
何もできないだろうが、自分の足で歩こう。
野垂れ死ぬその時まで。
あの恥に比べたらもう何でも出来る気がした。
いっそどうにでもしてくれ、という捨て鉢な気分に浸っていた。
門の前には一人、少女が立っていた。
しまった、気付かれていたのか。
布団を干すべきではなかったのかもしれない。
丁度雲の隙間から月明かりが彼女を照らし出した。
夜風に揺れる銀の髪が月の明かりで煌き、言葉を失うほどに引き立てていた。
下手な事を言われたくない。
俺から謝ってしまうに限るな。
「なんかゴメンな。見っとも無い姿さらしちゃって。」
「ううん。 嬉しかった。 ありがとうね。」
続く言葉がどうしても思い浮かばなかった。
「じゃ。」と短く一言、手を上げて去る。
後ろ髪を引かれる思いはある。
と、思ったら物理的に引っ張られてた。 服の裾を。
「やだ。」
クリスタは小さくつぶやく。 小刻みに震えたかと思うと涙声で訴えた。
「見っとも無くてもいいから、格好悪くてもいいから、
ずっと一緒に居てよ! もう誰とも離れたくないよ…」
あぁ…そうだ。
何だかずっとこの言葉を待っていた気がする。
ここに来る遥か昔から…
ダメ人間の俺を受け入れてくれる、そんな人を。
俺そのものを受け入れてくれた訳じゃないのは分かってる。
クリスタが竜種として認められ、ここに閉じ込められるまでに辛い別れがあったのだろう。
それが理由となって、一度打ち解けた人とはもう誰とも別れたくないのだ。
分かっていても嬉しい。
自分の中のずるい気持ちを認めたうえで、やはりここにまだ居たい。
俺は涙声でこらえきれぬ涙を眼に浮かべながら嗚咽と共に気持ちを吐き出してしまった。
「ぐう…ぅ…ごめん。 どこにも行かないよ。
本当はここにまだ居たいです。居させてください…。」
これが三十路に入った男の姿か、とは思うが仕方ないさ。
これが俺なんだから。
恥ずかしいから逃げるなんて贅沢すら許されないんだ。
見っとも無い姿をさらし続けてでもここにしがみつきたい。
煮え切らないグズ男でもいい。
一緒に居よう。
涙が収まるまでにしばしの時を要した。
恥ずかしさで互いににへらと笑って、ごまかすようにそっぽを向いた…先に二人がいた。
ルビィとアクエリアスだった。
「だから言ったのよ! 最初から踏ん縛って柱にでもつないでおけば収まるからって!」
ルビィは本当に手にロープを持っていた。おいおい。
「二人とも甘えん坊さんですからね。 縛りつける必要なんてないんですよ。」
と微笑みながらアクエリアスがクリスタの手を取って言ってる。
まあ違いない。
俺はおそらく二つの世界で一番自分に甘い男なんだ…
認めた上で一歩前に進むしかないんだぜ。
館に戻ると玄関には婆様とエミィが居た。
婆様は何か全く近頃の若いモンは…とかぶつぶつ言ってる。
エミィは俺をポコポコと叩きながら、抱きついて離れようとしなかった。
言ったからには魔法使いになってやる。
石に噛り付いても。
いや、女の尻にしがみついても、だ。