5 「ネオン」
海とアクエリアス、侵食された街へオン ステージ
夜が更けるにつれ積雪が激しくなり、建物の外は静寂の騒音に包まれる。
積もった雪は音を吸収する。 雪の滑り落ちてくる音ならぬ音だけが魔法院を支配していた。
せっかく部屋を用意してもらったのに、カチナとルビィはこの雪の中ヴァルベルデの街に戻ると言う。
引き止めたものの、雲の上に昇ってしまうから大丈夫だと言われては引き下がるしか無かった。
二人を強く抱きしめて別れを惜しむ。
「なるべく早く戻ってきてくれ。 二人は本当に頼りになるからな。」
世辞や気遣いからではなく本音だ。 明日からやるべき調べ事には向かないが、こと荒事になればこの二人のコンビは万能と最強を兼ね備えている。
騒がしいのだけが珠に瑕というくらいだ。 今回はまさにそこが引っかかったわけだが…
乗ってきた家は魔術院の中庭の片隅に置かせて貰うことになった。
暖炉が小さくて少々弱いので、寝る時は魔法院のゲストルームを借りる事にしよう。
だが、荷物を運ぶにも遅い時間なので、今晩だけはこちらで寝る事にした。
「アクエリアスは向こうの客室を借りると良い。 俺はここで寝る。」
「そうは参りません。 何があるか分かりませんから、常に二人一緒に居たほうが良いと思います。
魔法院の方を完全に信用してしまうのも早いでしょう。」
「それもそうか。 大事を取っておくべきだな。」
「あと、一応私も海さんの妻ですので。 ふふっ」
少しイタズラっぽく言い放ち、アクエリアスは家の中に入っていった。
アクエリアスはかなり寡黙な女だ。 堅物という訳でもないが、あまり冗談や浮わついた会話をしている所を見ない。
ああは言っても、彼女自身も少し旅行気分なのかもしれない。
まあ構わんさ。 どうせ地味な依頼だ。 少しくらい楽しんだって罰はあたるまい。
ドラゴン教団の信徒が消息を絶ったと言っても、何とか言う新興宗教にあてられて改宗しただけの事さ。
「では、失礼して…」
アクエリアスが俺の布団に潜り込んでくる。
おや、アクエリアスが俺と寝ようとするなんて初めてだ。
一緒に寝るのはこれまでクリスタとルビィとカチナだけだった。
3人もいて「だけ」と言うのは正直おこがましいが、立場上仕方が無い。
第一、これは本当に一緒に寝るだけだからな。 手が出せない。
ただ寄り添って腕枕で寝るだけの悲しい同衾だ。
俺の持つ最大の能力、反魔力の保持には童貞で在る事が絶対条件だから。
いや、それは俺だけの思い込みかもしれないのだが…もし、当たってたら取り返しがつかない。
皆にはそれとなくその事を伝えてあるから、危機感も薄くこうして布団に潜り込んで来る。
忍耐にも限界がある事を彼女達は知るべきだ。 知るべき時が来るのだ。
それは今夜かもしれない。 せいぜい気をつけることだ。 と、心の中だけで粋がる。
飼い慣らされて鎖に喜んで繋がれてる。 野生を失った獣がこの俺の正体だ…
かなり遅くまで寝込んでしまったようで、起きた時にはアクエリアスの姿が無かった。
前の晩はカチナの側で一晩中起きていたので結構疲れていたのだ。
歯を磨いて口の中の嫌な感じにけりをつける。
寒さの余り毛布をマントのように被りながらベッドを抜け出しキッチンへ向かう。
アクエリアスが一人寂しく食事をしていた。 互いに挨拶を交わし相伴にあずかる。
魔法院長達との話はまた夕方からなので、今のうちに街へ出てみよう、とアクエリアスと打ち合わせをする。
院から街までは1kmも無い距離だ。 街のすぐ南西が魔法院の敷地となっている。
だがこの雪の中だし、歩けば30分ほどはかかるだろう。 今日も雪は降り続けている。
アクエリアスも北国で過ごした経験は無い、と昨晩話していた。
防寒着を隙間無く着込んで出発の準備と覚悟をしておく。
とりあえずは街の表通りをいくつか歩いて、大まかな地理を知っておけば十分だろう。
それにドラゴン教団の施設の場所も聞いてある。
街までの道は雪で表面こそ白く綺麗なものの、そのすぐ下は踏まれて解けた雪と泥でぐちゃぐちゃになっている。
ブーツでなければとても歩けない道だ。 替えのブーツくらいは購入しておくべきだったか。
魔法院へ物品納入の用かと思われる馬車と数台すれ違った程度で、人とは会う事無く街の南門に辿り着く。
幅が15mはある大きな門で、それなりのサイズの馬車が通れる程度に開けてある。
空いてる隙間の両端に2人、門の端と端また2人の門番が立っており、肩と頭に雪を積もらせている。
俺とアクエリアスはコートのフードを剥ぎ、顔を明らかにしておいた。
下手に不審に思われても困るから。
空気が変わった。
門に近づくと、魔法院で感じていた静謐な感じは消え去り、街の猥雑な雰囲気が漂う。
とは言え降りしきる雪の中は下町の喧騒とは一味違う、様々な道具などが出す音や雑踏の足音が混ざり合って醸し出される地味な猥雑さだ。
俺とアクエリアスが門をくぐろうとすると、両側の門番が出てきて差し止められた。
「お前達、入場許可書は?」
「いや、無い。 俺達は旅行者だ。」
「ならばあそこで登録を済ませてくれ。」
「オーケー。 いこう、アクエリアス。」
門の端のほうの門番の脇に台座のような物が据えてある事に気付く。
ははあ。あれが端末か。 日本の大きな街の駅周辺に据えてある奴と変わらんな。
この手のものは世界が変わっても形や使用法が大きく変わるもんじゃない。
食器や家具と同じだ。 人間の形をしてる限り、物の使いやすい形ってのは人間工学的に決まってくる。
俺はタッチパネルを操作し、入門許可の項目を選択した。
新規、旅行者、短期滞在、ソーサリス在住、名前…とガイドに従い、入力していく。
職業は学生と入力しておいた。 魔法院でその立場を保証してもらう約束をしてあったからだ。
最後に指紋だか静脈だかを登録するセンサーに指を差し入れ、その上に設置してあるゴーグルに顔を当てる。
こっちは網膜パターンだな。 ただの旅行者に厳重な登録を強いるものだ。
「あの、海さん。」 「ん?」 「私こういうの初めてなのですが…」
「おっとそうか、この液晶自体がセンサーも兼ねているから、目的の場所に軽く触れるだけでいい。
タームは大抵右上に新規のためのガイドがあるから、次からそこを参照すればいい。
今は俺が教えよう。 まずここの新規入場に触れて――」
恋人、というには少し前後している事がある関係だが、そういう立場の女に物の使い方を教えるのも楽しいものだ。
男冥利に尽きる感がある。 恐る恐るパネルに触れるアクエリアスの姿を見て目を細めた。
タームの中断にカードの排出口があり、そこから二人のパスが発行された。
パスを門番に見せると首からかけていたコードリーダーでパスをチェックされ、無事門を通過する事がかなった。
聖ザイツブルグと名乗ってる割には割とセキュリティに気を使ってるじゃないか。
門番から後でもう一度タームを確認して、グリーン以外のエリアに近づく時は気をつけろ、と忠告をもらう。
手を軽く上げ背中でOKと返事をしながら門を後にした。
…ん? 何か変だな?
俺は振り返り、少し後ろを歩きながらパスをしげしげと眺めるアクエリアスを視界に捉えた。
何かこう、いつもと違うような。 いや、むしろ懐かしいような。
雪で覆われていることを覗けば最初にソーサリスに来た時の街、ユーピガル城塞都市に似てるからだろうか。
それともメーテルじみた格好をさせているアクエリアスに、銀河鉄道的な幻想郷愁を感じているのかもしれない。
ひとまず真っ直ぐ大通りを歩き、露店を眺めながら中央広場を目指そう。
通り沿いの建物は大抵が何かのショップだ。 軒先は雪を被ってしまうので透明なポリエチレンフードをかけてあるから、店の中はいまいちはっきりと見えない。
だが、大都市だけあって様々な物が置いてある。 日用雑貨や食料、軽銃器は当然の事チップチューンのショップや没入型VRソフトなどだ。
俺とアクエリアスが離れて動いた時用にスマートデッキくらいは買っておくべきかな。 でも月額料金どれくらいだ。
そもそも二人ともまだウェットドライブだしなあ。 この際、ニューロリンクくらいはスタッドインしておくべきかも知れない。
そんな風に通りの店を覗きながら歩く俺の後ろを付いて来たアクエリアスが口を開く。
「海さん、あの…」 「どうした?」
「恥ずかしいのですが、ひとつ聞いても良いですか?」
「ああ。 だが手短に頼むぜ。 時間はスキルチップより貴重だ。」
「私、先程から海さんが何をおっしゃっているか、さっぱり分からないのですが…」
「例えばどれだ?」
「その…城門でもらったこのカードは何の意味があるのですか?」
「IDカードだよ。 さっきデータタームで登録した情報がそこに入ってる。
ほら、ここに3段のコードがあるだろ? 上が入力した情報を暗号化してる図形、中断と下段はそれぞれ指紋・静脈情報と網膜パターンだ。」
「はあ…そのデータタームというのからして初めて見たものですから。」
「あれは街の案内板だよ。 ほら、あそこにも設置してあるだろう。 あれで街の地図を参照したり、目的の品やサービスがある店舗を検索できるんだ。
非常時には警察や消防へのコール、後その場でブースターなどの輩に襲われたときのアラーム鳴らしたりできるし、ターム自体が鉄とコンクリで囲ってあるからショットガンのスラグにも耐えられる。」
俺はデータタームの使い方をアクエリアスに教えてやる。
やっぱり女はこういうのは苦手だろうからな。
「もちろん怪我や急病の時にも病院へコールして救急車を…場合によっては高額だけど…エアロダインで空中…搬…送…あれ?」
俺は何をしゃべっている?
なぜか不安に駆られ、自信を失ってしまった。
アクエリアスは何かを悟ったように表情を引き締める。 普段は割とおっとりした女だが、戦いの時だけは抜け目が無い。
嗅覚が良いというか、勘が良いというか…その手のセンスに磨きがかかっている。
ただ、今時ソードアクションしかしないのが欠点だ。 やはり片手にはハンドガンくらいは持たせてガン・カタールスタイルが…あれ?
自分がこの場に居ないような不思議な非現実感を感じ、何か立つ地面を失ってしまったような不安感が増していく。
「海さん―― あれは、何ですか?」
アクエリアスが指差した先はうらぶれたバーだ。 そう、どこにでもあるチンピラやブースターが…たむろ…
いや、こいつが聞きたいのはそこじゃない。 店の上にあるものを聞きたいのか。
あれも、どこにでもある旧式の看板で、今じゃLEDやライトファイバーに素材が置き換えられてるが…
所々管が切れかけてジリジリとコンデンサが唸り声を上げているのもむしろ風情とすら言える。
「何って、あれは昔ながらの――」
ネオン看板!?
言葉に乗せると同時に戦慄した。
「何故ネオンがソーサリスにある!? そもそもさっき俺は何を考えていた?
網膜パターン、チップチューンショップ、スマートデッキ…ニューロリンクだとッ!?」
俺が映画や小説でしか知りえないものが目の前にある!
しかもそれらを俺は当然のものとして「知っていた」。
この街で何が起きている! いや、ここは一体―― どこなんだ。
考えられる事は唯一つだ。 俺はその場でアクエリアスの肩を掴み叫んだ。
「新手の異世界使いだ! この街は異世界使いの攻撃を受けているッ!」
いつからだ!
一体、いつから俺は侵食されていた!?
ともかくここに居るのは果てしなくヤバい。 下調べのつもりで街に繰り出したが、ここは既に…敵の本拠地だ!
敵の正体も分からないが、既にこのサンクトザイツブルグは敵の手に落ちている。
アクエリアスの手を強引に引きなるべく人目につかない路地裏へと引き込んだ。
「海さん! どういう事です!?」
心臓が警鐘を鳴らすように速く脈打つ。
自身を落ち着かせるために、必要以上に大きく呼吸を繰り返し同時に頭の中を整理した。
落ち着いて路地の角から街の様子を観察する。 全てが変だった。
中世の建物にかかるネオン看板、電線。 街角にあるデーター端末。 空中を走るVTOL機。
町を行き交う人々も変だ。 トレンチコートにハンチング帽。 これはソーサリスのファッションじゃない。
手にはスマートデッキを持ち、耳にあて通話している。 中には軽火器を隠そうとせずに所持している者もいる。
そして一人の男は歩く度に低いモーター音を響かせている。 あれは…義足だ!
「アクエリアス、有難う。 君が教えてくれなかったなら、俺はあのまま異世界の法則に呑まれていた。」
「異世界…また、精霊魔王ロンガロンガのような、ですか?」
「ああ、あの時世界が精霊世界に汚染されたように、今この街が別の世界に汚染されている。」
「それで不思議なガラス越しの魔方陣やカードがあるんですね。」
「その通りだ。 但し、それは魔法じゃない。 機械技術だ。 飛びぬけて高度な機械文明がここに侵食してきている。
そして今回は俺もその機械文明に汚染されていた…
敵の正体も目的も分からないが、異世界使いである事は確かだ。
しかもこれは局地的ながら、かなりの深度で汚染されている!」
俺達が精霊魔王を倒した直後かそれ以前か、敵はすでにサンクトザイツブルグの街に深く根を這わせていたのだ。
アクエリアスの一言で辛うじて異世界の侵食を免れた海。
聖ザイツブルグの街は既に敵の手中であった。 捜査は危険度を増し、困難を極める。
次回、時計仕掛けの大司教編 第6話「スワッシュ」
未来は答えた。 一時の快楽ドラッグのために一生を費やせ、と。




