【第百三十話】小さな気配
〈世界樹・根の流路〉
根の流路を漂う光は、変わらず静かに流れ続けていた。
百年前。
ハーデスが始めた研究。
その隣にいたペルス。
そして――真聖会。
別々だと思っていたものが、一つずつ同じ線の上へ並んでいく。
ナナセは椅子へ背を預けたまま、しばらく天井を見上げていた。
「じゃあさ」
やがて、顔を戻す。
「今の教皇も、ハーデスの子孫ってこと?」
「ええ」
ラクテアが頷く。
「初代教皇ハーデス以降」
「教皇の地位は、その血を継ぐ者たちへ受け継がれてきました」
「……世襲なんだ」
「表立って明かされているわけではありませんが」
「少なくとも」
「私たちが確認できている限りでは、その血統は途切れていません」
オボロが僅かに眉を寄せた。
「現在の教皇も?」
「はい」
ハルモニアの声音が少しだけ硬くなる。
「現在、真聖会の頂点に立つ者の名は――ストラヴィス」
「ストラヴィス……」
サツキがその名を口の中で確かめる。
聞き覚えのない名だった。
「どんな人なの?」
ヒナノの問いに、ハルモニアは少し考えるように視線を落とした。
「私も……詳しく知っているわけではありません」
「え?」
「真聖会が本拠地を置く聖アスルード公国近郊にも」
「世界樹の苗は存在します」
「その周囲にいる精霊や人々を通じて」
「起きている出来事の一部を知ることはできますが……」
「それも、あくまで外側から見えるものに過ぎません」
「――ただ」
ハルモニアの表情が僅かに曇る。
「ストラヴィスが......」
「少し特殊な経緯で教皇になったことは知っています」
「特殊?」
「ええ」
「およそ二十年前――真聖会は、大規模な儀式を行いました」
――二十年前。
その言葉に、ポラリスの指先が僅かに動く。
ナナセの視線が、一瞬だけそこへ落ちた。
「当時の教皇は、イゴールという男でした」
「ストラヴィスの父親です」
「父親……」
「もちろん」
ラクテアが静かに続ける。
「ハーデスの研究と思想を受け継いだ」
「歴代教皇の一人でもありました」
百年という長い時間の中で、形を変えながら残り続けた研究。
イゴールもまた、それを受け継いでいた。
「彼が行おうとしたのは」
ハルモニアの声音が僅かに低くなる。
「――人工の器を使用した、精霊王の降臨です」
「……人工の器?」
ヒナノが目を丸くする。
「この百年」
「彼らは、精霊王エキュピュリア様の降臨を諦めていません」
「何十年という時間をかけ」
「真聖会の信仰は各地へ広がっていきました」
「もちろん、相容れない国家もありましたが……」
「ヴェルトム帝国では、既に軍の中枢にまで浸透しています」
ナナセの表情から、いつもの軽さが消える。
「……帝国技術開発局か」
「それだけではありません」
「現在の元帥も、真聖会の信徒です」
「……じゃあ」
ナナセの目が細くなる。
「クーデターの背景に真聖会がいるのも、ほぼ確定か」
「そう考えていいでしょう」
サツキの眉間に皺が寄った。
「その人工の器を使った降臨は、成功したの?」
「……分かりません」
「分からない?」
「真聖会が公にしている記録では、失敗したとされています」
「儀式によって、前教皇イゴールと当時の聖女は命を落としました」
「……二人とも?」
「ええ」
ハルモニアの表情が、さらに険しくなる。
「ですが――そこで終わらなかった」
根の流路を漂う光が、ゆっくりと二人の間を流れていく。
「私は、その場を直接見たわけではありません」
「ただ……精霊たちが怯えていました」
「世界樹の苗を通して、その恐怖が伝わってくるほどに」
「あの場所には、途方もなく大きな“何か”が現れていた」
「エキュピュリア様ではない……別の何かが」
「でも」
ナナセが目を細める。
「エキュピュリアの気配もあった?」
「……ええ」
「確かに感じました」
「ですが、それだけではなかった」
「――違うものも混ざっていた……?」
ハルモニアが静かに頷く。
「エキュピュリア様を呼び起こそうとして」
「結果として彼らが何を目覚めさせてしまったのか」
「今でも、私には分かりません」
誰も言葉を挟まない。
ハルモニアの視線が、ゆっくりとポラリスへ向けられた。
「ただ、荒れ狂う力の中に――小さな気配がありました」
ポラリスの瞳が僅かに揺れる。
「弱く、今にも消えてしまいそうなほど小さなものでした」
「それでも、間違いなく」
「――エキュピュリア様の気配を宿していました」
「私は、その小さな存在だけは守らなければならないと思いました」
世界樹の苗。
そこへ集う精霊たち。
そして、世界中へ続く根の流路。
そのすべてを使い、
ハルモニアはその小さな存在を儀式の行われた場所から遠ざけた。
「……それが」
ポラリスの声は、いつもより小さかった。
ハルモニアが頷く。
「ええ――あなたです」
ポラリスの瞳が、僅かに揺れた。
二十年前。
世界のどこかで起きた、誰も全容を知らない儀式。
そこから逃がされた小さな存在は、
長い時を越えてナナセの膝の上にいた――
【第百三十一話へ続く】




