第23話「御影資源開発、地方で存在感を持ち始める」
御影資源開発が設立されてから、まだそれほど時間は経っていない。
だが地方では、時間の流れ方が都市とは違う。
名前が出るか。
仕事が増えるか。
誰かの暮らしが少し変わるか。
その三つが揃えば、小さな会社でも一気に“意味のある存在”になる。
そして御影資源開発は、まさにその段階へ入り始めていた。
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「最近、御影の名前を聞く回数が増えました」
九条本邸の一室で、一条朔也が資料をめくりながら言った。
机の上には、数字だけではない紙が並んでいる。
雇用人数の推移。
下請け発注の増加。
近隣業者の売上変化。
地元商工会の反応。
「増えすぎか?」
業高が聞く。
「まだ“危険な増え方”ではありません」
一条は淡々と答える。
「ただし、“知られていない会社”ではなくなりました」
それは、良い意味でもあり、悪い意味でもある。
存在しないほうが動きやすい時期は、もう終わりつつあった。
御影資源開発は今、地域の中で“認識される会社”へ変わっている。
「雇用は」
業真が短く問う。
「当初計画比一・四倍です」
一条が答える。
「正規雇用、季節雇用、現場補助を含めて、波及人数はさらに多いかと」
「周辺業者は?」
「運送、土木、機材保守、燃料、食料、宿泊。小さいですが全体に波及しています」
業高が小さく息を吐いた。
「早いな」
「はい」
一条は頷く。
「御影が一社で完結していないからです。意図的に地元へ仕事を流している分、存在感は予定より早く広がっています」
それは、神崎理央が嫌いそうな話でもあった。
利益の純度だけで言えば、内部で回したほうが効率はいい。
だが御影はそうなっていない。
最初から“地元を噛ませる”前提で設計されている。
それが今、地方での存在感に変わっていた。
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「悪くない」
その神崎自身が、別の資料を見ながら言った。
「珍しいな。お前がそう言うの」
業高が横から言う。
神崎は顔を上げずに答えた。
「利益だけを見るなら、もっと締められます」
「だろうな」
「ですが今は、それより“味方を増やす”ほうが価値が高い」
その言葉に、業継が少しだけ反応した。
「味方?」
「ええ」
神崎は端末を閉じ、椅子にもたれた。
「金は守られません。理由があって初めて守られる」
「父さんと似たこと言うね」
「当たり前です。正しいから」
神崎は平然としていた。
「地元が御影を“儲かる会社”と見るだけでは弱い。“自分たちの仕事を増やす会社”と思えば、勝手に守る側へ回ります」
業継は少しだけ黙る。
それは第7話で業真が言ったことの、もっと具体的な形だった。
秘密だけでは弱い。
利益と雇用と実績を持てば、人は守る。
今、その“雇用と実績”が実際に動き始めているのだ。
「……なるほどね」
業継が小さく言う。
神崎は頷いた。
「御影が地方で存在感を持つというのは、単に有名になることではありません。地域の損得勘定の中に組み込まれることです」
「損得かな」
「ええ。善意より強い」
言い方は冷たい。
だが、間違ってはいない。
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その日、業継は久しぶりに御影資源開発の現場だけでなく、周辺まで見に行くことになった。
もちろん一人ではない。
業高が付き、黒瀬牙の人員も見えない距離でついている。
表向きは、本家の若様が地域の様子を見に来ただけだ。
それだけなら不自然ではない。
「今日は山じゃないのか」
業継が言う。
「山だけ見てても見えないものがあるから」
業高が答える。
「お前は結果ばっかり見がちだからな」
「ひどくない?」
「事実だ」
業継はむっとしたが、反論はしなかった。
少しは自覚がある。
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車が止まったのは、鉱区からそう遠くない集落の外れだった。
以前は使われていなかった倉庫が、今は御影資源開発向けの仮資材置き場になっている。そこでは数人の作業員がフォークリフトを動かし、土木資材の積み替えをしていた。
「あれも御影?」
「正確には、御影が仕事を出してる先だ」
業高が言う。
「元は半分死んでた倉庫だが、今は回ってる」
業継はそれを見た。
人が動いている。
物が動いている。
山で採れたものが、山の外へ出る前に、周囲の場所も動かしている。
「……へえ」
素直な感想だった。
少し進むと、今度は小さな整備工場が見えた。
以前は農機具中心だったが、今は小型重機の整備も請けるようになっているらしい。入口には御影資源開発の名前が入った発注書の控えが掲示板に挟んであった。
「ここもだね」
「ここもだ」
業高は頷く。
「御影が直接全部持つより、地元にやらせたほうが早い。山吹や鷹宮の判断も入ってる」
業継は小さく息を吐いた。
資源を作る。
会社を作る。
そこまでは想像できた。
だがその先、町の仕事が増え、使われていなかった倉庫が生き返り、整備工場が忙しくなるところまでは、まだ感覚が追いついていなかった。
「どうだ」
業高が聞く。
「……最初に思っていたより、すごく広がったね」
「そうだ」
兄はあっさり言う。
「会社一つが金を稼ぐってのは、周りも動かすってことだ」
「これ、全部御影のおかげ?」
「半分はな」
「半分?」
「残り半分は、元からいたやつらの仕事だ。御影が“回る理由”を作っただけで、実際に回してるのは地元だ」
その言い方が、妙にしっくりきた。
業継はしばらく何も言わず、工場から出てきた作業員たちを見ていた。
笑っている。
疲れてはいるが、顔は悪くない。
以前より忙しいのだろう。
けれどその忙しさは、嫌なものではなさそうだった。
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その帰り道、車は小さな商店の前で止まった。
「なんで?」
業継が聞く。
「ちょっと見るだけだ」
業高が先に降りる。
店の中では、年配の夫婦が品出しをしていた。元々は近所向けの小さな雑貨店だったらしいが、最近は現場作業員向けの消耗品や飲料の仕入れが増えているという。
「おや、九条さんのところの」
店主が気づき、少し驚いた顔をする。
業高は軽く会釈し、世間話の調子で話し始めた。
「最近、忙しいでしょう」
「ええ、ありがたいことに。御影さんのとこが来るようになってから、人の流れが増えて」
言葉は自然だった。
やらせではない。
本当にそう感じているのだろう。
「前は昼過ぎには静かになってましたけど、今は職人さんも来るし、若い子も動いてるし」
店主の妻が笑う。
「少し前より、町に音が戻った感じですよ」
その一言に、業継は少しだけ目を丸くした。
町に音が戻った。
数字ではない。
利益率でもない。
だが、その言葉のほうがずっと大きく感じた。
業高が振り返る。
「聞いたか」
「うん」
業継は短く答えた。
何かが胸の中に落ちる。
これまで、自分のやってきたことは、山の中で完結しているようにも思えた。
鉱脈を作る。
会社を立ち上げる。
外から見られる。
守る。
隠す。
そういう話ばかりだった。
でも今、目の前で起きているのはもっと単純だ。
人が増えた。
仕事が増えた。
町に音が戻った。
「……いいね、すごくいいよ」
ぽつりと業継が言う。
業高はそれを聞いて、小さく笑った。
「そうだな」
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その日の夕方。
本邸へ戻った業継は、珍しく自分から業真の部屋を訪ねた。
「どうした」
父が短く言う。
業継は少しだけ考えてから答えた。
「御影、思ったよりちゃんとしてるよ」
その言い方に、業真の眉がわずかに動く。
「今まで、ちゃんとしていないと思っていたのか」
「いや、そうじゃなくて」
業継は言葉を探した。
「会社っていうか……もっと、箱みたいな感じかなって思ってたんだ」
「箱だ」
業真は即答した。
「ただし、中身が空なら意味はない」
業継は黙って聞く。
「御影は今、人を動かし、金を流し、理由を作っている」
業真の声は静かだった。
「だから存在感が出る」
「存在感って、良いことなの?」
「良い時もあるし、悪い時もある」
「どっちなの」
「今はまだ、良い」
そこで言葉が切られる。
「ただし、ここから先は違う。必要とされるほど、目立つ」
業継は頷いた。
それは理解できる。
守られる理由が増えるほど、狙われる理由も増える。
第3話で聞いたことが、ようやく具体的な形になってきた気がした。
「……じゃあ、もっと強くしないとだね」
ぽつりと出た言葉に、業真は少しだけ視線を上げた。
「何をだ」
「御影も」
一拍置く。
「その先も」
資源だけでは足りない。
会社だけでも足りない。
町に音を戻せるなら、もっといける。
そう思ってしまった。
業真はしばらく業継を見たあと、小さく言った。
「その発想は、間違ってはいない」
業継が少しだけ嬉しそうな顔をする。
「だが」
「だが?」
「広げる前に、足場を固めろ」
やはりそこへ戻る。
業継は苦笑する。
「やっぱりそれなの」
「当たり前だ」
業真の声に揺らぎはない。
「御影が地方で意味を持ち始めた今だからこそ、次を急ぐな。足場の弱い拡張は、全部を崩す」
「……うん」
素直に頷けるのは、ここまでの積み重ねがあるからだった。
以前なら、不満が先に立っただろう。
だが今は違う。
足場が必要なのもわかる。
そして、それを固めること自体が次へ繋がるのも、なんとなくわかる。
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夜。
自室に戻った業継は、端末を開いていた。
「ねえアーク」
『はい』
「御影、思ったより大きいね」
『定義を確認します』
「会社っていうより」
少し考える。
「流れ、かな」
アークは数秒だけ反応を止めたあと、表示した。
『妥当な表現です』
業継は笑う。
「父さんも似たこと言いそう」
『影響を受けています』
「最近それ多いよ」
『事実です』
画面には、御影資源開発の数字が出ている。
搬出量、雇用人数、地元発注、維持費、利益率。
だが今日の業継には、それが数字以上のものに見えた。
町の音。
倉庫の再稼働。
整備工場の忙しさ。
商店の会話。
全部が一つの流れに繋がっている。
「これ、資源だけじゃもったいないかな」
つい、そう呟く。
アークが即座に反応する。
『警告。その発想は拡張志向です』
「知ってるよ」
業継は小さく笑った。
「でも、悪くないでしょ」
『完全否定はできません』
「だよね」
そこで視線が、端末の別タブへ向いた。
ナノマシン開発のログ。
まだ表には出せない技術。
だが、いずれは。
資源で土台を作る。
会社で流れを作る。
そして技術で、もっと深く生活に入る。
その道筋が、ほんの少しだけ見えてきた気がした。
「……順番、だよね」
『その通りです』
業継は頷いた。
急がない。
だが止まらない。
それが今のやり方だ。
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御影資源開発は、地方で存在感を持ち始めた。
それは単に売上が伸びたという話ではない。
地域の中で、必要とされ始めたということだ。
そして必要とされる存在は、強い。
ただし、目立つ。
守られる。
ただし、狙われる。
その両方を抱えたまま、御影資源開発は次の段階へ進んでいく。
九条業継は、その中心にいた。
まだ五歳のまま。
だがもう、“山の中の秘密”だけでは終わらないところまで来ていた。




