第1話「五歳、世界を理解する」
「あれ?どういう状況だ?」
九条業継は、世界が今までとは違って見えていることに気づいた。
天井板の木目がわかる、という程度ではない。
節の位置、歪み、反りの原因、使われている木材の乾燥具合。障子紙の繊維の荒さ。朝の光が差し込む角度から推定できる時刻。廊下を歩く使用人の足音の重さから、誰がどの方向へ向かっているのかまで、妙にはっきりと頭に入ってくる。
「……ああ、そういうことか」
五歳児らしくない、落ち着いた声が自然と漏れた。
恐怖はなかった。混乱もない。
むしろ、ずっと霧がかかっていた頭が、今ようやく晴れたような感覚だった。
業継はゆっくりと布団から起き上がり、障子を開ける。
九条家の屋敷は山の中腹に建っている。見下ろせば、果ての見えない森、尾根、谷、朝靄の流れる斜面が広がっていた。どれも見慣れたはずの景色なのに、今日は違う。
表面だけでなく、奥行きがわかる。
いや、もっと正確に言えば――中身がわかる。
「地下水は、あそこから落ちてるのか」
視線を谷の下へ向ける。
すると、その下を走る水脈の流れが、なぜか“理解できた”。
岩盤の厚み。土質の変化。地層の重なり。そこに含まれている鉱物の気配。見えているわけではないのに、そこに何があるのかがわかる。
業継は小さく息を呑み、それからすぐに笑った。
「面白い!次はアレにしよう」
視線を、山の中でも特に人の出入りが少ない一角へ向ける。浅い地層、作業の邪魔にならず、誰もすぐには気づかない場所。そこへ意識を集中した。
何もない空白に、何かを“置ける”感覚がある。
「なら、置いてみるか」
ほんのわずか。砂利より少し複雑な構造。金属分を含む、自然な混ざり方。地層との整合性を崩しすぎないよう、感覚のままに組み上げる。
数秒。
違和感が消えた。
「……できた?」
業継は目を瞬く。
今、自分は地中に資源を作った。
そんな馬鹿な、と常識は言う。だが常識より先に、確信があった。そこに、確かに“ある”。
「これ、すごくないか?」
口元が緩む。
「すごい。いや、危ない。でも楽しいな」
業継は昔から、屋敷より山のほうが好きだった。
まだ三歳の頃から、使用人の目を盗んでは庭の端へ行き、地面をじっと見ていた。四歳になるころには、案内役なしでも林道の分岐を覚えてしまい、山吹家の人間を何度か慌てさせている。
山吹悠斗には、前に一度だけ、真顔で言われたことがあった。
「若様は、山を見てるんじゃないですね。山の“向こう側”を見てる」
その時は意味がわからなかったが、今ならわかる気がした。
自分は昔から、山に妙な親しみを感じていたのだ。
「……あとで確かめよう」
そう呟き、業継は部屋の隅に置かれていた古いパソコンの前に座った。
これは父や兄の私物ではなく、屋敷に置かれていた備品の一つだ。業継は何度か触ろうとして、そのたびに「まだ早い」と止められてきた。だが今日は、もう誰に止められたところで聞くつもりはない。
「電源を入れてっと...遅いな」
起動音を聞いた瞬間、業継は眉をひそめた。
「……待つ時間が無駄だな」
それだけで、改善策が頭の中に並ぶ。メモリ管理、入出力の最適化、不要処理の圧縮、簡易的な自己修正ロジック。
「出来そうか?いや簡単だな」
キーボードに小さな指を置き、業継は迷いなくコードを打ち込み始める。
最初は単純な高速化のつもりだった。
だが途中で考えが変わった。
「……これ、補助用の思考整理を積んだらもっと早いな」
書く。打つ。組む。
処理の最適化だけで終わるはずが、気づけば予測、推論、補助判断まで積み始めていた。五歳児の手が届く速度ではない。だが止まらない。
時間の感覚が消えた頃、画面に一つの表示が浮かんだ。
『起動確認』
業継の手が止まる。
「……ん?なんだ?」
今の一行には見覚えがない。
自分で書いたコードの挙動ではある。だが、どこかが違う。明らかに、自分の想定を超えている。
『認識しました。初期設定を開始します』
「初期設定て、なに?」
『あなたの行動は高い影響力を持ちます』
「いや、待て何だこれ」
『制御を補助します』
「こんなの組んで無いぞ」
自分の知識と技術で“器”は作った。だが中身の一部は、自分が組んだものではない。
まるで最初からそこに居た何かが、完成を待って入り込んだみたいだった。
だが業継は、そこで怖がらなかった。
「まあ、使えるならいいか」
結論が軽い。
数秒だけ考え、業継は頷いた。
「名前は……アークでいいや」
『名称を確認。“アーク”を使用します』
次の瞬間、画面の情報量が跳ね上がった。
地質。気象。周辺道路。運搬経路。市場価格。発電コスト。資源埋蔵モデル。家庭用PCの処理能力では絶対にありえない情報整理が、一つの流れとして表示される。
業継は感心したように口笛を吹きかけて、吹けないことに気づいてやめた。
「便利だな、お前」
『補足します。私は利便性のみを目的としていません』
「へえ?じゃあ何をするんだ」
『危険性の高い行動には、制御と警告を行います』
「なんで?」
『必要だからです』
あまりにも当然のように返されて、業継は少し笑った。
「口うるさそうだな」
『適切と表現してください』
「妙に人間くさい返答だな?だがますます面白くなって来たな。
じゃあ、試しに聞くけどさ」
『はい』
「この山、全部いじったらどうなる?」
問いかけた瞬間、画面上の計算結果が一気に変わった。
資源生産量、物流の逼迫、地域経済への波及、価格変動、行政介入。数字が飛び交い、最後に表示された一文は、やたらと重かった。
『国家規模の影響が発生します』
「そんなに?」
『はい』
「面白そう!」
『推奨しません』
即答だった。
業継は椅子に座ったまま、ぶらぶらと足を揺らす。
「えぇ〜......
じゃあさ、ちょっとずつならいいだろ?」
『影響の制御は可能です。ただし、無視はできません』
「ならそれでいこう」
決断も速い。
業継は山の地図を開き、人の出入りが少なく、地質変化をごまかしやすい地点を選ぶ。
作業道から遠すぎず、近すぎず。浅すぎず、深すぎず。後で偶然見つかったように見える、絶妙な位置。
それを見て、アークが短く沈黙した。
『……選定精度が高すぎます』
「そうか?」
『五歳児の判断ではありません』
「五歳だけど」
『その点を問題視しています』
「大丈夫だって。見つかっても、山吹さんか鷹宮さんが驚くだけだろ」
『すでに人選まで考慮済みですか』
「だってあの人たち、現場強いし」
その言い方にも、妙な説得力があった。
九条家は普通の家ではない。業継が幼いながらにそれを理解していることもまた、普通ではなかった。父の部屋に出入りする人間、兄が電話で動かす相手、分家の当主たちが本家に向ける態度。何も教えられていなくても、この家が一つの巨大な機構であることはわかっていた。
だからこそ、試すならこの家の中で試すべきだとも思っていた。
「よし、ここでいこう」
『周辺影響を最小化します』
「頼む」
軽い一言とともに、世界の一部が静かに書き換わる。
業継はその感覚を、妙に心地よいと思った。
山の中に、自分の手で何かを置く。
それは秘密基地を作る感覚に少し似ていた。
「次は何がいいかな。鉄のままでもいいけど、銅とかも面白そうだよな」
『推奨しません』
「まだ言う?」
『今後も言います』
「そこまで言われると、逆に楽しくなってくるな」
業継は画面を眺めながら、無邪気に笑った。
この時点では、まだ誰も知らない。
山の一角で起きた小さな異変が、九条家全体を動かし、やがて国すら巻き込むことを。
ただ一つだけ確かなのは――
九条業継が、もう止まらないということだった。
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